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Lady Ella

ひとり語り・・・

酒呑み・・・考。

2005-03-19 19:17:46 | 雑記
 酒の愉しみ・・・と上戸について考えてみる。
 
 とりあえず、字引で上戸を引いてみる。すると律令制のなかで、正丁のいる戸、四等戸に分かれており(大戸・上戸・中戸・下戸)一戸内に6~7人いる。
 大酒飲み、酒好きの人、酒を飲んだ時に出る癖の状態。と書いてある。まぁ私なんかが思っていた上戸、下戸は酒飲みのほうに限られた話しだったのだろうが、語源的には律令制のなかの税の種類みたいな事が解かったのは収穫であった。

 なぜ、私がこんな事を言い出したかと言うと、私は甚だ酒癖と言うのがよろしくない。飲めばその時の気分でどうにでもなってしまう。もともと感情の起伏が激しいほうなので楽しければとことん、悲しくなってもとことんなんである。であるから、世間様に言うような泣き上戸なところもあれば怒り上戸、はたまた説教上戸なんてのにもなってしまう。しかし、人の酔態を二十数年に渡って見続けて来ると、確かに千差万別、十人十色なんであるが、大体のパターンにはまってきてしまうように思う。病的なある種の神経障害のような場合を除いては、そうですねぇ、五つくらいなのではないのかな・・・
 そして私が気付いた事ってのが、酔いと言うのは普段の生活の中で自分が思っている事なんかの増幅でしかないのではないか・・・って事なのである。通常の生活のなかでも人の性格はおおまかに、ほんと、おおまかにですよ、分けて考えれば血液型の四つ、多くとも星座占いの十二もあれば足りてしまう。ただその組み合わせと言うか脳の複雑さの中で各個人の個性と言うようなものが出来上がってくる。しかしそこには社会性のなかで発揮できるものもあればできないものもある、まして言いたい事、自分の考え方なんかを人に伝えるなんてのは不完全な自分と言語の中ではほぼ不可能になってしまう。するとその目に見えないストレス状のものが酔いという名の手助けを借りて開放の方向に向かっていく。それが、ある種の上戸であり酔態の実体なのではないか・・・と言う事は、ある種の緊張状態に自分を置いてやればそんなに酒の上での失態というのはなくなっていく。ただそれは酔うイコール開放という方向とはまったくの逆に向かい、酒の愉しみのうちの最上位に私がランクする酔いの愉しみというものからはかけ離れたところにいってしまう。

 どうすりゃいいんだ・・・ただ考えず、闇雲に酔いに身を任せる事が必要な時がある。しかしそれだけでは自分の中の負の遺産が先送りされていくだけである。素面で解決出来ないものが酔いの力を借りてしまったところで解決できるわけもない。しかしである。やはり素面で自分と向き合って自分の実体というものをおぼろげながらにでも掴んでいれば、酔いと言うパワーはその本領を発揮できるのじゃないか、人生の半分以上を酔いとシラの狭間で生きてきた私の実感である。早く速く大人になりたかった小僧の私が自分と向き合う事もせずただただ飲み続けていたら・・・それはまた違った人生になったりしたのかも知れない。ただ私は本当の大人になりたいんだ。どんなに知識を詰め込んだとしてもそれはただの知識でしかなく、酔った時には経験則・・・それも自分よがりな・・・ものでしか物が見えない、ただ人よりもちょっとだけ長く生きてきたって事しか言えないつまらん頑固親父になってしまう。そうではない。酔いの愉しみは大人の愉しみもある。ガキの時に吐くまで飲んで、立ち直れないほどの自己嫌悪と宿酔いに涙した事が大事だったのではないか、それが出来なかったのならサーフェイスだけではない深淵を自分の力のみで探し出した者のみが酒の酔いの愉しみを享受できるように思う。さ~て愚かな私はぐだぐだと自己弁護をした後で、今宵もまた、酒の神秘の力を借りて人の心の奥底を、自分の闇を覗きに行くか・・・その先の愉しみを探しに・・・・・
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