Jさんブログ~つれづれなるままに~

糸の切れたタコのように日々ふわりふわりしているJさんの、ふわりふわりな出来事を書いてみました。

さよなら市営バス・71系統

2006年01月30日 | つれづれ日記
私の卒業した高校は、横浜市港南区にある横浜市立南高校。
私の住む港南台から高校へは、45系統のバスに乗り上永谷駅から山を15分歩くか、64系統か111系統のバスに乗り、港南区総合庁舎前で71系統に乗り換え行くルートがありました。
私の地元から南高校へ通う人は、後者のルートがまれに鎌倉街道の大渋滞でダイヤが乱れることがあったので、それを避けて、比較的安定していた前者のルートで通学していたのですが、私はそもそも歩くのが億劫だったので、後者のルートで通学していました。

64系統は111系統に比べ近道のルートを走るバス。ただ本数か少なく朝でも20分毎、日中は30~40分毎で、来たらラッキーというバス。朝は時間を決めて狙って乗っていました。
乗り換える71系統は、市営バスが朝は3-5分毎、また神奈中バスも同じ頻度で運行していたので、本来なら待たずに乗れる筈なのに、なぜか団子になりぱったりと来ずに遅刻しそうになること多々。本数が多すぎるゆえ、学生もバラけて1台に数人しか乗らないバスなのに、ほんとあれには参りました(だから本来は通学バスゆえ仲間に頻繁に会うはずなのに、そんななのでなかなか知り合いと会うことはありませんでした)。また定期は市営バス限定だったので、お金を出せば神奈中バスにも乗れたのですが、それでは定期が勿体ないので、そのもしかすると遅刻しちゃうかもしれないけど市営バスを待つか、ここはと決め込み神奈中バスに乗るかの駆け引きが日々面白かったり。

しかしやっぱり誰かが気付いたんでしょう。いくらなんでも本数が多すぎだって。
ちょうど私が高校を卒業し、OBとして吹奏楽部によく出入りしていた頃、改正毎に市営バスがざっくりざっくりと本数を減らしきはじめました。気付いた頃には朝10分毎、日中20分毎と以前の2/3程度まで減り、それと同じく神奈中バスも本数を減らし始めました。
そして去年、大胆な減便改正が行われ、市営バス・神奈中バス合わせて朝10分毎、日中10~15分毎に。
その頃には私も南高校に出入りしなくなっていたのですが、先日「気分窓快」のロケハンで71系統に乗った際、数年前、待たずに乗れたバスが、市営バス限定で乗りますと決めると待ってもなかなか乗れないバスになっていることに気付きました。

そして今日、いよいよ市営バス71系統が、神奈中バスに路線運行を譲り、廃止となりました。昭和41年3月1日の運行開始から約40年、最後は以前の高校に通っていた数年前の様子がウソのような、1日数往復という寂しい本数の中廃止となりました。
引き継いだ神奈中バスも、本数を以前に比べると大きく減らした形で、そもそもお客さんが減っていたのかもしれませんが、もしかすると私が通学していた頃も、この本数が妥当な本数だったのかも…とは思います。

ただ毎日乗っていた、思い出深いバスだけになんか寂しいことは確か。
宿題を徹夜した翌日、このバスの中で真横になって寝ていて友達にマジで怒られたっけ。ちょっと乱暴なファッションで威勢をはなっていた西川さん(仮名)が、このバスの中で毎日ウォークマン代わりにラジカセを持ち込み車内に大騒音で聞いてたっけ。雪の日に大混雑して南高校へ続く坂を上っていたら、対向車に突っ込まれて、混んで先頭のステップになんとかしがみついて乗ってて突っ込まれたので、真面目に死ぬかと焦ったっけ。

今私の地元から通学している人たちは、どうやって通学してるんでしょう?
まぁ当時からすると、港南台駅発の神奈中バスの本数も増えたのだ、昔とは逆に神奈中バス限定の定期を持って通学してるのかもしれませんね。
今となっては、当時の定期券だけが、バスがそこに走っていた証拠です。

しかし地元を走る市営バスは、これからも大きな経営縮小を柱とした経営計画を立てており、今日を境にいろいろな路線が廃止、路線移譲、本数減便となりました。
噂によると、数年後市営バスという事業も廃止しようかと検討に入ったという話も。150の路線を持ち、1,000台以上のバスを保有していた市営バスが、たった数年で無くなってしまうかもしれません(日本全国の公営バスの状況を見ると事業廃止になるのかな…という個人的予想も)。

子供の頃、今でこそバス好きながら、当時バスは必ず酔ったので大嫌いでした。ただ地元を走る111系統と、祖父の家へ行く時に乗る3・24・36・39・96系統と東急バスだけは好きで、嫌いなはずなのによく乗せてとせがんだそうです。
よく改革、改革と叫ぶあの人は「官から民へ…」と叫んでいます。それが世間の流れとは言え、こういうのはなんか寂しいな。


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