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感動するよね、≪大和≫の記事と≪カムイ≫打ち上げ!!

2008-11-05 | 松山ケンイチ

松フリさまんちで「男たちの大和/YAMATO」の撮影秘話が載っていました。
何年たっても、神尾くんは私たちの胸に生きているから、
だからこそ、今、感動するんです、きっとそうですよね。




感動するよね、≪大和≫の記事
          と≪カムイ≫打ち上げ




【落涙場面、高島の棚田で】

 戦艦大和の生き残り兵、松山ケンイチさん扮する主人公が
戦友の死を告げるため、彼の母(余貴美子さん)のもとを訪れる。
青々とした棚田が一面に広がり、田端に炭焼き小屋がぽつぽつと立つ。
映画「男たちの大和 YAMATO」(05年)の一シーンが撮られたのは
「日本の棚田百選」にも数えられる高島市畑の棚田だ。

 「ごめんなさい、ごめんなさい…」。何度も地面に頭をこすりつけ、
主人公が戦友の母に1人生還したことをわびる場面は05年6月に
2日間かけて撮られた。撮影場所は当時、畑区長だった林章さん(65)の
田んぼだ。地元の人は出演者に草のぬき方や田のいじり方を教えた。

 撮影の初日は雷まで鳴る大雨となり、出演者やスタッフは頭から足の先まで
びしょぬれに。泥だらけの顔で外に立ちっぱなしの様子を見て、林さんの妻の
美智子さん(66)は風呂を勧めた。「地元に迷惑をかけたらだめだと
思ったのか、誰も家に入ってこないので」。なかでも松山さんは冷えた体を
ひときわ震わせていたが、それでも先輩俳優に風呂を譲る姿に
「自分の息子が頑張っているようで胸が熱くなった」と振り返る。

 撮影から3年。林さん夫妻の胸に今も深く刻まれているのは、
地元の棚田みそでこしらえたみそ汁を振る舞った時のみんなの笑顔だ。
「テレビで松山さんや余さんを見るとつい見入ってしまう」
                         (asahi com)

誰が言ってたんだったっけ?
松山くんが昭和の男の子に見えるって言ってた。
生まれは昭和だけど、まちがいなく、
平成の若者だよね。

だけど、「男たちの大和」の松山くんは
髪型だけじゃなくて、
背中がぴんと伸びてて、
本当に戦時下、ひたむきに生きる男の子だった。

いったん役を入れたなら、
もう、松山くんに映るのは、
神尾くんの目を通してのもの、
耳にはいってくるのは
神尾くんの耳を通してものだったんでしょう。

だから撮影のときもずっと神尾くんを抜けずに
先輩たちにお風呂を譲ったんでしょう。
地元のひとは
神尾少年兵の、許しを乞う演技を
そばで見ていらしたんでしょうか。
だからこそ、あの子に早く風呂にいれさせてやりたいと
思ってくださったんでしょうか。
それでも松山くんは遠慮したのでしょうか。

せつないね。
松山くんは時に、
せつなさでこちらの胸を
いっぱいにさせる・・。



松山くんのそこまでの姿が、
きっと神尾にリアリティーを吹き込んだのでしょう。
だからだれもが神尾を、もういいからと
抱きしめたくなったのですよね・・。

■ところで、ところで、「カムイのうちあげ」が4日にあった模様。
松山くん、出席したのかな。
スタッフだけの打ち上げなのかな?
いつもとっても素敵な妹尾さんのブログに載ってました。

妹尾さんの素敵なブログはここから


 


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11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
神尾~~~~(涙) (まろうさぎ)
2008-11-05 00:14:46
神尾は、私が「松山ケンイチ」を最初に認識した人物です。
なんてまっすぐでひたむきな青年だろうと思いました。
「死ニ方用意」の時、故郷に向かって敬礼する神尾。背中だけがまず映るのですが、ピンと伸ばしたその背中の凛々しかったこと。そして哀しかったこと。
そこまでの決意をしたのに、自分は死ななかった。西くんを助けることもできなかった。
田圃の中を足を引きずりながら呆然と歩いて行く神尾と、うずくまる神尾。土下座する神尾。
どれもが、胸を締め付けます。
そして、その演技を間近で生で見ていた方々。
すでに演技ではなく、「神尾」として生きていたはずです。余さんでなくても「もういいんだよ」と抱きしめたくなったことでしょうね。
(あの場面、余さんにお風呂を譲ってさしあげたんでしょうか)

松フリさんで見て感動してましたが、改めてもう一度読んで、またまた涙してしまいました。
返信する
Unknown (ニサ)
2008-11-05 04:03:29
あのシーンは最も強烈でした
圧倒的な戦闘シーンよりも突き刺さりました。
何度みても呼吸が苦しくなるくらい痛い場面です。

まだ15、6の少年が
生きて帰ったことを
ごめんなさい許してください・・と土下座して懺悔する

なんという時代だったんでしょう

生き残ったことを背負い続ける神尾ケンと
生き伸びることにこだわった獅童アニキとの対比も忘れられません。
返信する
Unknown (てんてん)
2008-11-05 08:33:24
樹さん、おはようございます。
私も、まろうさぎさんと同じく、神尾くんで、松ケンから目が離せなくなりました。
この映画を観た時も、最初は松ケンを知らなくて。。だったのですが、観終わってみると、松ケンが演じた、神尾くんの存在が忘れられず。。
何回観ても、とても悲しくなります
でも、豊かになった今だからこそ、戦争があった時代のことは、忘れてはいけないような気がします。
返信する
まろうさぎさんへ ()
2008-11-05 22:11:52
こんばんは。

私は大和をリアルタイムでは観ませんでした。
右傾化した作品じゃないの?
って思ったから。
でも完成披露記者会見の時の松山くんは覚えています。
「いろいろなことを勉強させていただきました」って言ったら、
両サイドの獅童さんと反町さんから、
「なにを勉強したんだよ。言ってみろ」とこづかれていました(笑)
初々しい子が餌食になってるなあ、って、
仲のよさそうな様子を微笑ましく感じたのです。
まさか後年、こんなに好きになろうとは!!

きっと同じ大和の乗組員、みたいな気持ちで精一杯みんなで
いい作品にしようと頑張られたんでしょうね。
へんな先入観なしに観ればよかったかな、
でも、大画面で観る勇気はないです。

西君を助けられなかったシーンは、リアルにくやしかったんだろうな。

蛇足ながら、余貴美子さんのあの怖い顔があったればこそ、
松山くんの演技も胸に迫ったのでしょうね。
お風呂は余さんにゆずってくれたでしょう。
返信する
ニサさんへ ()
2008-11-05 22:20:42
こんばんは。

神尾くんはひどすぎるよ、設定が。って思いましたよね。
護るべきひとがいないのに大和に帰ってゆく、
その悲しさを思いました。
そればかりか、せっかく永らえたいのちを、
喜んでくれるひとはいないのです。
死者を悼んでくれるひとをまじかにみているのに。
あの神尾くんを観る度にぎゅっと抱きしめたくなりますよね。
いやがられても、です!!!
返信する
てんてんさんへ ()
2008-11-05 22:32:27
こんばんは。

神尾くんは圧倒的な存在感がありましたね。
初めて観たときより、
回を重ねるにしたがって、愛しさが募ります。
呉市の「大和ミュージアム」に行ったとき、
こんなに美しい戦艦が
3000人を超えるひとたちと沈んでいったんだと思うと、
「大和」がかわいそうでなりませんでした。
ミュージアムのそとでは、
大和の大きさの2分の1を知ることができます。
こんなに大きな船が沈むとき、どんなに怖かっただろうと思いました。
そしてやっと生き延びたのに、祝福されない時代・・戦争が終わったのに!!!
そのことの狂気を思いました。
生きながらえたことを罵倒するのは狂気以外のなんでもありませんよね。
実際の戦闘がなくても、狂気に支配される時代を思いました。怖いですね。
返信する
大和 (さち)
2008-11-06 00:24:03
こんばんは、樹さん。
「大和」を初めて見た時は、内容に圧倒されてばかりでした…
それで、2回目を見ました。繰り返してみることで、新たに気づけたり、曖昧に感じていたことをはっきりできました。
皆さんが仰るように、自分は生還し、戦死した友の母親を訪ねる場面は、見ていてとても辛いです。
「生きて帰って来て、ごめんなさい」
なんて、悲しい言葉なんだろうと思います。
中国へ出兵して、戻ってきた祖父を思い出しました。もっと、祖父と戦時中についてお話すれば良かったなと今更ながら思います。
でも松山くんを初め、映画「大和」を通して、戦時中を生きた人達に出逢えて、良かったです。

いつでも、周りの人に気づかう松山くん、本当に優しい人なんですね☆
そんな松山くんの良さが、林さん夫妻のお話から伝わってきます!
カムイのとても盛り上がりそうな打ち上げ、松山くんも参加できているとうれしいです。
やっぱり、主役ですし!!
返信する
さちさんへ ()
2008-11-06 07:34:02
おはようございます。
そうそう、映画の内容に圧倒されますね、最初は。
そして、戦闘場面は何回見ても慣れるということができません。
見ていると涙がとまらなくなります。
「死ニ方用意」なんと悲しい言葉でしょう。
そして、
命を永らえさせて帰還してあの仕打ち。
神尾くんをみんなでねぎらってあげたくなりますよね、
時と空間を越えて。

おじいさまとお話ができなかったのは残念ですが、
きっとどこかに同じような経過をたどられた方の文書が
残っていることと思います。
そういうものを探して読まれたら、
おじいさまに共感して差し上げることもできるのではないでしょうか。
たとえ今ご存命でなくても素晴らしいことだと思うのですが。

松山くんは飄々と自然体でまわりに感謝し、気遣えるひとですよね。
だからこそ松山くんの悪口を聞かないんですよね。
もちろん聖人君子ってわけじゃなくて、松山くんの話を聞いていると、
のびやかなひとだなあって、
いつも開放感を感じるんです。
そうだからこそ、まわりも松山くんになんとしてでも、
遠慮しないで○○して・・って言ってあげたくなるのでしょう。
カムイの打ち上げ、どうだったかな、妹尾さんちで見てこなきゃ。
返信する
樹さんへ (とらん)
2008-11-06 13:48:43
私も『YAMATO』は随分あとになってDVDで観ました。結構覚悟を決めて。

以前、NHKの番組である作家の方が大戦当時軍の会議に同席した将校が「大和の出撃はあの場の空気だった」と語ったという逸話を紹介していました。
私は一瞬呆れ、次に頭にきました。飲み会じゃあるまいし、数千の命が懸かっていることを“空気”で決めるなんて‥!
『YAMATO』が戦争礼讚のような馬鹿げた内容では無く、ホッとしました。
そして、松山君が“空気”を読んで上手く立ち回る様なヤツではなく、自分の意志をしっかり持った青年で良かったなと思いました。(ハラハラさせられることも多いですけどねっ)
返信する
とらんさんへ ()
2008-11-06 22:21:19
こんばんは。

私も最初は変な先入観があって、見られなかったんですよ。
主題歌歌っているひとがどうも苦手なのもあって(笑)
でも、あの先頭場面は、中途半端なセンチメンタリズムを蹴飛ばしますね。
無論、実際とは違うのでしょうけれど、
リアル戦中派でないと、
わからないことですよね。
私たちは悲惨を悲惨ときちんと受け止められたらいいと思うし、
大和はそういう意味で、あの戦闘場面に
値打ちがあったかもしれません、ある意味。
エピソードはもちろん、
せつなかったり悲しかったりするのですが、
衝撃で人間がふっとぶ・・それが
戦争なんだという残酷がリアルでした。

NHKの番組の話・・それだけでGOサインが出たのではないでしょうけれど、
一側面としての実話なのでしょうね。
戦争という、非日常で、何がまっとうなことで何がそうでないのか、
常識で考えても納得できないのかもしれません。
大和はあの残酷さによって平和を希求する映画になったとも言えるでしょう、
神尾くんの土下座のシーンも、一つの残酷だと思います。

とらんさんが仰るとおりですね。
普通の人間がまっとうに生きるのもままならぬ世の中なのに、
非常なストレス下に置かれた、俳優松山くんの、その
にんげんとしてのまっとうさに、
いつも感嘆します。
はらはらはいいんです、本質は別にありますからね、ちゃんとね(笑)
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