オールド レノンストリート物語

元オーナー通称レノマスが語る自由が丘にあったレノンストリートの話です。あの頃の時代の仲間、全員集合!

レノンストリートの誕生物語1

2007-08-07 14:29:18 | Weblog
レノンストリートと言う名前は自分が始めて考えだした店の名前だと思う。やはりどんな事柄でも、お題目というのは大切で、プログでも小説でも店名でも、そのユニークなネーミングで人は注目したり興味がわいたりする。
 その時、レノンの店そしてレノンクラブにして開店から6年を経過していた。そして単なる喫茶店というコンセプトにも限界を感じはじめていて、次の店の展開を考え初めていたが、なかなかまとまらなく、なんとなくコーヒーだけでなくアルコールも出したいなとか、名前はXXXXXレノンかレノンXXXXXのどちらかだな!ぐらいしか考えがまとまっていなかった。
店のスタッフもしっかりした人が育ちつつあり、少しなら店をあけられる状態になっていたので、ひとつアイデアを拾いに近場の香港にバイトのS君と行くことに決めた。
香港に決めた理由は、日本から一番近い、英国文化を感じられる場所で、3日あれば十分である事だった。もちろん昔のウイリアム ホールデン主演の映画シーンで
使われた、スターフェリーと100万ドルの夜景も見てみたかった。とにかく若いので、ほとんど寝ずにあちこち歩き回った記憶がある。その後、香港には計5回ぐらい行ったが、最初の旅行の1970年代後半の香港はワイルドな世界であった。
当時、日本にはなかった高層ビル街の間をぬって、バリーホワイトの曲が流れる、
キャセイの飛行機は都市の真ん中にあるカイタク空港に着陸した。早速、香港独特の臭いが鼻を突いた。外の蒸し暑さ、人の多さ、平気で血だらけの、牛の肉を肩にショって歩く人夫、宝石店の入り口を警護する、ショットガンを持つ大柄なインド人、空港近くのスラム、クオルン城、えっ!エレベーターがない高層ビル!竹のやぐらで、建築していく!僕には信じられない事ばかりであった。
バイトのS君は、旅行にオバーオールと呼ばれたカーペンター用のジーンズをはいてきて、香港には当時まだ売られてなく、若い女子高生が、彼の周りに沢山よって来て、モテモテであった。まだ最初のマクドナルドがオープンした頃で、少し甘い味付けのバーガーを食べた記憶がある。
ホテルはどこに泊まったか記憶にないが、九龍側であった。早朝、スターフェリーに乗り、景色を楽しみながらセントラルへ、そこからしばらく歩くと当時、ヒルトンホテルがあった。そこのティールームで、一息、英国式な格式高いサービスを受けて大満足であった。当時は満足な日本語のガイドブックもなく、ホテルからもらった簡略地図で、感を頼りに歩いた。昔から骨董品を見るのが好きだったので、たしかホテルの人に教えてもらったのだと思う。ホテルを出て、上の丘のほうへと歩いていくと、急階段を登った所に骨董品街があった。今では有名なキャットストリートであった。そこで地図をにらめっこしながら探索しているうちに、当時の香港はまだ英国領だったので、道にみなXXXストリートと名前が付いている事に気づいた。そうだ!これだ!レノンストリートにしようと突然ひらめいた!
こうして香港で思いついた名前であった。そして見事、目標の店名を考えだした僕は、ルンルン気分で帰国し、その後、順にそのコンセプトを考えはじめた。