夏目漱石は大文学者になる前、熊本の第五高等学校の英語教師だったころ(29~33歳)は俳人でした。在熊中は約千句もの俳句を詠みました。親友の正岡子規を師として仰ぎ、句稿をたびたび送っています。五高生が中心として立ち上げた紫溟吟社(しめいぎんしゃ)では指導的役割をしています。
日ごろは真面目な漱石先生でしたが、俳句にはかなりウイットに富んだものが多く、若いころの句は川柳人としては興味があります。漱石の歳と明治の年号は同じです。句が詠まれたおよその歳を記しました。
帰ろふと泣かずに笑へ時鳥 22歳
初夢や金も拾はず死にもせず 28歳
風ふけば糸瓜をなぐるふくべ哉 〃
蟹に負けて飯蛸の足五本なり 29歳
犬去つてむくつと起る蒲公英が 〃
菜の花の中に糞ひる飛脚哉 〃
ぬいで丸めて捨てゝ行くなり更衣 〃
ぶつぶつと大な田螺の不平哉 30歳
暖に乗じ一挙虱をみなごろしにす 〃
水仙の花鼻かぜの枕元 〃
鳴きもせでぐさと刺す蚊や田原坂 〃
女郎花馬糞について上りけり 32歳
一大事も糸瓜も糞もあらばこそ 36歳
朝貌や惚れた女も二三日 40歳
穴のある銭が袂(たもと)に暮の春 41歳
このように川柳としても読める句はあげればきりがありません。
正岡子規の俳句革新運動に遅れること10年、新聞『日本』に入社した阪井久良伎(さかいくらき)、井上剣花坊(いのうえけんかぼう)らによって明治中期ころからやっと現在につながる川柳の革新運動が始まりました。明治中期は俳句も川柳も黎明期でした。
引用句は『漱石全集』第十七巻 岩波書店 二〇〇三年八月六日 第二刷発行より
(いわさき楊子)