京都洛北、鷹峯にある光悦寺と源光庵の紅葉です。
まずは光悦寺から。


光悦寺は、徳川家康から鷹峯を拝領した芸術家の本阿弥光悦の屋敷跡で、日蓮宗の寺院です。
鷹峯は「京の七口」のひとつ「長坂口」にあたり、周山へと向かう街道口でしたが、当時は「辻斬り追い剥ぎ」の出没する物騒な場所でした。
光悦とその一族、さまざまな工芸の職人が移り住むことで、芸術村として変貌します。
次に源光庵の紅葉。





源光庵は、もともとは大徳寺の徹翁義亨の隠居所として1346年に開基され、その後1694年に卍山道白により曹洞宗に改宗されています。
本堂の天井は、1600年の伏見城の戦いで石田三成に敗れた徳川家康の家臣鳥居元忠らを弔うため、血痕の残る床板が張られており、その脇には有名な、丸窓の「悟りの窓」と角窓の「迷いの窓」があります。
なお血天井は源光庵以外にも、京都市内では養源院、宝泉院、正伝寺、栄春寺、天球院(妙心寺の塔頭)に、京都市外では宇治市の興聖寺と八幡市の神応寺にも張られています。
光悦寺や源光庵の近くには、島原の二代目吉野太夫が朱門を寄進した常照寺などもあり、鷹峯は紅葉以外にも見どころのある地ですよ。
まずは光悦寺から。


光悦寺は、徳川家康から鷹峯を拝領した芸術家の本阿弥光悦の屋敷跡で、日蓮宗の寺院です。
鷹峯は「京の七口」のひとつ「長坂口」にあたり、周山へと向かう街道口でしたが、当時は「辻斬り追い剥ぎ」の出没する物騒な場所でした。
光悦とその一族、さまざまな工芸の職人が移り住むことで、芸術村として変貌します。
次に源光庵の紅葉。





源光庵は、もともとは大徳寺の徹翁義亨の隠居所として1346年に開基され、その後1694年に卍山道白により曹洞宗に改宗されています。
本堂の天井は、1600年の伏見城の戦いで石田三成に敗れた徳川家康の家臣鳥居元忠らを弔うため、血痕の残る床板が張られており、その脇には有名な、丸窓の「悟りの窓」と角窓の「迷いの窓」があります。
なお血天井は源光庵以外にも、京都市内では養源院、宝泉院、正伝寺、栄春寺、天球院(妙心寺の塔頭)に、京都市外では宇治市の興聖寺と八幡市の神応寺にも張られています。
光悦寺や源光庵の近くには、島原の二代目吉野太夫が朱門を寄進した常照寺などもあり、鷹峯は紅葉以外にも見どころのある地ですよ。