pandaはジャイアントパンダのこと、熊猫という当て字に、大熊猫だったか、大猫熊と右から左へ流した書き方もあった。パンダは1979年から始まったご縁で1984年に愛好動物となった。それから30年はわがニックネームに。2006年にそのようなことが記録に見える。
日本シリーズ第3戦はどうなったか。オリックスのチャンスに中川、杉本が三振を続けてファンならぬテレビ中継を観る心が切れた。宗の好打を生かしきれなかったのは明らかに悔しい。すると、山田の3ランホームランが聞こえてきて、さきの打席の調子上向きにこれは点を取られたら、たまらない。速報を見ていて、ヤクルトは乗っている。オリックスは沈んでしまって浮上をするかどうか。あの9回裏の2点ホームランで同点引き分けとなったのを引きずっている。
> 2年連続4度目の顔合わせとなった「SMBC日本シリーズ2022」は25日、神宮球場から京セラドーム大阪に舞台を移して第3戦が行われ、セ・リーグ優勝チームのヤクルトが敵地で快勝して通算成績を無傷の2勝1分けとした。あす26日の第4戦も勝つと、球団史上初となる2年連続日本一に王手がかかる。
第2戦まで10打席ノーヒットと打撃不振だった主将の山田哲人内野手(30)が0—0で迎えた5回に待望の1号先制3ラン。投げては7年目左腕・高橋奎二投手(25)が6回まで3安打無失点と好投し、7回には村上宗隆内野手(22)の押し出し四球で1点、9回にも村上の2点適時二塁打とオスナの適時打で3点を加えて逃げ切った。
https://news.biglobe.ne.jp/sports/1025/spn_221025_5861115730.html
日本シリーズとニックネーム
2006年10月25日
点が入らない中日、好機に好打が出ない
じりじりとする3時間余のゲーム展開だ
このドームには何かがいるのではないかと
ドラファンにとってはフラストレーションがたまる
陽気な日中だった、霞がかかったような空が印象深い
それをそのまま持ち込んだような札幌ドームの熱気
外気は10℃を切るような気候だろうに
白熱したゲームなのは日ハムサイドだ
そしてこう着状態はそのまま、とうとう中日は負けてしまった
日ハムの勝利投手がインタビューで謝罪をしますとファンの前で頭を下げる映像が流れて中継は終わった
すみませんでした深々と礼をして言っていた
監督批判を一寸前にした投手だ
勝利の女神は皮肉だ
ニックネームを変えてどうしたのかとの皆さんの問いに、と、ほかでひとりからだけで、そういっても誰も反応なし
それなりの理由はある、パンダをひとまず置くわけだから
これはこの2年のことを経て、3年目
4月にはすでにグラサンのケイチャンを言い
そのまま通用しているkeichan
気分を変えたかったからというのがその答えだが、何かを変えたいと思ったのは、コースの学生が、いわば必修科目を選択しない、したための時間割に嵌っていて、どうにもならないから、それが3年も続いたことを、コースのいわば自殺行為だったと認めざるを得なくなった
時間割の組み方のせいにしてそのままを座視し学生たちの訴えを聞き流さざるを得なかった自分を猛省する
パンダになりきってしまったから、ぱんだpandaパンダになるのはいつでも、そうなる、ニックネームがもどらなくとも、パンダ愛好家は同じで、それを変えようと思ったのではない
いつしかこの環境で考え方や能力の違いでこうなってしまったのは仕方ないとあきらめている自分を発見している
改革の努力をして、8年かかるのが見えていたので、あと2年というその7年目にさしかかって、さらにまた悪化をしていく状況は、複合要因があって、それに気づき始めた
敷かれたレールはとりあえず取り外したと思って、そこに走る機関車が相変わらず進路を切って、ポイントを乗り越してあらぬ方向へ進んでいくのが見えている
そのまま脱線するまで走り続けるだろうから、すでに軌道を外れて行くのはもはやいかんともしがたい
行く先は定年の壁だから強引にそこまで持ち越すだろう
同窓会で物静かな人だと30年ぶりに会いたかった友人に、思わぬことばを言われて、大学勤務の環境にいた2人が思うことは共通した
そのクロウがわかるのは、彼が大学野球に女子野球クラブを作った労力程度ではないのだろう
おそらく研究と教育に明け暮れて出世などを望みもしない研究学徒としてのこれまでの思いがよぎったのだろう
そう、もっと楽しく研究し教育し、気ままにうろついていたのだ、大学人だ
いつの間にか組織のどうにもならないところを支えているようになってパンダのように本当に目を白黒とさせた
これではいけない、パンダの目の寂しさ、鋭さを思え、笹を求める姿を思え、あの図体で極寒の地から笹を求めて南へ降りてきたパンダを思え!