京都では、牡丹が終わりちょうど芍薬が見頃を迎えています。ところで、牡丹と芍薬と聞いて思い出される言葉といえば「立てば芍薬、座れば牡丹」ではないでしょうか。この後に「歩く姿は百合の花」と続き、女性の美しさを形容する言葉として有名ですが、実はこれ、それぞれの植物を生薬として処方した漢方薬の効果が発揮する症状を表しているそうです。
まずは「立てば芍薬」ですが、芍薬は乾燥させた根が生薬として用いられます。皮を除去したものは 『白芍(びゃくしゃく)』といい、皮付きのままのものは『赤芍(せきしゃく)』といいますが、これらは鎮痛・鎮痙薬に利用されます。立つときの痛みや筋肉のこわばりを解消し、立ってイライラする状況を改善するのに役立つことから「立てば芍薬」と表現するそうです。
(芍薬の花)
次に「座れば牡丹」ですが、牡丹も乾燥させた根皮を生薬『牡丹皮(ぼたんぴ)』として用います。漢方では腹部に血流が滞り血液がドロドロで血行障害が起こった状態を『瘀血(おけつ)』といいますが、牡丹皮にはこの瘀血を改善する効果があり、血行障害や貧血でいつもぺたんと座ってばかりいる状況をよくすることから「座れば牡丹」という表現になるようです。
(牡丹の花)
なお「歩く姿は百合の花」は、乾燥させた百合の鱗茎を『百合(びゃくごう)』と称して生薬に用いますが、消炎・鎮咳・利尿・鎮静薬として利用できるだけでなく精神安定薬的な効用も併せ持つことから、少し心身症になった状態を百合の花のように首をかしげてなよなよと歩く姿にたとえ、その状態を改善する効果があることから「歩く姿は百合の花」と表現するようです。
もちろん「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」は、それぞれの姿形を表したものでもあることでしょう。芍薬と牡丹では、草本類である芍薬は枝分かれせずにまっすぐに立つのに対し、落葉低木の木本類である牡丹は横にも広がる性質があるため、芍薬は立っているように、そして牡丹は座っているようにも見えるでしょうね。
まずは「立てば芍薬」ですが、芍薬は乾燥させた根が生薬として用いられます。皮を除去したものは 『白芍(びゃくしゃく)』といい、皮付きのままのものは『赤芍(せきしゃく)』といいますが、これらは鎮痛・鎮痙薬に利用されます。立つときの痛みや筋肉のこわばりを解消し、立ってイライラする状況を改善するのに役立つことから「立てば芍薬」と表現するそうです。
(芍薬の花)
次に「座れば牡丹」ですが、牡丹も乾燥させた根皮を生薬『牡丹皮(ぼたんぴ)』として用います。漢方では腹部に血流が滞り血液がドロドロで血行障害が起こった状態を『瘀血(おけつ)』といいますが、牡丹皮にはこの瘀血を改善する効果があり、血行障害や貧血でいつもぺたんと座ってばかりいる状況をよくすることから「座れば牡丹」という表現になるようです。
(牡丹の花)
なお「歩く姿は百合の花」は、乾燥させた百合の鱗茎を『百合(びゃくごう)』と称して生薬に用いますが、消炎・鎮咳・利尿・鎮静薬として利用できるだけでなく精神安定薬的な効用も併せ持つことから、少し心身症になった状態を百合の花のように首をかしげてなよなよと歩く姿にたとえ、その状態を改善する効果があることから「歩く姿は百合の花」と表現するようです。
もちろん「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」は、それぞれの姿形を表したものでもあることでしょう。芍薬と牡丹では、草本類である芍薬は枝分かれせずにまっすぐに立つのに対し、落葉低木の木本類である牡丹は横にも広がる性質があるため、芍薬は立っているように、そして牡丹は座っているようにも見えるでしょうね。
ものすごく勉強になりました!(^^)!
例えば歴史の年号を覚えたり元素を覚えたりみたいな薬草バージョンだったのですね!(^^)!
ありがとうございましたm(_ _)m
その言葉は漢方薬処方の話だったのですね。
昔の漢方医の人たちは、そのような歌?で、処方のキモを覚えたのですね。
実に勉強になりました。
本当にありがとうございました。
私もこの話を聞いたときは驚きましたが、なるほどと納得もしました。それぞれの花や咲き姿の美しさから美人を形容する言葉として有名ですが、そのじつは漢方薬として処方する症状を表していることに感心しました。