VFT鈴木系は品種登録可能か?
始めに、春及園系と鈴木系を同義と認識しています。複数の方が葉柄と葉身(トラップ)の比率で春及園系から鈴木系を分離しているようですが、首を傾げます。この形質は質的形質ではなく量的形質です。彼らが春及園系とする個体郡の後代から彼らが言うところの鈴木系が出現します。「~系」というものは品種登録の定義に当てはまりません。ここ迄で既に結論を述べたように見えます。
春及園も実家も多摩川を挟んで京浜急行沿いだったため、1974年からそして社会人になった以降も通っていた者としてこれを書きたいと思います。因みに就職した会社の小売り部門、アンテナショップ(ガーデンセンター)には春及園さんの委託販売コーナーがありました。ここでも春及園系(=鈴木系)は何十年も販売されました。
VFTは他殖性植物です、雌雄異熟。誤解のない様に、他殖性植物とは絶対的自家不捻(absolute self-incompatibility)を意味する用語ではありません。その傾向を示す言葉です。その程度は植物によってまちまちです。近交系を確立出来たとしても、通常、純系は確立できません。近交系も何処まで近交度を高められるか分かりません。鈴木系に思い入れがある方々は個体内の遺伝的雑駁さ、集団内の遺伝的雑駁さ(現在の状況では難しい様です)に配慮すべきです。
自殖性植物であれば、腕の良い育種家によって純系を確立できます。その純系は品種登録する事が出来ます。国内でもっとも審査レベルが高い「国」へ申請して登録されるでしょう。
他殖性植物は特定のたった一つの個体とその栄養繁殖株でなければ登録できません。彼らの言うところの鈴木系は彼らの言うところの春及園系から申請者以外の所でも出現します。いい加減な団体に、詭弁を使って品種登録しても他で第三者が審査基準を基に区別できない個体が出現した場合、登録は抹消されなければなりません。
「鈴木」、「春及園」はVFTの名前として既に認知されています。品種登録のルールとして新たに登録される品種にこれらの名前は使用出来ません。いい加減な団体がこれらの名前を使った品種登録を認めると、そのいい加減さを知らない人たちが自身の「鈴木系」「春及園系」をその名前で販売譲渡するときその行為が違法行為になってしまうと勘違いします。そんな事などを防ぐための基本的な品種登録のルールです。
仮にVFT Suzuki又はVFT 鈴木が登録申請可能な栽培品種としましょう。育成者は誰でしょうか?「春及園系、鈴木系」を栽培する方々は他の血を入れないことに価値を見出だしています。つまり育成者は吉五郎さんと恒五郎さんです。申請するかどうかを決める権利も鈴木さん一族が持っています。
春及園でも、三越、大船植物園そして勤めていた会社の小売り部門でも何十年も前に販売されました。登録申請が受理される前に販売譲渡しているので、この時点で品種登録を申請する権利は消失しています。
誰が審査基準を作るのでしょうか?それができる人が国内に何人いるでしょうか?非常に難しい作業です。能力のある人が審査基準を作成し始めると、ある時点でVFT 鈴木を品種登録する事が困難であることに気付くでしょう。
栽培品種登録するための、他のVFTにないcultivar status traitsをどの様に説明しますか?一部の愛好家でなければ区別できない様では品種登録に値しません。審査基準を基に仕分けできなければなりません。
結論、今まで通り「春及園系」「鈴木系」が適しています。また、これらの名前で優劣をつけるのは不適切です。恒五郎さんの謙遜を言葉通りに受け取るべきではありません。春及園を訪れる著者の様な多くの人々の好みを熟知しているための言葉でしょう。多数の他殖性植物の系統維持をすることが出来る人です。著者の様な人間が好みの個体を持って行ったぐらいでそれが無くならない事を知っているのです。
どうしても鈴木さんや春及園の名前を残して区別したい場合は「VFT鈴木系 誰々選抜A」などとしないと混乱を招くでしょう。ここで「系」を入れることが重要です。
情緒的に書くと、
鈴木さんのVFT を葉柄と葉身の比率で「それは鈴木系、それは鈴木系と名乗ってはならない。」等と議論している人達は、吉五郎さん恒五郎さん春及園の顔に泥を塗っているのです。ある国際会議で英国の著名な動物学者が「パンダはあまりに政治的な動物なのでこのまま絶滅させてしまえ」と発言したそうです。今の鈴木系の議論を聞いているとVFT の世界でもこんな事を言い出す人が現れてくるかもしれません。鈴木さんのVFTが今後も愛されていく価値があるならば、春及園と同じ程度の雑駁さは無理にせよ出来るだけ近づける努力が必要でしょう。現在の状況はその様な協力関係は望めないので、植物ではなく人間の世代交代を待たなければならないのかも知れません。
現在「鈴木系」を栽培しこの名前で価値を高め、この名前の虎の威を借る的なことで鈴木さんの顔に泥を塗るような行為をしている人達は鈴木さんや春及園の名前を外し自分の名前で誰々系のみとすべきです。譲渡を受けた人から由来を聞かれたら「春及園、鈴木さん由来」と答えれば良いのです。
会誌7月号にアーカイブとして初期の会誌4号(1950.11)に掲載された鈴木吉五郎さんの記事「ディオネア漫語」が載る予定のようです。皆これを読んで少し気持ちを落ち着かせ、鈴木系とは何なのか考え直しましょう。