ギリギリまで寝ているので朝はテレビにスイッチを入れることもなく、ほぼ起き抜けで学校へ出かけるのが常で、その日の朝もそうだった。
ちょうど3,4限(午前中後半)の授業が休講だったので、早い昼食をとりに学食に行き、そこのテレビで関西で地震のテロップと共に横倒しの阪神高速が映し出されていたをみた。
その光景があまりにも現実離れしすぎていて頭が理解が追いつかず、そのときは翌月に大阪にでかける予定があったので、新幹線大丈夫かなあなどと呑気に思ったことを覚えている。
カウントを刻むようにどんどん増えていく死亡者数と共に、事態の深刻さを頭が受け入れて背筋が凍り付いた。
今から12年前、1995年のこの日の記憶です。
「泣かないで あなたの痛みはあなたしか抱きしめられない
誰かのようには誰ひとり生きて行くことは出来ない」
自身、近しい人間ともに神戸にゆかりのある人間はなく被災した者もいないので、被災された方の痛みはわからない。
もしも自分が被災していた立場だったとしても、痛みの形は全て違っていて他人の痛みは永遠にわかることはないと思う。
あの日痛みを受けた人に自分ができることなんてなにひとつない。
だけど、それでもひとつだけできることがあるとしたら、あの日のことを忘れずにいることだと思う。
なんだかまとまらない文ですみません。
ちょうど3,4限(午前中後半)の授業が休講だったので、早い昼食をとりに学食に行き、そこのテレビで関西で地震のテロップと共に横倒しの阪神高速が映し出されていたをみた。
その光景があまりにも現実離れしすぎていて頭が理解が追いつかず、そのときは翌月に大阪にでかける予定があったので、新幹線大丈夫かなあなどと呑気に思ったことを覚えている。
カウントを刻むようにどんどん増えていく死亡者数と共に、事態の深刻さを頭が受け入れて背筋が凍り付いた。
今から12年前、1995年のこの日の記憶です。
「泣かないで あなたの痛みはあなたしか抱きしめられない
誰かのようには誰ひとり生きて行くことは出来ない」
自身、近しい人間ともに神戸にゆかりのある人間はなく被災した者もいないので、被災された方の痛みはわからない。
もしも自分が被災していた立場だったとしても、痛みの形は全て違っていて他人の痛みは永遠にわかることはないと思う。
あの日痛みを受けた人に自分ができることなんてなにひとつない。
だけど、それでもひとつだけできることがあるとしたら、あの日のことを忘れずにいることだと思う。
なんだかまとまらない文ですみません。