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玄侑宗久さんコメント、被災薪問題について。

2011-08-14 | 気になったニュース



玄侑宗久さんコメント、
     被災薪問題について。


「五山の送り火で天に届けたかった。断腸の思いだ。被災者に申し訳ない」

 門川大作・京都市長は12日、検査結果を聞いた約2時間後の午後4時から記者会見を開いた。厳しい表情のまま、約1時間の会見中に何度も頭を下げた。

 報道陣からは中止を決めた理由への質問が相次いだ。市長は「微量かどうかが問題ではなく、とにかく検出されないことが前提だった」と強調。食品には放射能で国の基準があることを挙げ、「燃やすことへの国の基準がない。早急に要望したい」と述べた。

 今回の薪は、福島第一原発から200キロ近く離れた国の名勝・高田松原の松。京都市は放射性物質が検出されるとは想定しておらず、市長も「念のためという意識で、安心してもらうための検査だった」。

 一方で、被災者に対しては「すぐにでも陸前高田におわびに行きたい」。陸前高田市側から断られたことは「担当者が連絡した。返事はまだ聞いていない」と述べるにとどまった。

 一連の問題で、市には11日までに約2千件の苦情や批判の声が殺到。今回の決定を受け、12日夜までに130件の声が寄せられた。「断念して安心した」という声が多く、中止を批判する声は少なかったという。(岡田匠)


■福島県に住む芥川賞作家の僧侶、玄侑宗久さんの話

 放射能とどう向き合っていくか。日本人が抱える心の混乱が、京都の送り火というシンボリックな場面で出たと思う。京都市は「被災地を支援したい」との思いから薪を使うことを決めたと思う。でも、放射性物質を帯びているとわかって燃やすことはない。わずかだとしても飛散はする。苦しい思いはわかる。福島県民のなかでも、心の分裂がある。環境中の放射性物質はできる限り取り除きたい心情と、気にしすぎていたら暮らしていけないという心情と。私は、京都を責めないでおきたい。

     ◇

■京都大の内海博司・名誉教授(放射線生物学)の話

 薪の使用中止を決めた京都市の判断を、京都人として恥ずかしく感じる。そもそも薪の表皮を処理してから持ってくる方法もあったうえ、検出された放射性物質の量なら健康には影響しない。市は、「送り火の意味を踏まえ、検出されたが実行する」と言って欲しかった。市は京都の名誉をおとしめるとともに、被災地の風評被害を助長させたと言える。
                                       
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牧草や稲わら、落ち葉を使った腐葉土などの放射能汚染が相次ぐなか、林野庁は12日、福島県に対し、県内で採れる調理用の薪(まき)や木炭と、キノコ栽培に使うおがくずと原木の管理状況を調査するよう通知した。調理や栽培時にどの程度、放射性物質が食べ物に移るのか、科学的なデータがないためという。

 福島第一原発の事故後も屋外に置かれたことがわかったものについては、所有する業者らに利用や譲渡の自粛を求める。同県外に流通したものについては、対象県で汚染の影響がないかどうかの調査を要請する。薪の販売業者から「使って大丈夫か」と同庁に相談が寄せられていたという。

                                        (朝日新聞)


玄侑宗久さんのコメントは、

>日本人が抱える心の混乱が、京都の送り火というシンボリックな場面で出たと思う

玄侑宗久さんは、
対象を拡大化させることで、
京都の2度にわたる拒絶の決定を救済している。
拒絶し、抗議したひとびとを赦している。

でも、これは被災薪問題にとどまらないのではないかと思う。

たとえば、被災地の復興が遅々として進まないことについても、
福島の自主避難の費用をすんなりと国が負担と言い出さないことについても、
あるいは基地問題についても、
ある限られた地方=地元の問題として、
閉じ込めてしまって、
国民の直面する問題という意識づけがないというか。

除染された校庭で体育の授業があり、
戸外で自由に遊べず、
牛乳を控え、長袖を着て、マスクをかけていても、
内部ひばくからまぬがれられず、
日々、不安が頭をかすめながらも、
地元の野菜やたべものを消費している被災地の人と、
原発200キロ圏内からほとんどのひとが逃れられない国土に
住まいしているひとたちとは、
同じ意識をもてないのだろうかと思う。

送り火はするべきだったんじゃないかと私は思う。
まっすぐなこころで被災地に思いをはせることができるだろうか。






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4 コメント

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Unknown (キョーコ)
2011-08-14 06:38:19
樹さん、
お早うございます。

このトピックをいつ取り上げてくださるか、もしかしたら送り火が終わった後かしらと思っていました。記事にしてくださって、ありがとうございます。

二転三転の愚かで無神経な経緯が本当に情けなく恥ずかしいです。
先方様に対し、非礼に非礼を重ねてしまいました。

充分な事前協議も説明も行わず、反対意見の想定もせず(送り火の翌日山に登って、消し炭を家に持ち帰る風習もあるのに)、善意の勢いだけでことを進めたのが最大の問題点でした。
さらにそこに、「有名な行事に参加させてあげる」という傲慢はなかったか…京都市は、風化させず検証していかなければなりません。

陸前高田の皆さまは、心底呆れ、もう構わないで欲しいと感じていらっしゃるでしょう。お詫びの言葉もありません。
返信する
Unknown (夜空)
2011-08-14 16:34:24
先日の 東北3県の花火大会 テレビで見ました・・きれいでした・・

関西からも鎮魂の炎を燃やすことができればホントに良かったのですが、残念な結果になってしまい、キョーコさんのコメントを読ませて頂いてキョーコさんのお気持ちに胸が痛みました。

善意が時として、このような双方が悲しむ結果になってしまうなんて・・

慎重な協議はもちろん必要だけれど、私はあまりにも慎重になり過ぎると、東北への支援が「静かな見守り」になってしまわないかと心配です。

何もかもが想定外の大災害・・玄侑さんの言われる「日本人の抱える混乱」はまだまだ続きます。元気な地域の首長さんは慎重に慎重を重ねながらも、すばやい行動を起こす勇気を持たなければ!批判や反対を避けるために行動を起こさないことこそ、被災地の方々に失礼です。

京都市長様や京都の方々の善意が、次こそ違う形で東北に届くことを信じます。



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キョーコさんへ ()
2011-08-16 08:52:04
おはようございます。
キョーコさん、コメントありがとうございます。

この問題はとても残念な結果に終わりましたね。
でも、陸前高田の方たちも、
この未曾有の大惨事と原発事故ゆえ、
京都の対応に理解はしてくださるのではないかと思います。
だれもがマニュアルをもたずにいるのです。
もちろん、2度にわたっての取りやめは、
それはないだろう、という気持ちにもなるでしょうけれど。
それをみんなの力で乗り越えてゆき、教訓とすればいいのだと思います。

キョーコさんがわが身に背負って、謝罪なさるのが、
私も夜空さんと同じく、胸が痛くなりました。

ただ、私は京都の姿勢のなかに、傲慢さを認めるものではありません。
そこには、お盆を迎える古都の優しさがあったと思います。
他者排斥のレッテルが有名で、敷居が高いといわれる京都ではないですか?
もしも原発事故がなかったら、と思うと、
悔しくてなりません。
市民感情としても、それは叱責されるものではないと思います。
もちろん、それと対照的な意見も叱責されるものではないと思いますし。
玄侑さんの言葉が両者を救い、胸にしみますね。
こういう気持ちが、今後この国には大切なのではないかと思います。
今回は残念でしたが、決して被災地を忘れない京都、
これからもそういう古都であってほしいと思います。
日本人のこころのふるさとですから。
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夜空さんへ ()
2011-08-16 09:01:32
おはようございます。
コメントありがとうございます。
夜空さんがキョーコさんのためにコメント入れてくださって、
とっても嬉しかったです。
そして、夜空さんにとても共感を覚えました。

>批判や反対を避けるために行動を起こさないことこそ、被災地の方々に失礼です。

そうですね。
震災後すぐに、近畿圏でも被災者のかたがたの受け入れを発表しました。
京都もそうだったと思います。
あの迅速な決定と実行、
それを今後も行ってほしいと思います。
何をどれだけの規模で、というより、
きっと、ともにある姿勢というのが、被災地と
京都を結ぶ、
大きな絆になりますよね。

>京都市長様や京都の方々の善意が、次こそ違う形で東北に届くことを信じます。

私もこころからそう思います。

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