歌人の 河野裕子さんが、十二日に亡くなられた。
河野さんとは、二度お会いしたことがある。二〇〇八年の五月のNHKの肥前路
吟行の公開収録に神埼市千代田町にお見えになったとき、それから去年の十一月に
京都での講演の時で、そのあとの懇親会で間近にお話することができた。
雲の上の人で、恐れ多いとは思いつつ、ビールの勢いでお話することができ河野さんへの憧れの気持ちを率直に伝えて、
その上に握手までしていただいた。同じ結社に所属していた時期もあり、
そのお話をすると懐かしいと言われた。お着物を素適に着こなされていて、癌が再発したとお話されたが、お元気そうだったので、訃報がいまだに信じられない 。
講演の内容は、短歌との出会いから、角川短歌賞に応募されたときのことや短歌との関わり方、癌になられた時に感じられたことなど、
具体的には癌を宣告されて帰る途中の出町柳の風景が人が美しくて涙がぼろぼろ出られたそうだ。歌人向けの講演ではなかったが、
短歌にしても他の趣味にしても永く続けなさいと力強いエールを頂いた。病気と闘いながら、作歌に選歌や講演など精力的に活躍されていた。
作品の新鮮さや迫力にただただ尊敬する女流歌人のひとりでした。心からご冥福をお祈りいたします。
・たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり
この「昏き器」は、琵琶湖の事と思っていた。そう解釈される歌人も多いが
琵琶湖もふくめた近江のことを言っていると河野さんが言われたのは目から鱗だった。
・さびしさよこの世のほかの世を知らず夜の駅舎に雪を見てをり
・かうなれば体力温存猫二匹身体に添はせ昼より眠る
・今死ねば今が晩年 あごの無き鵙のよこがほ西日に並ぶ
・蕗の葉のみどり豊に広ごれる苑にふみ入れり春は淋しも
・虚しさは虚しさのみにもどりゆき砂時計無心に時を移しゐつ
上の二首は、十代の頃に結社誌に掲載の作品
☆神様にガサッとさらはるるやうに逝き給ひたる河野裕子さん(洋子)