毒舌の日々

なかなか人前で言えないことをぶちまけます。

『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』 鵜飼秀徳

2020-02-16 12:07:12 | 読書
『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』 鵜飼秀徳
¥880+税 文藝春秋(文春新書) 2018/12/20発行
ISBN978-4-16-661198-0

「はじめに」でも触れられているが、2001年にタリバンがバーミヤンの摩崖仏を爆破したとき、日本でも非難の声がTV、新聞、ネット上で踊った。このとき私は「日本もやったじゃん…」と思ったものだ。もちろん、だからタリバンを許せというわけではなく、これが野蛮な行為であることに変わりはない。ただ、完全に他人事のように、まるで日本人はこんなことしないのに、と言わんばかりの態度に釈然としないものを感じたということ。つまり人は、手段を択ばないのだ。権力を持つ者は。そして権力に踊らされることを自ら選んだ者たちは。
 
とはいえ、廃仏毀釈が完全に野蛮で悪行なだけだったかといえば、一概にそうとも言えない側面もある。いろいろ事情があったんですよ。
人々は新時代の到来に大いなる希望を抱き、反面、古いものを過去の遺物と軽視し、破壊行動につながった…が、その破壊度合いは地方によって大きく差がある。著者はその要因を大きく4つ挙げている。
①権力者の、中央政府への忖度、②富国策のための寺院利用(寺から奪った金属類を四条大橋建設に利用した京都市の例など)(廃寺跡を学校に利用)、③熱しやすく冷めやすい日本人の民族性、④僧侶の堕落。
ああ……これは現代日本に通ずるものがある。

京都の事例も想像以上で衝撃的だったけど、伊勢市もすごい。明治天皇行幸のために徹底的に廃寺されている。ここでちょっと興味深い記載があった。
愛知県碧南市の漬物商人が廃仏毀釈の嵐吹き荒れる伊勢で、ちょうど集金したばかりの200両で仏像を片っ端から購入し、碧南市大浜に避難させたという。
碧南市は今でも名刹が多く、私も「大浜寺あるき」というイベントに参加したことがあるけれど、本当にすごいのだよ。地元の皆さんのお寺の親しみ方もいいんだよねー。もともと信心深い土地だからこそ伊勢の仏像救出に奔走したというのもあるだろうし、ありがたい仏像がたくさんやってきたことでさらに仏教への帰依心も強まったのだろうなあ。
 
はあ~、読み応えあったわあ。

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