本日は、斎藤実盛の遺物を埋納したと伝えられている斎藤塚について
書きたいと思います。
見学日は2018年07月24日です。
旧妻沼町には斎藤氏にちなんだ史跡が点在しています。
斎藤塚は当地を支配した斎藤実盛の死後、彼の次男の五・三男の六によって
実盛を供養するために築かれたもので、塚には遺物が埋納されていると言われています。
道の駅妻沼の近く、リードという会社の裏にあります。この辺りは弥藤吾郷といわれた地域で、
斎藤氏の所領でしたが、道祖神などがあることから、郷の境界だったのかもしれません。
写真のアングルが不自然なのは、この塚の木陰に休んでいる農家の方の車があったからです。
斎藤氏にまつわる塚と言えば、実盛塚というのがありますが、これは、斎藤氏の居館跡と言われているものです。
板碑は当時のものなのでしょうか?
一般に、初期の板碑は大型で彫が深いのですが、室町期に入ると板碑産業として確立され
庶民でも手軽に購入できるよう、小型浅彫板碑が開発され、大量生産体制が整ったとされています。
庚申塔がばらばらになってころがっていて、荒涼とした印象でした。
書きたいと思います。
見学日は2018年07月24日です。
旧妻沼町には斎藤氏にちなんだ史跡が点在しています。
斎藤塚は当地を支配した斎藤実盛の死後、彼の次男の五・三男の六によって
実盛を供養するために築かれたもので、塚には遺物が埋納されていると言われています。
道の駅妻沼の近く、リードという会社の裏にあります。この辺りは弥藤吾郷といわれた地域で、
斎藤氏の所領でしたが、道祖神などがあることから、郷の境界だったのかもしれません。
写真のアングルが不自然なのは、この塚の木陰に休んでいる農家の方の車があったからです。
斎藤氏にまつわる塚と言えば、実盛塚というのがありますが、これは、斎藤氏の居館跡と言われているものです。
板碑は当時のものなのでしょうか?
一般に、初期の板碑は大型で彫が深いのですが、室町期に入ると板碑産業として確立され
庶民でも手軽に購入できるよう、小型浅彫板碑が開発され、大量生産体制が整ったとされています。
庚申塔がばらばらになってころがっていて、荒涼とした印象でした。
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