朝はくるからね

息子3は通信制高校は卒業できず。今年20歳 不登校は中2 3学期から。これからは、不登校ではなく、引きこもりです。

母(私の母)の信頼

2016-06-22 11:12:37 | 日記
孝mの不登校により 時々母のことを思う。孝mの5万相当の買い物事件の時も。

私はとても母に感謝している。

何を感謝しているかと言うと、信頼を寄せてくれたこと。

私は3姉妹の真ん中 親からの意識が 一番薄い位置にある。

父は私が高校の時、卒業したらどこにでも好きな所に行きなさい と言った。

私は九州の田舎から 東京(その頃は花の東京)に行った。

そのことに 何の反対もなかった。

有難いことに 父親は田舎の地方公務員だが、考えの開けたところがあった。

母は小さい時から こうしなさい ああしなさい ああしたら こうしたら 等 うるさく言わない人だった。

勉強しなさいと言われた記憶もない。

母が私の部屋に入って来たのは、受験勉強の時 小さなおにぎりを握って夜食として持って来てくれた時ぐらい。

私は短大に行き、その後 勝手に決めて専攻科に行き、卒業後 勝手に東京に残り、更には その後 親の考えも及ばない 好きな道を好きなように生きてしまった。

半ば勘当ものだった。

親には 多大なる迷惑と心配をかけてしまった。

29才で結婚し 子供ができて 待望の男の孫。

親の気持ちも解けていってくれた。

母はいつの時も 信頼を寄せてくれた。 

  
  どんな時も。  どんな時も。


よく 一番上の息子の事で 相談を母にしていた。

福aは 何を言っても 利かない子だった。(普通の枠から かなり突出していた)

母は「失敗したら したで 自分で責任をとって貰ったらいいとよ、 それでいいとよ。」と。

孝mの買い物事件の時 思った。

母が私を信頼してくれたように 私も信頼しようと。

私だったら できる できるはず、 きっと出来る (そのうち・・・)と思えた。

今は失敗ばかりだけど・・・ 


お母さんの子供で良かった。

お母さん ありがとう。 

          
       ~~感謝~~

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