今日は、相当な愚痴を書きます。(というか、少し前に心の中に浮かんだ思いを勢いにまかせて書いていて、それを消せずに残してました)今は対応策を考えて、どうにかいい方向に進むことが出来そうです。単にネガティブでしかない考え方ですが、あえて掲載します。
「これからやろう!」と思っている仕事が、最初っから全く期待されていないというのはいかがなものか?
これまでやってきたコトが、よほど評価されていないのか?
それとも、永年の経験上、その仕事がそんなに甘いものではなく、これまでも残念な結果しか出せていなかったからなのか?
はたまた、我々が全く期待?信用?されていないからなのか?
答えは、全て正解なのではないかと思う。
これから先で予定されている仕事があって、その仕事をする上で、毎年非常にお世話になっている方とお会いする機会がありました。こちらの担当者が変わったこともあり、一言ご挨拶しようと声をかけたのですが・・・。その方は、普段は普通に接してくださる方なんですが、その件に触れた時、表情が少し変わってしまいました。そして、こんな言葉を発せられました。
「せめて道具だけはきちんと準備しておいて下さいよ。」
それを聞いて筆者の頭の中は「???」でした。この人の言葉の真意がわからない。
そしてあちらはその後、こう続けられました。
「もうそちらには(何も期待していないから)せめて道具だけでもしっかりと準備しておいてもらわないと・・・。」
「すみません。我々がもっと多くの人を集めて、我々自身がもっとしっかりと役割を果たさないといけないのに、いつもそちらにばかりお世話になってしまって申し訳ありません。」
「いや、だからもうそれは無理な話でしょ。何もこちらはそんなこと最初から期待してませんよ。だから、せめて道具だけでもしっかりと準備しておいてもらわないと、こちらとしても・・・。こちらが声をかけて、何人も人を集めて作業するんだから、せめて・・・。ただそれでも、こちらはそちらにいつもお世話になっているから協力しているだけなんですよ。主催者はあくまでそちらなんだから、こっちの名前を前面に出して欲しくないですねぇ。我々が手助けしていることは口にして欲しくない。そんなこと公にしたら、もっと我々だけに任せといたらいいと思う人間が増えて、益々状況がひどくなるんじゃないかなぁ?」
我々の仕事は最初っから全く期待されていなくて、それでも、この先でこの人達の多大なる協力を得て、この仕事をしないといけないことになっているらしい。
これってどうよ?
はっきり言って、ものすごく悔しくて腹立たしかった。泣きたくなるようなやりきれなさを感じた。それでも、コレばっかりは筆者一人ではどうにもならないのである。何とかして多くの人達の力を借りなきゃいけないのに、毎年なかなか人手が集まらないらしい。今年はそれをどうにかしたいと考えてはいるものの、それはなかなか難しいことでもあるのだ。
「何やねん、あのおやじ。言いたい放題言ってからに・・・。腹立つなぁ。」
とはいえ、コレが現実なのである。例年こうやって担当者が嫌味を言われてきたのだろう。いや、これまでの担当者は、ソレを知っていながらも、既に手の施しようのないことを悟って黙ってやり過ごしてきたのか。または、「こういうことはあちらにお任せすればよい。コレは役割分担であり、お互いにギブ&テイクなんだ。」とばかりに、あちらに思いっきり甘えてお任せしてきたのか。それとも、筆者と同様の思いを経験して対策を打ったものの、結果は残念なものに終わったのか?
あちらはあちらで心苦しいんだろうと思う。いや、むしろ何も知らない(何も考えていない)我々よりも、よっぽど悔しくて、腹立たしくてやりきれない思いでこの仕事に協力してくれているんだろう。「やる気のない、無能な奴らのために手助けしてやらなきゃいけない。」とでも思っておられるのか?
あちらの真意はわからない。
子どもの世界なら、【頑張ったこと】に対する評価は存在するのだが、いい大人に対しては【頑張った】ことだけでは、何の評価もなされない。しっかりとした結果を出さなければ、それは【信用という名の評価】にはつながらない。「結果を出してナンボのもん」なんだと思う。
・・・と、ここまで書いてきて、ふとあることに気づいた。
そもそもこの仕事を何でやらなきゃいけないんだろうか???
何のため、そして誰のために?
そう、誰のためなのか。この仕事をすることにより恩恵を受ける対象は、実は我々ではない。我々や彼らが大切にしている人達のために、彼らも我々もどうにかこなしてきているのだ。
実は、このことを考えると、こんなエピソードはどうでもいいような気がしてきた。彼らは、我々を助けてるんじゃない。大切な存在のために、そして、日頃お世話になっている方々に対するお礼の気持ちで助けてくれているんでしょう。
だとすれば、主催する団体のやる気云々よりも、その仕事をまっとうすることに彼らの意義があるのではないか。
それは我々にとっても同じ。大切な存在が安全で快適な環境ですごせるように、嫌みを言われようとも、とにかくどうにかこなそうとするんでしょ。
やっている人間の評価なんて、実は必要ないのだ。そんなもの気にするくらいなら、多くの仕事をこなしていくことのほうが大切なんですよ。
何も言わずにやってくれている人達のほうがよっぽど偉い。
でも、なんだかやりきれない!!そして、悔しい。
「これからやろう!」と思っている仕事が、最初っから全く期待されていないというのはいかがなものか?
これまでやってきたコトが、よほど評価されていないのか?
それとも、永年の経験上、その仕事がそんなに甘いものではなく、これまでも残念な結果しか出せていなかったからなのか?
はたまた、我々が全く期待?信用?されていないからなのか?
答えは、全て正解なのではないかと思う。
これから先で予定されている仕事があって、その仕事をする上で、毎年非常にお世話になっている方とお会いする機会がありました。こちらの担当者が変わったこともあり、一言ご挨拶しようと声をかけたのですが・・・。その方は、普段は普通に接してくださる方なんですが、その件に触れた時、表情が少し変わってしまいました。そして、こんな言葉を発せられました。
「せめて道具だけはきちんと準備しておいて下さいよ。」
それを聞いて筆者の頭の中は「???」でした。この人の言葉の真意がわからない。
そしてあちらはその後、こう続けられました。
「もうそちらには(何も期待していないから)せめて道具だけでもしっかりと準備しておいてもらわないと・・・。」
「すみません。我々がもっと多くの人を集めて、我々自身がもっとしっかりと役割を果たさないといけないのに、いつもそちらにばかりお世話になってしまって申し訳ありません。」
「いや、だからもうそれは無理な話でしょ。何もこちらはそんなこと最初から期待してませんよ。だから、せめて道具だけでもしっかりと準備しておいてもらわないと、こちらとしても・・・。こちらが声をかけて、何人も人を集めて作業するんだから、せめて・・・。ただそれでも、こちらはそちらにいつもお世話になっているから協力しているだけなんですよ。主催者はあくまでそちらなんだから、こっちの名前を前面に出して欲しくないですねぇ。我々が手助けしていることは口にして欲しくない。そんなこと公にしたら、もっと我々だけに任せといたらいいと思う人間が増えて、益々状況がひどくなるんじゃないかなぁ?」
我々の仕事は最初っから全く期待されていなくて、それでも、この先でこの人達の多大なる協力を得て、この仕事をしないといけないことになっているらしい。
これってどうよ?
はっきり言って、ものすごく悔しくて腹立たしかった。泣きたくなるようなやりきれなさを感じた。それでも、コレばっかりは筆者一人ではどうにもならないのである。何とかして多くの人達の力を借りなきゃいけないのに、毎年なかなか人手が集まらないらしい。今年はそれをどうにかしたいと考えてはいるものの、それはなかなか難しいことでもあるのだ。
「何やねん、あのおやじ。言いたい放題言ってからに・・・。腹立つなぁ。」
とはいえ、コレが現実なのである。例年こうやって担当者が嫌味を言われてきたのだろう。いや、これまでの担当者は、ソレを知っていながらも、既に手の施しようのないことを悟って黙ってやり過ごしてきたのか。または、「こういうことはあちらにお任せすればよい。コレは役割分担であり、お互いにギブ&テイクなんだ。」とばかりに、あちらに思いっきり甘えてお任せしてきたのか。それとも、筆者と同様の思いを経験して対策を打ったものの、結果は残念なものに終わったのか?
あちらはあちらで心苦しいんだろうと思う。いや、むしろ何も知らない(何も考えていない)我々よりも、よっぽど悔しくて、腹立たしくてやりきれない思いでこの仕事に協力してくれているんだろう。「やる気のない、無能な奴らのために手助けしてやらなきゃいけない。」とでも思っておられるのか?
あちらの真意はわからない。
子どもの世界なら、【頑張ったこと】に対する評価は存在するのだが、いい大人に対しては【頑張った】ことだけでは、何の評価もなされない。しっかりとした結果を出さなければ、それは【信用という名の評価】にはつながらない。「結果を出してナンボのもん」なんだと思う。
・・・と、ここまで書いてきて、ふとあることに気づいた。
そもそもこの仕事を何でやらなきゃいけないんだろうか???
何のため、そして誰のために?
そう、誰のためなのか。この仕事をすることにより恩恵を受ける対象は、実は我々ではない。我々や彼らが大切にしている人達のために、彼らも我々もどうにかこなしてきているのだ。
実は、このことを考えると、こんなエピソードはどうでもいいような気がしてきた。彼らは、我々を助けてるんじゃない。大切な存在のために、そして、日頃お世話になっている方々に対するお礼の気持ちで助けてくれているんでしょう。
だとすれば、主催する団体のやる気云々よりも、その仕事をまっとうすることに彼らの意義があるのではないか。
それは我々にとっても同じ。大切な存在が安全で快適な環境ですごせるように、嫌みを言われようとも、とにかくどうにかこなそうとするんでしょ。
やっている人間の評価なんて、実は必要ないのだ。そんなもの気にするくらいなら、多くの仕事をこなしていくことのほうが大切なんですよ。
何も言わずにやってくれている人達のほうがよっぽど偉い。
でも、なんだかやりきれない!!そして、悔しい。