崔洋一監督による≪LcW≫評です。(中日新聞)
松ケンフリーク!さまから記事を転載させていただきました。
(にゃんこ様、ありがとうございました。)
ぜひとも記録として残しておきたく思いましたので。
fanさんが急遽、今日のリベンジ北海道舞台挨拶のために、
てるてる坊主を作ってくださいました。fanさん、ありがとうございます!!
(2008-02-29付再掲載です)
fanさんが急遽、今日のリベンジ北海道舞台挨拶のために、
てるてる坊主を作ってくださいました。
fanさん、ありがとうございます!!
天才探偵Lが魅せた
大ヒット作を読み解く
2008-02-29
大ヒットはめでたいのか…。
実作者の端くれとしては羨ましい限りなのだが、
中田秀夫監督作品『L change the WorLd』の成功は
ややオーバーだがある種の社会現象と言っても良いのかも。
とにかく、小中学生の熱い視線で劇場は燃えているらしい。
前後編としてすでに二作が公開されており、興行の大成功が
スピンオフ(派生作品)としての本編を登場させたのだろう。
まあ、有り体に言えば大儲けしたのが当たり前、と
軽く分析は可能なのだが、僕的に言えば、
これは天才探偵Lこと松山ケンイチの魅力の賜物によるところか。
ジョニー・デップも真っ青なファッショナブルなアイライン
(中性的でエロチック)、洗いざらしのジーパンに白いTシャツの
無造作な存在が、キャラクターを際立たせる。
なおかつ独特の猫背や身体の奇妙な動きが神格化されたLの
知性と想像力を引き出す。
前二作の要、デスノート、すなわちそのノートに名前を書かれれば死ぬ、
と言うややあざといサイコミステリーは、実に難解な内奥する情念と
電子科学のミスマッチな融合が登場人物の関係を単純に生と死に分別する。
これは、観る者に思考を求めない、仕掛けは難解で展開は単純な物語。
で、これが受けた。
本編上では、アバンタイトル(映画の冒頭で本編が分かりやすいように
五分ほどの前説がつく)で、善と悪の権限、夜神月(藤原竜也)が
ちらりと登場するが今回のテーマはキラとの闘いもしくは
キラ的な終結論(これが流行る時代は大体に置いて現実の世界が荒れている)は
控えめで、タイの寒村で新種のウイルスによるバイオテロが勃発。
村が爆撃され村人は全滅する。ただひとりの生存者は聡明で無名の少年
BOY(福田響志)…謀略の仕掛けは環境ゴロ団体と某国家機関。
概ね娯楽映画においては伝統的に悪は過激な全体主義者と狂信的な
清潔主義者と相場なのだが、今回もそのルーティンワーク。
で、そもそもデスノートの存在なのだが、Lの手元にあり、
自らの死を想定しているのは前作の通り。つまり、主人公Lは
死ぬことが決まっている。もしかしたらどんでん返しがあるのかな、
なんて思ってもみたが…次から次へと世界滅亡論者と金の亡者たちの
熾烈な内部抗争とハイテクウイルスとバイオロジーの壮絶な
科学的闘いがあり、小さな正義感はどんどんと萎み、
国家的危機と世界的危機に。
立ち上がるのはアメリカ主導の謀略機関となぜか連邦捜査局(FBI)の
迷捜査官(南原清隆)。Lが好んで使うMacで叩き出す推理と検証は
すべて正論で、手勢六人の、それでも強靭な敵(ボスの高嶋政伸、
気色悪さを好演)を殲滅できるはずなのだが、ここはお約束、
追いつめられるのは当然Lとその協力者たち。
BOYとウイルスキャリアだが低血糖症で発症が遅れている少女真希
(福田麻由子、好演)の同伴は死ぬはずのLの希望としての人間の生だ。
この救いこそが神ではない生身の青年Lの生きる、
いや死への証しであるのは道理か。
無名の漂流者BOYがLにニアと名付けられるのは
時代を引き継ぐ者への宿命であるのは言うまでもない。
次なる『デスノート』では、誰がLを演じるのか…もうお分かりですよね?
(中日新聞)
■映画監督による、トータルな映画解説って、あんまり
読んだことがないのです。
そういう機会をつねに考えているひとなら、
当たり前のことなのかもしれませんが、
とても新鮮に読ませていただきました。
>ジョニー・デップも真っ青なファッショナブルなアイライン
>(中性的でエロチック)、洗いざらしのジーパンに白いTシャツの
>無造作な存在が、キャラクターを際立たせる。
>なおかつ独特の猫背や身体の奇妙な動きが神格化されたLの
>知性と想像力を引き出す。
この部分ですよね。松Lファンとしては(笑)
それから、
>少女真希(福田麻由子、好演)の同伴は
>死ぬはずのLの希望としての人間の生だ。
>この救いこそが神ではない生身の青年Lの生きる、
>いや死への証しであるのは道理か。
こんなふうに書いていただくと、
前2作からLがこんなに飛躍するはずがない、という指摘を
論理的に駆逐できそうですよね。
みなさん、コピペして、ディベートに備えましょうぞ(笑)
催さんは本当はとてもシビアな方 LCWについても私達以上に突っ込みはお有りかと思います
しかし カムイで使う俳優が主演ですので その辺りは大分配慮して
彼の頑張りを素直に認めて下さったかなと(笑)
エロチック 素敵な誉め言葉 是非 カムイで 松山君にそのような 演技指導を(血の叫び(笑)
佐藤さんではありませんがまだまだ伸びしろがある俳優さんだと信じております
催監督是非 色々松山君の良い所を引き出して上げて下さい~! あー楽しみになってきた(笑) なにせエロチックですからね~
まず、そうか、LCWは小中学生に受けてるのか、
と驚きました(ってそこなの?)
あれをLでやる必要があるのか?
Lとして性格が破綻している・・。
という声はよく耳にしますが、
原作はあんなふうに絶たれてしまったので、
原作ファンから「あれはLじゃない」といわれても、
それはもうお門違いですよね。
原作と映画ではプロットが変わったのですから。
でも、商業主義に屈した原作と違って、
商業主義にのっとりながらも、月とLとの刺し違えで
解決を見た、
映画もまた、デスノートの、
社会にたいする影響を見据えた素晴らしい結論と
なっていると思います。
ならば、あの地点にたったLが、限られた時間で
考え、行動し、変貌をとげることに、誰も違和感を
唱えることはないのではないかと思うのです。
原作に縛られて云々言うよりも、原作がたどり着けなかったLの決断、
そして、デスノート世界をどのように閉じてゆくか、
ここに意味を見出すべきではないかと。
デスノートでの月をLは断罪していないし、
「あれが新世界の神の死に方ですか」と
シンパシーも感じています。
デスノートのありようも理解しながら、
だけどLが
>死ぬはずのLの希望としての人間の生
を具現化することに意味があったと思うのです。
デスノート世界の中心人物として。
当初、脚本にはげしく抵抗したと語られる松山くん、
彼のおかげで、
Lが人間として素晴らしく成長したし、
デスノート系のお話しが今後意味をもつための
ハードルを高くしてくれたのは良かったと思います。
きちんとデスノートを総括できたからこそ、です。
それは社会モラルにも貢献したと言えるのではないかと思うのです。
松山くんの両肩には、実はすごく大きなものがのしかかっていたのですね。
見事にそれをおろせてよかったと思います。
その役の生き方を見据えてくださった監督との
タッグが、とても楽しみになりましたね。
こんばんは。
松山くんもスピンオフはデスノート以前の
Lを描くのではないかと思っていたと言ってましたね。
でもLが23日間の命と向き合うところから描きたいと、
そこを描かれて素晴らしい作品になりました。
Lはワタリを失ってはじめて、一人の人間として、
限りある命を雄雄しく、悩みながら、生ききったのでしょう。
Lがどこからきたか・・
神秘的ではあるけれど、もう探すすべはないですね。