暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

聖天院館(旧妻沼町)②

2018-08-26 23:24:57 | 城館跡探訪
本日は、聖天院館北側を走る、土塁・土壇状の構築物についてみましょう。

本ブログでは、以前、本堂周辺の土塁についてみてきました。


聖天院館(旧妻沼町)①

https://blog.goo.ne.jp/kurayamikengyou/e/b26a023eb6226b9c809e0c05dcef8b4e


ここでは、本堂周辺の遺構から復習しましょう。

下の写真は、本堂裏を走る土塁の北側の端部分です。

この土塁は、「軍荼利明王の滝」の築山に利用されています。



この土塁は、東に折れます。

北辺に並行して走るこの土塁は、現在は寸断されています。












この土塁の先には、小高い丘があります。

かつては、小さいながらも動物園と、大型の遊具を設置した一種の遊園地になっており、

丘の上には、サルの石像があったことから、サル山と呼ばれていました。

調査日当日は、お祭りのためのステージ設営作業が行われており、立ち入ることができませんでした。

そこで、境内内、千代桝脇を通る指導を北に直進し、背後を流れる芝川、布橋手前の小道を左に入って、

土壇状の構築物の北側を確認します。









どうもこの辺りで、道に折れがあり、虎口を形成しているようです。






聖天院館は、北側の芝川を天然の水堀として利用しているようですが、敷地内にはさらに、水堀があります。

この部分について、どう考えればよいのか。

裏山を見て見ましょう。



(つづく)

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