崔杼弑君という言葉が浮かんだのは、佐川前国税庁長官の証人喚問を見た時だった。
エリート官僚だった彼が証言拒否を繰り返す姿は無様でそこに自尊心も人間としての尊厳も感じられなかった。それが誰であれそのような姿を見たくはないし、もしそうせざるを得なかったのだとしたら同情を覚える。しかし同時に、官僚(公務員)が仕えるべきは国民であるという大原則に照らせば、彼は公務員としての矜持も誇りも失ったと言うしかない。
ところで、崔杼弑君の意味は、崔杼が主君を殺したということで、弑という文字がいかにも凶々しい。その事件は紀元前548年のことだが2018年に生きる私が知っているということは、事実を記録することによって歴史が成り立っていることを教えてくれる。この言葉が記録として残ることによって、崔杼は永遠に主殺しの烙印を押されることになった。では崔杼はそのことを予想しなかったのだろうか。
実はこの言葉は、現代風にいえば、官僚の使命とは何かという問いかけでもある。Wikipediaの崔杼弑君を紹介する。
斉国の太史(歴史記録官)が『崔杼、其の君を弑す』と事実を史書に書いたので、崔杼はこれを殺した。後をついだ弟も同じことを書いたので彼も殺された。しかしその弟もまた同じことを書いたのでとうとうこれを舎(ゆる)した。
つまり、崔杼は自身の汚名を歴史に残すことを恐れ、歴史を記録する太史(当時の官僚)を二人まで殺したが、三人目も事実の捏造を拒んだので諦めたということである。弑君という事実を歴史に残すため、春秋戦国時代に生きた無名の官僚は自らの生命を賭した。そして、そのこと自体が歴史に残すべき刮目すべき事実だった。
では、この故事をいまに置き換えればどうなるのだろうか。そこから何が導かれるのだろうか。
私の場合、必ず自分ならばどうするだろうと考えてみる。例えば、もし自分が斉国の太史だったら、あるいは佐川氏だったらどうするだろうと自問してみる。人の答えは様々だろうが、私に関しては確信を持ってそんな覚悟と勇気はないと告白せざるを得ない。現代では、春秋戦国時代とは異なり生命まで奪われることはないが、それに類することとして権力によって社会的生命を抹殺されることは十分ありうる。佐川氏もまた自らを守るために、官僚としての道(服務すべきは国民に対してのみであること)を踏み外さなければならなかったのだろう。
彼がどちらにつく決断をし、さらにそのために何をしたのかについては当然彼の自己責任であり、司直の捜査を待たねばならない。しかし、官僚や公務員に対して過剰に義務感を期待することは、問題の本質からそれているようにおもう。もっとも大事なことは、彼は、あるいは彼らに対してそのような行動を強いる権力の行使がなかったかどうかだろう。言い換えれば、主権者たる国民が権力の乱用について盲目であろうとするなら、国民の側にも佐川氏を責める資格はないだろう。
なお、崔杼弑君という言葉を私が知ったのは東周英雄伝という漫画からである。漫画に造詣が深いという麻生財務大臣にはぴったりの本ではないだろうか。
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