Jさんブログ~つれづれなるままに~

糸の切れたタコのように日々ふわりふわりしているJさんの、ふわりふわりな出来事を書いてみました。

大村ゼミの大井川鉄道SL・トロッコの旅~1日目後半

2009年05月15日 | つれづれ旅行記
金谷11:48発。

今日は平日だと言うのに、6両編成の客車はほぼ満席。
ただすれ違う普通列車は、2両編成でもガラガラで走っているので、このSL急行を走らせることがこの鉄道にとっての生命線だというのがよくわかります。

この路線のSLを使った観光運転の歴史は古く、最初に運転されたのは1976年。
以来国鉄や地方私鉄で廃車となったSL、客車をかき集め現在の姿になっています。

当初小田急ロマンスカーSSEを買い電車急行を運転したり、静岡方面から国鉄直通電車を運転した時期もあったのですが、いずれもSL急行ほどの人気が得られず。今では多客日には2往復(2編成)も運行されるまでの看板列車になっています。

やはり醍醐味はすべてが当時から手つかずで残っているところ。
当然ドアは手動(なので走行中も開ければ開く)。電気も大半は白熱灯。
トイレ、洗面所もいわゆる国鉄型。洗面所の蛇口は非常に懐かしい形をしています。
座席もいわゆるボックスシート。
シートの手がけは今でも走る国鉄型車両よりも更に1世代古いタイプ。
当然床は板張りのまま。
…ここまで原型をとどめて、今でも毎日走っているというのは奇跡に近く。
ここまで徹底していれば、当然人気も出る訳です。納得。

風景も一面のお茶畑の広がる丘の谷間を、大井川に沿ってひたすら上流方向へ。
窓を開けると客車独特の軽やかなジョイント音に、時よりSLらしく煙が舞い込み、鉄道好きにはたまらない時間が流れていきます。

我々は買い込んだお弁当にビールを片手に昼間っから酒盛り。
でも普段と違ってその時交わされる会話は仕事の話しではなく、企画趣旨に沿って終始鉄道の話。

古い車両を古いSLに古い電機が牽引しているので、歩みは非常に遅く。でもそれでもはしゃいでるうちにあっという間に終点千頭に到着。千頭13:12着。

ここから井川線に乗り換え、さらに大井川を上流へと進んでいきます。千頭13:22発。

井川線は元々がダム工事のための専用鉄道だったため、車両規格がトロッコより小さく(ex.黒部峡谷鉄道のトロッコ列車よりも小さい)、車両内部ではまっすぐ立つと1-2位断面で両端部では天井に頭をぶつけるほど。
上流側に制御運転台をつけた客車がつき、客車数両がつながり、下流側にディーゼル機関車が連結され、急カーブの連続する線路をぐいぐいと押し上げていきます。

乗った車両は半室オープンデッキになっていて、窓がない部分から首どころか身体を乗り出して風を浴びながら楽しめる車両。
普通窓から顔や手を出すなと言われるのが一般的。でもここでは間近に車掌さんが乗務しているのに怒られることはなく、これは一般的な楽しみ方のようで…。

車窓はひたすら大井川を水面より一段高いところを走り、川がくねると線路もくねる感じ。オープンデッキから身体を乗り出していると、線路が曲線の連続ということがよくわかります。
線路は35kgレールより細い感じ(通常50~60kgが一般的)で、台車も”アーチバー台車”という特殊な台車で車輪径が小さく、乗り心地はゴツゴツとした感じ。
ただ荒れた細い線路を、トロッコが豪快に走る様は圧巻で、景色が変わらないことに飽きるどころか、細かい車窓の節々が面白いことばかりで魅力は尽きず。

奥泉駅から今日の宿・寸又峡温泉へ向かうパスの時間まで余裕があったので、先のアプトいちしろ駅まで乗車し、アプト機関車の連結・解放シーンを見学し、奥泉まで戻り。奥泉14:35着。

奥泉駅15:00発のパスに乗り寸又峡温泉へ。一般の大型バスが、崖の合間を走るので、クランクの度に崖に突き刺さるようにしながら、運転手さんが巧みにパスを操り進んでいきます。大井川鉄道さんは、SL→トロッコと続きパスでも飽きさせません。
寸又峡温泉15:30着。まるでジェットコースターに乗った後の解放感のような、バスを降りた時にはなんか心地よい気持ちになりました。

宿にチェックインして、ひとっぷろ入り、せっかくなので寸又峡を散策。
寸又峡を流れる寸又川の水の色は、酸度が高いため、光の屈折の兼ね合いで蛍光ブルーのような色。
今日は曇ってしまったので残念でしたが、もし晴れて夕日が差し込んだら、この水はどんな色に輝くんだろうと思うと、またこの地へ来ないといけないなと思います。

1時間強の寸又峡散策は散策というより、激しいアップダウンでちょっとしたトレーニング。

夕食は豪華料理でお酒もすすみ。
ごはんを食べて、再び温泉に入り、その後は本部長持参のトランプで盛り上がり…。
鉄道ではしゃぎ、おいしい料理で興奮し、トランプで再びはしゃぎ、最高の一日でした。

大村ゼミの大井川鐵道SL・トロッコの旅~1日目前半

2009年05月15日 | つれづれ旅行記
私が入社以来お世話になっている一番上の上司は大の鉄道好き。
中でも時刻表が大好きということで、以来飲みに行ってはひと世代昔の鉄道について、周りの会社メンバー置いてけぼりで語れるそんな上司。
当然いつか趣味を共有するべく、いつか旅行へ出たいという話題にはなるのですが、その上司も入社当時所属部署の部長だったのが、今では基幹システム開発統括本部長へ。更に責任の重い立場へと出世され、なかなか出る機会も調整できず…。

それから数年…。いよいよ開発もひと段落。
満を持して旅行へお誘いしてみよう! …いつも仲良しの先輩、かずさんと、本部長と行く旅行を計画することになりました。

鉄道好きにはいろいろな個人それぞれツボがあって、新しいものが好きな人、古いものが好きな人、希少なものが好きな人…。
本部長はと言えば、よくお話しの中で登場するのが、東海道線から九州方面の懐かしい特急をはじめ、昭和30年代から50年代の列車。鉄道好きなら誰もがうなる鉄道黄金時代のお話しです。

そんな方をうならせる旅…。考え考え、静岡に走る大井川鐵道という電車に乗りに行くことにしました。
メンバーは本部長、かずさんに、同期の鉄道好き1名に私の計4名。大井川鐵道に走るSLを見越して、1ボックスでワイワイ、鉄道談義に花を咲かせる最適の人数を集め、新緑の大井川を眺め、南アルプスの深き山々を訪ねる旅。
きっと本部長の今までのお疲れを癒して頂ける、そんな旅になる。本部長に30前後の中堅社員3名の仲良し鉄道の旅、いざスタートです!

新横浜で一同集まり、こだま号で静岡へ。
乗り込んだこだま643号は、今や東海道新幹線では最古参となった300系。でも新幹線の中では窓が大きく、景色を見るには最適の電車です。
天気はくもりから雨に向かう予報。でも我々の願いを叶えるように、晴れ間が差し込み、上々の旅のスタートです。
小田原、三島、新富士と後続の「のぞみ」「ひかり」に抜かれ約1時間、静岡に到着。すぐさま東海道線に乗り換え、大井川鐵道の出発駅・金谷へと向かいます。

浜松行・普通759Mは運転台後方のガラスが大きく開いた211-5000の3連。
せっかくの鉄道の旅、運転台後方に陣取り、通称:かぶりつき(運転台の後ろにかぶりつくように先頭の景色を眺めること)をしながら、東海道線の歴史談義がはじまります。
静岡を出ると次の停車駅は安倍川。この駅は昭和60年に開業した、東海道線の歴史の中では比較的新しい駅。私の祖父もそうだったのですが、昔の汽車旅を経験した人は、汽車がじっくり進むせいか、途中駅も含めて駅の名前を覚える人が多く。
そういう方が東京から東海道線の駅名を順番に言うと、この辺の駅は新駅が多く、違和感があるとか。でもそもそも順番に言えるのがすごい!確か祖父は神戸まで言えたと聞いた気が。本部長は更に上を行き、山陽線の終着駅・下関まで言えるとか。趣味の人の記憶力は、ジャンルに限れば東大生にも勝る、そんな力があると私は思います。

それから東海道線のホームの長さ、配線など、まるで昔祖父と旅した時と同じような会話をしながら、電車は大井川橋梁を渡り金谷へ。
いよいよここから大井川鐵道の旅が始まります。

大井川鐵道は、金谷~千頭間39.5kmを走る大井川本線と、千頭~井川間25.5kmを走る井川線とがあります。大井川本線は沿線の農産物を運ぶために設立された路線で、その先井川線は関西電力が井川にダムを建設する際の人・資材の運搬用として建設された路線です。
現在では大井川本線にはSL列車に、各大手私鉄の中古車両を走らせ、井川線にはトロッコ列車にアプト式鉄道など、鉄道自体をウリに静岡とはいえない秘境の地を走る列車はいつも観光客でにぎわっています。

せっかくの鉄道の旅。当然我々もSL急行「かわね路」号を目指してきました。
金谷駅でお弁当を調達していると、いつの間にか目指すSL急行は入線していました。

今日のかわね路号はSL+旧客6両+ELの編成。
いつも雑誌やテレビではSLと旧客という図ばかり見ていたので、かわね路号もELの補機がついているとは行くまでしらず。
ただこの補機も、とてもよそでは見かけない年代物で、よその鉄道だったらこの補機だけでお客さんを集められるだけの名機。SLに旧客に年代物のELに贅沢な編成です。

ホームや車内で記念撮影をしているといつの間にか発車時間。
汽笛1発…いや数発を鳴らし、千頭を目指しSLの旅がはじまります…。