城館跡のような遺跡、史跡巡りをしていると、どうしても、様々な石造遺物などに
関心が向くようになります。
熊谷大麻生には増水時に水没する、押切橋という冠水橋がありました。
現在ではこの橋は撤去されて残っていませんが、熊谷側から押切橋を渡ると、
庚申待ちに関係する石像が多く、また、そこからすこし上流に向かって走ると、
すぐに鹿島古墳群がありました。
他の古墳群と同様、鹿島古墳群周辺のあぜ道からは細かく割れた土器片が顔を覗かせていました。
ただ、あまりに細かな破片だったので、そういったものを拾って歩く楽しみは薄かったように記憶しています。
さて、荒川沿いを植松橋に向って走り、旧川本高校脇を抜けて、植松橋の上を通過してくる道路を横切ると、
川沿いの道路に水神を祀った大きな石塔があります。
解説板にもある通り、この地域は川の恩恵を受けて暮らしが成り立っていたようです。
実は、鹿島古墳群のそばにある荒川白鳥飛来地の河原に降りる場所にも、水神が祀られていたのですが、
現在は、鳥インフルエンザ対策のために、白鳥の餌付けをやめたため、観光客が減り、
荒れ果てて、水神の石祠は行方不明になっております。
関心が向くようになります。
熊谷大麻生には増水時に水没する、押切橋という冠水橋がありました。
現在ではこの橋は撤去されて残っていませんが、熊谷側から押切橋を渡ると、
庚申待ちに関係する石像が多く、また、そこからすこし上流に向かって走ると、
すぐに鹿島古墳群がありました。
他の古墳群と同様、鹿島古墳群周辺のあぜ道からは細かく割れた土器片が顔を覗かせていました。
ただ、あまりに細かな破片だったので、そういったものを拾って歩く楽しみは薄かったように記憶しています。
さて、荒川沿いを植松橋に向って走り、旧川本高校脇を抜けて、植松橋の上を通過してくる道路を横切ると、
川沿いの道路に水神を祀った大きな石塔があります。
解説板にもある通り、この地域は川の恩恵を受けて暮らしが成り立っていたようです。
実は、鹿島古墳群のそばにある荒川白鳥飛来地の河原に降りる場所にも、水神が祀られていたのですが、
現在は、鳥インフルエンザ対策のために、白鳥の餌付けをやめたため、観光客が減り、
荒れ果てて、水神の石祠は行方不明になっております。
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