磯砂山(いさなごさん)には、天女が舞い降りたと言う女池(めいけ)が有ります。この女池の案内標識には、次のように記されています。
磯砂女池の羽衣伝説
北畠親房著の元元集(1337年)に「丹後国風土記に曰く、丹後国比治の山の山頂に井あり、その名を真井(女池)という。この井に天女八人降り来て水を浴みき。麓の和奈佐という老夫、天女の衣をかくし、児として無理に連れ帰る。
天女万病に効く天酒をよくす、十有余年するうち、老夫の家富み栄ゆるも、老夫は”汝はもともとわが児にあらず”と家より追う。天女は泣く泣く放浪し、竹野の郡舟木の里にたどりて死す。
里人天女を奈具社に祀る。こは豊宇賀能売の命(伊勢外宮の豊受大神)なり」
と、このように女池の羽衣伝説は日本各地に数ある羽衣伝説の中でも極めて格調の高いものである。 大宮町
この植林中の水溜まりが「女池」です。私は、天女が舞い降りた池と言うことで、さぞ、綺麗な池を想像していたのですが、薄暗い、水浴するとヘドロが舞い上がるような、想像とはかけ離れた池でした。
しかし、京丹後市辺りでは、ここは、最も有名な伝説に出てくる場所でもあり、京丹後市が全国に誇る観光地でもあるのです。それが、この状態では、後の観光地は、言わずとも察しが付いてしまいます。
また、この伝説に出てくる和奈佐という老夫は、これが真実であれば、人間として、とても許せるものではありません。普通伝説というものは、何か夢を抱かせるものですが、この羽衣伝説では、夢がしぼんでしまいました。
ものは、書き方一つで、どうとでもなるものですが、京丹後市は正直過ぎるのでしょうか。
女池は、磯砂山登山道から、少しそれた所にあります。登山道に戻り、千十段の階段を上ると山頂に着きます。ここは丹後一の高所ですから、天橋立から久美浜湾を一望できます。次回は、ここの紹介です。
磯砂女池の羽衣伝説
北畠親房著の元元集(1337年)に「丹後国風土記に曰く、丹後国比治の山の山頂に井あり、その名を真井(女池)という。この井に天女八人降り来て水を浴みき。麓の和奈佐という老夫、天女の衣をかくし、児として無理に連れ帰る。
天女万病に効く天酒をよくす、十有余年するうち、老夫の家富み栄ゆるも、老夫は”汝はもともとわが児にあらず”と家より追う。天女は泣く泣く放浪し、竹野の郡舟木の里にたどりて死す。
里人天女を奈具社に祀る。こは豊宇賀能売の命(伊勢外宮の豊受大神)なり」
と、このように女池の羽衣伝説は日本各地に数ある羽衣伝説の中でも極めて格調の高いものである。 大宮町
この植林中の水溜まりが「女池」です。私は、天女が舞い降りた池と言うことで、さぞ、綺麗な池を想像していたのですが、薄暗い、水浴するとヘドロが舞い上がるような、想像とはかけ離れた池でした。
しかし、京丹後市辺りでは、ここは、最も有名な伝説に出てくる場所でもあり、京丹後市が全国に誇る観光地でもあるのです。それが、この状態では、後の観光地は、言わずとも察しが付いてしまいます。
また、この伝説に出てくる和奈佐という老夫は、これが真実であれば、人間として、とても許せるものではありません。普通伝説というものは、何か夢を抱かせるものですが、この羽衣伝説では、夢がしぼんでしまいました。
ものは、書き方一つで、どうとでもなるものですが、京丹後市は正直過ぎるのでしょうか。
女池は、磯砂山登山道から、少しそれた所にあります。登山道に戻り、千十段の階段を上ると山頂に着きます。ここは丹後一の高所ですから、天橋立から久美浜湾を一望できます。次回は、ここの紹介です。