ところで話は変わるけど。

身近な話とディープな話など。

戦前の日本との比較。【其の二】(追加)

2005年07月16日 | 歴史
明治十九年、清国の丁汝昌提督が北洋艦隊主力艦四隻を率いて長崎港に入港しました。
これは朝鮮半島を巡っての清国側の日本への威圧でした(当然これは重大な外交問題です、普通なら宣戦布告で即開戦です。)。さらに清国の水兵が飲酒し現地の日本人を暴行、それを止めようとした日本の警察官と争いとなり死傷者まで出るという事件がおこりました。これが「清国水兵暴行事件」です。
しかしこれだけの傍若無人な清国に対しても日本政府は話し合いで解決を目指し、問題の拡大を避けました。当然、国内で政府は「弱腰外交」だ、と非難されました。
その前にも朝鮮でのクーデター中に日本公使館が清国に攻撃され、また多数の日本人が殺されました。
それでも日本は国力が充実するまで徹底して争いを避け続けます。

しかし清国はそれをいいことに益々日本への挑発を強め「日清戦争」と相成る訳です。

まあ自分としては最初から「他国(朝鮮)なんてほっとけば良いのに・・・」と思うのですが、それはそれその時代でしか分からない、「半島自身の問題」もあったし「ロシア南下の恐怖」というのもあったのでしょう。(今でも一部の政治家が、かの国に脊椎反射で肩入れしてますが何故か分かりませんww)

それにしても日本は「右か左か」「やるかやらないか」しかないみたいで・・・現在の日本もそうですが、幾らか適度な強い外交姿勢で臨めば他国に嘗められる事もないでしょうに。
それによるマイナス(竹島・ガス田・靖国・教科書・ETC・・・)の方が大きいと思うのですが・・・?

というわけで昔からあった日本特有の「とりあえず謝っとけ」というのは国際社会ではまったく通用してません。そしてそれを未だに続けて「中国・朝鮮」に嘗められまくってるという次第であります。

さて、とりあえず外交はお粗末だった「日清戦争」で快勝を収めた日本ですが、何故か強大軍事国であったロシアとの戦い、「日露戦争」では外交とともに完全勝利を手にすることとなります。

【戦前の日本との比較】
①支那大陸政権との外交
戦前:清国に対して譲歩し続ける「国力が充実していないので」
戦後:中国共産党に対して譲歩し続ける(ODA利権での弱みあり)「自虐史観教育の賜物?左翼売国創価勢力。事なかれ主義。」
②その結果
戦前:前面対決→日清戦争勝利
戦後:国内分裂、主権侵害継続


福沢諭吉 「脱亜論」(明治18年)

2005年07月16日 | 歴史
福沢諭吉 「脱亜論」(明治18年)

 日本の不幸は中国と朝鮮だ。
この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているが、
もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、 日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。
情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、
過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。
国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。
もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。

「東アジア共同体」の一員として その繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。
日本は、大陸や半島との関係を絶ち、 欧米と共に進まなければならない。
ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。
この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。
悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。
私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。

原文
http://www.chukai.ne.jp/~masago/datuaron.html



最近結構取り上げられてますね、福沢諭吉。
「天は人の上に~」はと言われるが現実は・・・。
という文章だとか。