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日々新たなり/日本語学2020

居安思危、思えばすなわち備えあり、備えあれば患いなし

2019-10-12 | 日々新た

万一に備えて、憂いなし、憂い、患いと見える。ことわざ辞典に類語で、>遠慮なければ近憂あり/後悔先に立たず/事を事とすればすなわちそれ備えあり/転ばぬ先の杖/遠き慮りなければ必ず近き憂えあり/跳ぶ前に見よ/濡れぬ先の傘/念には念を入れよ/降らぬ先の傘/良いうちから養生/用心に怪我なし/用心には網を張れ/用心は前にあり/予防は治療に勝る  と、たくさん、対義には、> 渇して井を穿つ/泥棒を捕らえて縄を綯う/盗人を見て縄を綯う  と、これは少ないか。



【備えあれば憂いなしの解説】 『書経』説命中には、「これ事を事とする(するべきことをしておく)乃ち其れ備え有り、備えあれば患い無し」とある。
備えあれば憂いなし - 故事ことわざ辞典
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孔子は居安思危という言葉を残しています。

居安思危 思則有備 有備無患

安きにありて危うきを思う(居安思危)
思えばすなわち備えあり (思則有備)
備えあれば憂いなし   (有備無患)

http://163.19.66.6/idiom/6-5.htm

有備無患
1.出處
《尚書‧說命中》:「惟事事,乃其有備,有備無患。」《左傳‧襄公十一年》:「居安思危,思則有備,有備無患。」
2.語譯
事先有準備,就可以避免禍患。
3.
故事內容
 春秋時代,晉悼公是一個英明有為的君主。他的屬下司馬魏絳也是一個執法嚴明的官吏。有一次晉悼公的弟弟楊干,在曲梁擾亂軍隊,魏絳就把替楊干趕車的僕人,捉來斬首示眾。楊干向悼公哭訴,說魏絳目中無人侮辱王室,晉悼公聽了大怒說:「我的弟弟受了梅辱,有什麼羞比得上?我一定要殺死魏絳才能出這口氣,快把他捉來。」羊舌赤道:「魏絳是個忠臣,他絕對不會逃避責任的。」話未說完,魏絳到了宮外,他呈給悼公一封奏書,就拔出佩劍,向悼公的宮門准備自刎。外門衛士見這情形,立即勸阻魏絳不要自殺。悼公看了魏絳奏書,知道是楊干無理,魏絳嚴正,悼公連鞋子也來不及穿就急忙跑出宮外扶魏絳道:「這是我的過失,不關你的事呀。」從此悼公對魏絳更加信任。北方戎族無終國終向晉國獻禮請求與戎族和睦。悼公道:「戎族沒什麼情義,又貪心,不如討伐它。」魏絳諫道:「戎族既求和,是晉國之福,何必伐它?」悼公聽從了,從此斷了外患,可以專心于國事。過了幾年,晉國在魏絳有輔助下,國勢日漸強盛。有一次鄭國出兵侵犯宋男,宋國向晉國告急。晉悼公召集魯、衛、齊、曹等十一國的軍隊,由魏絳率領圍住鄭國都城,逼鄭國停止侵略宋國,鄭國害怕了,就同十二國簽了和約。楚國見鄭國傾向北方,很不高興,便兵攻鄭國。鄭國恐慌,於是派使臣向晉國求援。晉國答應了,戰事於是平息,鄭國為了感謝晉國,送給晉國大批珠寶、歌女等。悼公便把一半歌女送給筍絳,魏絳不肯接受接受同時諫道:「居安思危,思則有備,有備則無患。」晉悼公聽了覺得很有道理,便把歌女送懷鄭國。悼公在魏絳的輔助下,後來完成了晉國的霸業。


https://shisokuyubi.com/bousai-kakugen/index-175

安くして危うきを忘れず (安而不忘危)
存して亡ぶるを忘れず  (存而不忘亡)
治まりて乱るるを忘れず (治而不忘乱)

易経 繋辞下伝より(作者不明 / 孔子(紀元前500年頃)とする説もある)

「安泰な時であっても危機を忘れず、存続している時も亡びる事を忘れず、治まっている時も乱れる事を忘れない(平時に乱を忘れず)」つまり「平和な時でも、万一の時を考え、備えを怠らない事(油断してはいけない)」という意味。以前紹介した平時からの備えの重要性を説いた春秋左氏伝の「安きにありて危うきを思う(居安思危)」の類例とされる中国故事である。
出典は、儒教の聖典のひとつ『易経(えききょう)』の概論『繋辞伝(けいじでん)下』より。易という占いは、紀元前2700年頃の伝説の聖人・伏羲(ふつき)帝が基本となる「八卦」を作り、紀元前1000年頃の周の時代に体系化され完成したとされるもの。


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