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ラ☆スーサのいろいろ
  
 ここ数年はコスタデルソル暮らし。

サンフェルナンドカマロンの旅その2

2016-04-11 20:37:24 | カディス
さて、お次はカマロンがよく歌っていたというバル「ベンタデバルガス」。
でもその前にカマロン像が!



カマロンとカマロンを見上げる少年。
うん。これはきっと少年時代のカマロンが大人のカマロンを見上げる(将来への希望)というか、
大人のカマロンが少年時代を思い出すというか。
そんな、ドラマが繰り広げられている図に違いないよ。

さて記念撮影も住んで、ベンタデバルガスを訪ねると。

ななな、なんと!

ここも閉まっているじゃないのよ。
鍛冶屋と実家は閉まっているとインフォメーションで聞いていたけどまさかここもか!!

覗いてみると工事中。
ダメモトで、「ちょっと見れませんかねーー」と聞いてみましたが。
駄目でした。

きっとセマナサンタも終わって、これからの観光シーズンに向けて改装中なんでしょう。
でもさ、ほかが休みなんだからココは開けるとか、そういう風にしてもらいたいよ。涙。

せっかくだからここでごはん食べようと思っていたのにさ。
腹が減ってきたよ。


仕方がないので外観だけ撮影。

次はカマロンの実家!
ちょっと遠回りだけど運河?川?を見に。しかし直射日光過ぎて熱い!

が、なんとも気持良い。
なんでか知らないけどこの町は本当に気持ちが良い。パワースポットだと思うよ。

知ってはいたけどやはり閉まっている。カマロンの家。



おじさんが「あれ、やってないね。おかしいな」と話しかけてきた。
「おじさん入ったことあるんですか?」と聞くと、
「昔はあるけど、博物館になってからはないよ。
すごくきれいにしちゃったから、全然違う。」

この扉を入っていくと真ん中に共同洗濯場があって、カマロンの家はそこだけど親戚はそっちに住んでいたよ。
もうカマロンが住んでいた頃とは全然違うよ。全然違うってことをだいぶ強調しながらいろいろ説明してくれました。

「おじさんカマロンの事個人的に知っているの?」
「そら50年も住んでいるから。この辺にはカマロンの兄弟も住んでいたよ。私の姪っ子の旦那はカマロンの従妹だよ。」
(もう詳しくの血縁関係を忘れましたが、とにかく遠い親戚のようでした。)


このおじさん、違う場所で生まれたんだけど、軍隊でこの辺に来た時に気に入って住み始めて結婚もしたって言っていました。
サンフェルナンドは気候も人々もとっても良い。って。うん。そう思います。
そしてこのおじさんのカマロンペーニャ会員番号が一桁台、って。すごい。


一般のおうちにカマロンとイエスキリストのタイル絵が。
その前にバルがあって、その前を通ると、そこで飲んでいたおじさんが
「カマロンの写真あるから見て行ったら?」
と声をかけてくれるので。
せっかくだからまたも入ってみましたよ。


ここもおじさんが沢山います。この後もどんどん増えてカードゲームを始めていた。

そしてカマロンの写真。
そしてカマロンの事を知っているよ、っていう数人の人々。

さすがカマロンの近所だよね~。
そこでも一杯いただいて、
お昼時なので開いているはずのペーニャに再び向かいますが!


朝は賑やかだったこの通りも、お昼時はこんなに人影がなくガラーーンとした雰囲気でびっくり。

で、ご存知の通り、ペーニャは開いておらず。
腹ペコマックス!
次は腹ごしらえをしてお墓へ!



cañillaという貝ですが。
んんん?聞いた事あるよ。この名前。
そうそう。ニーニャパストリ、こんなタイトルのCDあったなあ。
って、思ったら、
おおおおお、
ニーニャパストリはサンフェルナンドの出身じゃないかあああ。

と。なんか偶然というか、なんだかよくわからないけど、うきっとテンションが上がったわけです。

味はといえば、ものすごくしょっぱかったですけど。想像通りのこういう小さい貝の味でした。

腹ごしらえも済んで、本命カマロンのお墓へ出発!

ペーニャから歩いて20分くらいのところに墓地はありました。
墓地の入り口で赤いカーネーションを買いました。

カーネーションて、ティッシュペーパーみたいな感じがして好きではないのですが。
スペインで見る赤いカーネーションは本当にキレイ。空気や太陽の色が違うからなんでしょうねえ。

立派なお墓はすぐに見つかって。


ちょっとだけぼんやりして、空気を感じて。


帰りは列車で帰ってきました。その方が近かったので。

結局、街歩き、って感じになってしまいましたが、だいぶ充実した、気持ちのいい遠足となりました。

カマロン!ありがとう!!?





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