一瞬のケア
甥っ子が横浜で結婚式をあげることとなり、
三女の妹夫婦(親)と忙しい三女を補って育ての親ともいうべき次女の妹が結婚式に参列。
長女の私が甥っ子の参列願いを申し訳ないけれど、固辞し、
母親の介護を2日間引き受けることになった。
母は緑内障でほぼ両目が見えず、足腰も弱っていて、
杖をついても歩くのがとてもとてもおぼつかない。
ポータブルトイレがベッドのかたわらに置いてある。
まだ寝たきりではないので、おむつは着用していない。
ポータブルトイレの中身をときどきトイレに流すのは聞いていたし、
簡単な料理をつくって、一緒に食べればいいのだと思っていた。
事実、そうだったのだけれども、
母はトイレに腰を下ろした瞬間に気が緩んでしまうのか、
下着をすこし、濡らしてしまうのだ。
ほんのすこし、でもそれは母を恐縮させるのに十分だった。
「こんなこと初めて・・・」
ショックだろうなあと思ったのだ。
だけど、本当にショックなのは私だった。
実は帰宅した妹に聞いたところ、母は少し前から、
それが普通になっていたというのだ。
細かく聞かなかった私が悪いのかもしれないけれども、
母の認知が完全であると思い込んでしまう状況というのは、
言葉にするのは難しいけれども、動揺したのだった。
母は目が見えないけど、
耳が聞こえるから大丈夫、と
私たちは慰めるのだけれども、
静かになると、時間を測るものがなくなる。
テレビやラジオから音声が流れていなければ。
どれくらいの時間がすぎたのか、
今がいつなのか、がわからなくなるのだ。
だから、今そこにいるのは誰?などと聞かれる。
夜ご飯に、母が大好きな牛肉のしぐれ煮を作ったら、
肉が噛みきれないという。
そういえば、妹が晩はレトルトのカレーでいいよ、と
用意してくれていたのは、上質のレトルトカレーと、
アンパンマンカレーだった。
刺激に弱くなったのかなとそのパッケージを見て思ってたのが、
実は固形物が食べづらくなっていたのだ。
いつから、肉が噛みきれなくなったのだろう。
そして、そういう細かいことを聞いてあげていたら、
母は噛みきれない肉に苦戦することもなかったのに、と。
母は茶碗蒸しを完食してくれたけれど、申し訳なかった。
結婚式の様子を妹が動画と写真で送ってきてくれたけれど、
母は目が見えないから、妹の声が入っている動画を
嬉しそうに聴いていた。
見ることが奪われるって、悲しいことだ・・・
2日目の朝はやわらかなかぼちゃの煮つけと高野豆腐と
きんぴられんこん、空豆の天ぷらにあおさの味噌汁を添えた。
事なきを得た。
YouTubeで、童謡、唱歌の特集を聴くと、
母はエンドレスで聴けることにとても驚き、
口ずさんで喜んだ。
とてもとても平和なひと時ではあったけれど、
母が尋ねることは本当に何度も同じことばかりで、
丁寧に答えて終わったと思うと、
次に聞かれたときには、同じことを、さらに前の手前から
もっと丁寧に答えないとわかってもらえなかったり、
まだらに意識が混濁して、
私が誰なのかと聞いたり・・・
そのつど一生懸命返答していて、すっかり疲れてしまった。
妹たちは私のことを思って、できるだけ早くと帰ってきてくれた。
その気遣い、とても申し訳なかったけれど、嬉しかった。
そして、一日中介護している次女である妹には、
本当に頭がさがる思いだけれど、
妹は嬉々として、
母にいろんな話を聞かせてあげていた。
一瞬の介護で、いろんなことにとまどい、疲れ、
自分の役立たずっぷり、無力さに呆然となった。
預かった実家のカギを返そうとしたら、
妹から、「それはお姉ちゃんが持っていて。
お母さんにはもういらないから」と言われた。
妹は正しい、正しいのだけれど、
悲しかった。