初代柄井川柳(からいせんりゅう)の名から題されたとみられる「柳多留」が明和2年(1765年)に発行されました。その後ほぼ毎年発行され続け、現在の川柳の文芸ジャンルの基礎となりました。「柳多留」「家内喜多留」「柳樽」 すべて(やなぎだる)と読みます。縁起の良い当て字もしていたようです。
液体を入れるのに甕や壺に代わって木桶や樽が運搬容器に使用されるようになったのは室町時代からです。白木の柳樽は本来、板の材料が柳材で作った樽のことです。柳は木質が柔らかく、水を吸いこみやすいので、多少の隙間はあってもふやけて液体を通さないのです。しかし運搬するには重量に問題があり、容量は1升~5斗ぐらいまでが限界でした。その後この柳樽の重量の欠陥を克服して大量に運べる杉樽がつくられました。
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明治27年の酒造人名簿には熊本県で385もの酒造業者の名前が記されています。それに伴い桶や樽を作る職人が多数いたことが想像できます。仕込みの容器が金属などに替わったのは最近のことです。 (Y)
【参考資料】
『江戸川柳辞典』浜田義一郎 編 東京堂出版 (①の写真)
『桶と樽―脇役の日本史』編者 小泉和子 法政大学出版局(関係部分のコピー) (②の写真)
「熊本縣酒造家推移表(明治~昭和初期)球磨郡を除く」平成13年6月作成 瑞鷹:吉村圭四郎