受験シーズンでなくても、引きも切らず参拝者が訪れる北野天満宮。
(参拝者が途切れた時に拝殿を撮影)
今日の午後2時から北野天満宮では「余香祭」が行われます。あまり知られていないかもしれませんが、北野天満宮の旧儀のひとつです。
昌泰3(900)年、重陽の節供の9月9日の翌日の10日夜に、清涼殿で開かれた宴で詩を詠まれた菅原道真公は、その詩に感銘を受けた醍醐天皇より御衣を賜ります。その御衣には馥郁な香りがたきこめられていました。醍醐天皇が感銘を受けた詩は「秋思の詩」と呼ばれ、その詩とは、
丞相度年幾楽思(丞相年を度って幾たびか楽思す)
今宵触物自然悲(今宵物に触れて自然に悲し)
声寒絡緯風吹処(声は寒し絡緯風吹くの処)
葉落梧桐雨打時(葉は落つ梧桐雨打つの時)
君富春秋臣漸老(君は春秋に富み臣漸く老ゆ)
恩無涯岸報猶遅(恩は涯岸無く報ゆること猶遅し)
不知此意何安慰(知らず此の意何にか安慰せん)
飲酒聴琴又詠詩(酒を飲み琴を聞き又詩を詠ず)
で、右大臣としての今の心情をありのままに詠んだ詩です。しかし翌年、左大臣の藤原時平の讒言で右大臣から大宰員外帥に左遷され、大宰府へ赴任します。大宰員外帥とは大宰権帥と同様に表向きは大宰帥に次ぐ役職ですが、じつは左遷ポストで権限がない役職です。その太宰府では謹慎のような生活を送りながら、醍醐天皇から賜った御衣とその残り香から追想して詠んだ詩がこちら。
去年今夜侍清涼(去年の今夜清涼に侍す)
愁思詩篇独断腸(秋思の詩篇独り腸を断つ)
恩賜御衣今在此(恩賜の御衣は今此に在り)
捧持毎日拝余香(捧持して毎日余香を拝す)
であり、この詩の「余香に拝す」に因んで北野天満宮で行われている旧儀が余香祭です。
長らく途絶えていたのですが、百年前の大正8年の10月29日(旧暦の9月9日)に再興し、以降は毎年この日に行われています。当日は神前に黄菊と白菊を飾り、全員が冠に小菊をかざして奉仕され、拝殿の横にも菊の花が献花されています。
拝殿では毎年決められた兼題で全国から寄せられた献詠を選出して神前でその披露が行われます。残念ながら参拝者は昇殿できませんが、神職が社務所から三光門をくぐって昇殿されるまでの一連の行為は境内で見ることができ、拝殿で行われている献詠も外から聞くことはできます。献詠が主ですが、重陽の節供と菊も関連している、奥ゆかしい秋の祭儀です。
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さて、最後にちょっとだけ脱線。神職が昇殿の前にくぐられる三光門ですが、三光とは「日」「月」「星」の光のことで、梁の間に彫刻があることが名前の由来です。
(三光門)
しかしながら、日の彫刻と月の彫刻は見られるのですが、星の彫刻だけが見られません。
(日の彫刻)
(月の彫刻)
その理由は、かつて朝廷があった大極殿から北野天満宮を望むと北極星が輝くちょうど真下に三光門があったことから、星の彫刻はないのだとか。星は北極星ということで、北野天満宮の七不思議のひとつだそうです。日の彫刻と月の彫刻は簡単に見つけられますが、参拝がてら門のどこにあるか探してみるのも楽しいのではないでしょうか。