ああ、実に多くの才能が無駄な教本、選曲のせいで自信と希望を失い、しぼんでいっているに違いない。
ここでは具体的にどれがそれ、と書くのは差し控えるが、音楽的感性と刺激しない音楽的な霊感を宿さない曲に時間と労力を割くのは、まったくもって最大の無駄、
恋人を選び損ねる以上の損失だ。
日本では、ソナタにいきなり入らず、ソナチネ、というワンクッションを置いているが実はこれ、現代ピアノで弾くのにはかなりの勇気が要る。
アクションもまるで違うし、小ソナタ、だからとっつきやすいに違いないというのは誤解であると思う。逆に近現代、ロマン派、色々なソナタを勉強しつくした人がさかのぼる形で研究する対象ではないかとさえ思う。
今のピアノでソナタに入るには、まずベートーヴェンから入るのがもっとも自然であると思う。現代ピアノへの過渡期に、というかベートーヴェンがそれを促す立場にあった楽器が進化する過程に書かれた作品であるため、それ以前のモーツァルトやソナチネが盛んに書かれた時代のクラヴィーア(鍵盤楽器群)ほどの違和感は感じないし、それに何といっても音楽の質が申し分なく、魂が充足感を感じるからだ。
練習曲とはいえ、その曲と長い時間連れ添うのだから、同じ苦労なら惚れぬいた曲で音楽語法もテクニックも磨いていけるのが理想だとおもう。
振り返れば先生が良かれと思って与えてくださった教本の多くは、3分の1で十分だった。はっきり言って名教師Cの教本は30番だけすれば十分だし、60までやったところでショパンのエチュードとは階段というよりフロア何回分の開きがある。
あの難曲を指定どおりのテンポで弾くつもりで準備してこなければいつまでたっても解決しないのだ。問題集をいくらこなしたところで志望校の対策をしていないのに似ている。だから、極論すれば、弾きたい曲がある人は最初からそれを弾けば良いのだ。それに必要なテクニックを養うにはどうすればよいか、逆算する形で最低限準備すべき曲とテクニックが見えてくるから。とはいえ、テクニックとは単純な動きの組み合わせに過ぎないのだが・・
だからコルトーやゴドフスキーがショパンのエチュードからあれこれとまた練習法を編み出してくれるのだが・・
しかし、この場合、一番ヒントになったのはコルトーの指使い。
運指で大抵のフレージングは想像つくからだ。
指使いといえば、バルトークのベートーヴェンにおける運指も特殊だ。
この人はこの曲をどう解釈しているか?
非常に明解で的を得ている。
そのバルトークはミクロコスモス、という教本を作った人でもあるが、やはり
彼らの旋律、リズム感ならではの教本であろう。私たちにはエキゾチックなものでも彼らにはノスタルジーの源泉なのかもしれない。
日本にもそういう日本的な特徴を伸ばす教本がないのだろうか?
変にこねくり回していない自然な教本が・・
私はバイエルで良くも悪くも和声感が刷り込まれたのだが、それがもっとも共感出来るのはブルックナーにおける4小節、8小節の単位の身体感覚。
だから、それ以外の字あまり的なモーツァルトの小節感、が異質なものとして感知される。
ここでは具体的にどれがそれ、と書くのは差し控えるが、音楽的感性と刺激しない音楽的な霊感を宿さない曲に時間と労力を割くのは、まったくもって最大の無駄、
恋人を選び損ねる以上の損失だ。
日本では、ソナタにいきなり入らず、ソナチネ、というワンクッションを置いているが実はこれ、現代ピアノで弾くのにはかなりの勇気が要る。
アクションもまるで違うし、小ソナタ、だからとっつきやすいに違いないというのは誤解であると思う。逆に近現代、ロマン派、色々なソナタを勉強しつくした人がさかのぼる形で研究する対象ではないかとさえ思う。
今のピアノでソナタに入るには、まずベートーヴェンから入るのがもっとも自然であると思う。現代ピアノへの過渡期に、というかベートーヴェンがそれを促す立場にあった楽器が進化する過程に書かれた作品であるため、それ以前のモーツァルトやソナチネが盛んに書かれた時代のクラヴィーア(鍵盤楽器群)ほどの違和感は感じないし、それに何といっても音楽の質が申し分なく、魂が充足感を感じるからだ。
練習曲とはいえ、その曲と長い時間連れ添うのだから、同じ苦労なら惚れぬいた曲で音楽語法もテクニックも磨いていけるのが理想だとおもう。
振り返れば先生が良かれと思って与えてくださった教本の多くは、3分の1で十分だった。はっきり言って名教師Cの教本は30番だけすれば十分だし、60までやったところでショパンのエチュードとは階段というよりフロア何回分の開きがある。
あの難曲を指定どおりのテンポで弾くつもりで準備してこなければいつまでたっても解決しないのだ。問題集をいくらこなしたところで志望校の対策をしていないのに似ている。だから、極論すれば、弾きたい曲がある人は最初からそれを弾けば良いのだ。それに必要なテクニックを養うにはどうすればよいか、逆算する形で最低限準備すべき曲とテクニックが見えてくるから。とはいえ、テクニックとは単純な動きの組み合わせに過ぎないのだが・・
だからコルトーやゴドフスキーがショパンのエチュードからあれこれとまた練習法を編み出してくれるのだが・・
しかし、この場合、一番ヒントになったのはコルトーの指使い。
運指で大抵のフレージングは想像つくからだ。
指使いといえば、バルトークのベートーヴェンにおける運指も特殊だ。
この人はこの曲をどう解釈しているか?
非常に明解で的を得ている。
そのバルトークはミクロコスモス、という教本を作った人でもあるが、やはり
彼らの旋律、リズム感ならではの教本であろう。私たちにはエキゾチックなものでも彼らにはノスタルジーの源泉なのかもしれない。
日本にもそういう日本的な特徴を伸ばす教本がないのだろうか?
変にこねくり回していない自然な教本が・・
私はバイエルで良くも悪くも和声感が刷り込まれたのだが、それがもっとも共感出来るのはブルックナーにおける4小節、8小節の単位の身体感覚。
だから、それ以外の字あまり的なモーツァルトの小節感、が異質なものとして感知される。