自由に生きてく方法なんて100通りだってあるさーという歌詞を初めて耳にしたのはカップヌードルのCMソングでした。
小学生の僕の人生を変えるには十分な破壊力をもったメッセージでした。
当時は誰が歌っているのかも知らなく、高校生の時に、浜田省吾さんフアンの友人から借りたテープで頭の中で何時も鳴っていた曲は
風を感じてという曲だと初めて知りました。
幼い頃、僕はこの曲がイメージする自由な感覚や荒野とか冒険とか何か分からないけれど、今でいえば旅に出るようなワクワク感のよう
なものを感じ憧憬の念を覚えたのを今でも鮮明に思いだせます。
大人になるにつれて音楽も代わり、何年もきちんと聞く事は無く占い師として独立するようになってしばらくした頃、島根県の出雲
大社に参拝に行った時、真っすぐな道と青い空、白い雲に合う曲が聞きたくてダウンロードしました。
大人になってこの曲を聞くと、子供の頃は分からなかった歌の情景がリアルに想像できました。
この歌の主人公のように僕自信も、自分らしく生きたい、何故自由に生きれないのか、苦しいのかと散々もがいたからです。
何かをやるにも、きわだった才能も無く、小説は全く売れず、バイトをしながら生活費を稼ぎそしてその生活費を稼ぐ事に時間を
とられ、やっと解放された頃には精魂尽き果てクタクタでそのまま眠ってしまう。そして朝、通勤電車の中でこんなはずじゃなか
った。どうして昨日の夜努力出来なかったのかと自分自身を呪う毎日。
手に出来た物は社会から落ちこぼれた敗北感だけでした。
希望を燃料にする代わりに憎しみを燃料として生きていた時代。
それ意外に燃やす物が無かった。
今思えば、その憎しみの感情が有ったお陰で自分自信を前に進める事が出来たと思うのです。
そんな時になんどか小学生の頃聞いたこの歌のあのフレーズが何度も心の中でリフレインされ、その度にいつか自由に生きれるようになりたいという思いだけは、無くなりませんでした。
小学生の頃夢見た自由、そして青年期に挫折しながらも夢みた自由、そして自由へのスタートを切れた今。
どの瞬間も風を感じてという曲が僕の中にあり、不思議なエネルギーを僕自身に注入し続けてくれました。
神はいるか?とういう事を客観的に、多数の人に証明するのは無理です。ですから現実的には信じるか信じないかという問題になります。
それと同じように、僕は具体的には全く分からないし根拠はないけど、自分が感じる自由はあって必ずそこに行けるという確信がありました。
今思えば、このエネルギーは何時も側に有ってそれが僕を押し出してくれた。
そう感じるのです。
浜田省吾さんの風を感じてを聞くたびに、小学生の頃感じた自由への衝動に戻る事が出来るのです。
そういえば、購入する商品も、自由のスピリットが宿っていると感じる、Appleやハーレー、フアットパンダ、そしてLMLという製品を溺愛しています。
それらは、単なる製品ではなく自由を表現した意識の塊として僕に作用し、そのような感性を持ち続けられたのもこの音楽との出会いがあったからなのです。
風を感じて
小学生の僕の人生を変えるには十分な破壊力をもったメッセージでした。
当時は誰が歌っているのかも知らなく、高校生の時に、浜田省吾さんフアンの友人から借りたテープで頭の中で何時も鳴っていた曲は
風を感じてという曲だと初めて知りました。
幼い頃、僕はこの曲がイメージする自由な感覚や荒野とか冒険とか何か分からないけれど、今でいえば旅に出るようなワクワク感のよう
なものを感じ憧憬の念を覚えたのを今でも鮮明に思いだせます。
大人になるにつれて音楽も代わり、何年もきちんと聞く事は無く占い師として独立するようになってしばらくした頃、島根県の出雲
大社に参拝に行った時、真っすぐな道と青い空、白い雲に合う曲が聞きたくてダウンロードしました。
大人になってこの曲を聞くと、子供の頃は分からなかった歌の情景がリアルに想像できました。
この歌の主人公のように僕自信も、自分らしく生きたい、何故自由に生きれないのか、苦しいのかと散々もがいたからです。
何かをやるにも、きわだった才能も無く、小説は全く売れず、バイトをしながら生活費を稼ぎそしてその生活費を稼ぐ事に時間を
とられ、やっと解放された頃には精魂尽き果てクタクタでそのまま眠ってしまう。そして朝、通勤電車の中でこんなはずじゃなか
った。どうして昨日の夜努力出来なかったのかと自分自身を呪う毎日。
手に出来た物は社会から落ちこぼれた敗北感だけでした。
希望を燃料にする代わりに憎しみを燃料として生きていた時代。
それ意外に燃やす物が無かった。
今思えば、その憎しみの感情が有ったお陰で自分自信を前に進める事が出来たと思うのです。
そんな時になんどか小学生の頃聞いたこの歌のあのフレーズが何度も心の中でリフレインされ、その度にいつか自由に生きれるようになりたいという思いだけは、無くなりませんでした。
小学生の頃夢見た自由、そして青年期に挫折しながらも夢みた自由、そして自由へのスタートを切れた今。
どの瞬間も風を感じてという曲が僕の中にあり、不思議なエネルギーを僕自身に注入し続けてくれました。
神はいるか?とういう事を客観的に、多数の人に証明するのは無理です。ですから現実的には信じるか信じないかという問題になります。
それと同じように、僕は具体的には全く分からないし根拠はないけど、自分が感じる自由はあって必ずそこに行けるという確信がありました。
今思えば、このエネルギーは何時も側に有ってそれが僕を押し出してくれた。
そう感じるのです。
浜田省吾さんの風を感じてを聞くたびに、小学生の頃感じた自由への衝動に戻る事が出来るのです。
そういえば、購入する商品も、自由のスピリットが宿っていると感じる、Appleやハーレー、フアットパンダ、そしてLMLという製品を溺愛しています。
それらは、単なる製品ではなく自由を表現した意識の塊として僕に作用し、そのような感性を持ち続けられたのもこの音楽との出会いがあったからなのです。
風を感じて