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#皇居 近く~靖国神社一2011年冬終わり~靖国神社~福島県美春の滝桜~も、春を待ち望んでいます~

2011-12-31 10:14:45 | Weblog


2011年冬~終わり~靖国神社に放火があったとか~、そんな事は全然、知らずに近くを通りました。放火の次の日くらいだったと思うけど、門松つくってらっしゃいましたよ~。それにしても、あまりにショッキングだった2011年~。我家もけっこう大変でした~しかし、被災地の事を思うと~って話になります。靖国神社の神池庭園に、福島の美春町の滝桜があります。明治百年の記念の昭和43(1968)年に、日本一だった紅枝垂れ桜の子孫を植樹したそうです。毎年、わぁきれいと見てましたが、いろんな意味で早く良い春くるとといいですね。皇居の周りは、何とか記念~の木々が多いです。お正月、初詣しつつ、お散歩してくださいね~靖国神社の植樹は、いろんな意味で、きついのですが・・。春には、武道館の入学式や入社式から大勢の人が来て、桜の中、お参りしてるのは和みます~本当の意味で良い春くるといいですね~先人達へ感謝の~皇居一周おさんぽガイドです。スマートフォンでも見える~皇居一周おさんぽガイド動画です。春よこいアニメ~PCなら送れます~

#皇居 江戸城~暴れん坊将軍~徳川吉宗は花神のひとりだった~

2011-12-30 09:19:21 | Weblog


ここは東京メトロ竹橋駅前の~丸紅前庭~、八代将軍、徳川吉宗さんが徳川家康の御三家を真似て作った、御三卿、一橋家があったあたりで、立札も立ってます。~花神~「花咲か爺さん」って、称号が気に入って、調べていたら、皇居一周に、沢山おられました~。松平健さん演じる「暴れん坊将軍」の徳川吉宗さんも、いっぱい花を植えた人でもあります。政治上も~享保の改革で、飢饉対策や、財政改革、火消対策をしたり~の有名な~名将軍ですが、彼の対策の中に、庶民に健全な娯楽を与えるため行楽地を作るってのがあって、江戸城内で苗を育て、飛鳥山~などの今にも残る桜の名所を、次々こしらえたんだそうですよ。飛鳥山は、吉宗の出身地、紀州から紀州桜~と江戸庶民から大ウケだったらしいです~。かくして、江戸から~(う~ん、もっと前の時代から~)何千年の時を越え~平成の世~まで、サクラ好きな遺伝子は、日本人に受継がれてしまってるのでした~。。やっぱり農業国の日本の将軍家~サクラだけじゃなく、秋のカエデ~にも力を入れたらしく~百種のカエデを描いた画集まで作らせているとか~。丸紅前庭のイタヤカエデも印象的です~。江戸開祖の徳川家康も園芸好きで、隠居すると即、椿園とか作らせました。四季を愛でる事においては、やっぱ、世界一かも~の日本です。皇居東御苑にも椿ゾーンが出来ました~。今は、椿やサザンカがきれいです~。お正月、初詣しつつ、お散歩してくださいね~先人達へ感謝の~皇居一周おさんぽガイドです。スマートフォンでも見えるスマートフォンでも見える皇居一周おさんぽガイド動画もあります。

#皇居 近く~靖国神社の銅像は~司馬遼太郎さんに花神と呼ばれた~大村益次郎~

2011-12-29 09:22:17 | Weblog


皇居 近く~靖国神社の銅像の大村益次郎は戊辰戦争の指揮官で、明治新政府を勝利に導いた人~です。そして、歴史小説の司馬遼太郎さんに花神の称号をつけられた人~っていうので、私も司馬遼太郎先生の本を拝読しました~。(面白くするためフィクションも入れてるとも聞きましたが、かなり資料に元づいてらっしゃる様ですよ~)またまた~この人の人生が、一徹です~。長州の方で村医者だったのが、優秀だったので緒方洪庵の弟子となり、オランダ語が読めたので、なぜか宇和島藩に仕官して戦艦を設計し、幕府にまで仕官してオランダ語を教えたり、その後、桂小五郎に勧められ~長州藩に仕官して、次々と倒幕の戦争を指揮し、戊辰戦争で~新明治政府を勝利に導いたのです。この人の場合、力が強いのではなく、頭脳戦で冷静に作戦で勝利しました。運動神経は、いまひとつだったみたいで馬に乗ると、なんだか妙で、まわりから笑いが・・とか書いてあって、武勇と違ってた所が強調されたのか、かっこいい訳ではないけど、頭脳明晰~どこか、今の日本人のお父さんを彷彿させます~。この前も小学生に、まゆげ~とか言われてたなぁ。塾の名前が、鳩居堂だったせいか、銅像の頭に鳩がいつも乗っていて・・親しめます。でもこの銅像は、皇居外苑(足利尊氏像)上野公園(西郷隆盛像)と明治の三大銅像のひとつなのですよ~。
先人達へ感謝の~皇居一周おさんぽガイドで、お散歩してくださいね~ あ、初詣にもぜひ~お持ち下さい。スマートフォンでも見える皇居一周おさんぽガイドもあります~。

#皇居 近く~ここの裏あたりで田中正造は明治天皇に直訴しました~日本初の公害訴訟~

2011-12-28 09:01:31 | Weblog


昨今、田中正造の「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」という言葉がしきりに言われてます~。彼はこの旧法務省の裏あたり、今の家庭裁判所前へんで、明治天皇に直訴したのだとか。護衛の警察官に即つかまったのですが、その事で、新聞各紙が取上げ、全国的に、足尾銅山鉱毒事件の事を考える様になったとか~。国会議員にまでなり、訴える田中正造の生き方が、すさまじすぎる~。一徹すぎる~。信念を曲げないと、ここまで過酷な人生になるのか~。しかし今、この言葉に大納得の御仁も多いのでは・・。本にも書きました~先人達へ感謝の~皇居一周おさんぽガイドでお散歩してくださいね~

#皇居 近く~浮世絵に憧れてやってきたビゴーは外堀周辺から~世界情勢を発信~

2011-12-27 10:16:09 | Weblog


日本人の猿真似~って言われますが、それはこの絵をかいた人、明治にフランスからやってきた、ジョルジュ・ビゴー氏の絵が世界の新聞に紹介されたからなのです~。でも本人は親日家で、江戸城から言えば外堀あたり~今の市ヶ谷駅くらいの所に18年も住んでいました。あこがれてきた浮世絵の日本とは違ったけれど、人々が、とまどいながらも変化する様を、画家の視点から写しとっています。社会科の教科書に必ず載ってた絵を思い出しませんか~。一枚の絵で、世界情勢を表現しちゃうのは本当スゴイです~。しかも画集で、ちゃんと見ると、あまりに、リアルに上手くて、わぁ日本人ださすぎ~、でもこんなだったんだろうな~って、笑えます~。彼は本当に日本の絵を理解してて、TOBAEってあるのは、かの鳥獣戯画の平安時代後期の鳥羽絵~の事なんだそうですよ~。世界も日本も、そして何百年前の絵も文化も交流してます~これから尊敬される物つくれるかなニッポン~! 猿真似って言わせないぞ~ニッポン! がんばろうニッポン! 先人達へのしみじみ感謝の~皇居一周おさんぽガイド! でお散歩してくださいね~

#皇居 近く~40年前の写真発見~!昔の皇居前の建物はみんな100mの高さです

2011-12-26 10:13:07 | Weblog


私が皇居の本の取材を始めた頃~田舎の実家から、東京のポストカード集が出てきました。その中の皇居外苑・丸の内の写真です。皇居前の建物は昔みんな100m以下の高さって、聞いてたのですが、本当、ちゃんとそうなっています。年号がどこにもなく、母の字で昭和44年、東京の叔父さんよりって書いてあるので、その頃のものと思われます。昭和44(1969)年っていえば、大体、万博があった前頃ですかね~。いしだあゆみのブルーライトヨコハマが流行った頃ですって、明治生命ビルも、今、改築中のパレスホテルもあります~。松がまだ、まばらです~。懐かしい方もいらっしゃるかも・・とアップしてみました。いろいろ~努力されてきた先人達への感謝~皇居一周おさんぽガイドでお散歩してくださいね~

#皇居 一周~ 400年ほどの~西洋絵画を変えた~日本の四季と風景画家~出生の地~

2011-12-25 11:52:30 | Weblog


今日はクリスマスですね~。 
日本では、江戸の幕末~、一世を風靡した画家~浮世絵師 安藤広重は、ここ(明治生命ビルのあたり)で、火消同心の長男として生まれました~。今では、国内外、知れ渡った浮世絵師です。しかし~その海外デビューの仕方が、かっこいい~! 日本が海外デビューの頃に、日本輸出の瀬戸物の包み紙として、ぞんざいな扱いで、海外に流布されたのです~。欧米で、今ではそうそうたる画家の面々が、それらを拾い集め~模写した画家も出てきたのでした。日本の四季を表現したさまが、衝撃的だったんですね~。集めた絵で美術館を建てた人もいるくらいです。それは~その上、400年くらい続いた西洋画家たちの、キリスト教の絵を描かなきゃって、呪縛を一瞬にして、といたのだそうですよ~。日本は、くしくも幕末~、安政の地震も起き、江戸から~明治に、価値観も~景色も~変わるなか~江戸百景は、江戸時代最後の景色を写しとった作品集と言われています。このあたりは、広重がいた頃、蛍がいたくらい水がきれいだったようです~そうそう、このビルも建築史上、重要なビルだとか~
先人達へ感謝の~皇居一周おさんぽガイド見て、お散歩してくださいね。

#皇居 近く~日本の童謡の礎~「赤い鳥」の”かなりや”はこの劇場で歌われました~

2011-12-24 09:12:09 | Weblog


児童雑誌「赤い鳥」は、鈴木三重吉が創刊した子ども達を純粋に育むための、童話、童謡の雑誌です。1918年当時、軍部の指導の中、劣悪な読物が多くなる中での発行でした。そうそうたる作家~芥川龍之介(蜘蛛の糸)、北原白秋(からたちの花)、新美南吉(ごん狐)、太宰治(走れメロス)~など、など~作品が寄稿されました。軍部が台頭する中、子ども達の疲弊を、三重吉も多くの作家も憂いていたに違いありません。批判も多かった最中、西条八十の”かなりや”が、1920(大正9)年、ここ帝劇で少女たちによって発表されると、一大童謡ブームとなりました~。その後、三重吉が亡くなって出版が途絶え、第二次世界大戦となりましたが、言葉の美しさ~自然に心になじむ響き~それらの童謡は脈々と日本人の心に歌い継がれてますよね~。鈴木三重吉さんはじめ~、作家の面々に感謝~感謝~です。今の日本は、なんだか、だれもかも商売上手が勝ちって感じですが~、日本は島国で優しい土地柄~、優しいブンガク~優しいネイロ~に包まれて育ってきたなぁ・・。今、聞いてもかなり~しみる~かなりや~。今だから~しみる~かなりや~先人達へ感謝の~皇居一周おさんぽガイドです~ 

♪唄を忘れた金絲雀(かなりや)は 
うしろの山に棄てましょか。 
いえ、いえ、それはなりませぬ。 

♪唄を忘れた金絲雀(かなりや)は 
背戸の小藪に埋めましょか。 
いえ、いえ、それもなりませぬ。 

♪唄を忘れた金絲雀(かなりや)は 
柳の鞭でぶちましょか。 
いえ、いえ、それはかはいそう。 

♪唄を忘れた金絲雀(かなりや)は 
象牙の船に、銀の櫂 
月夜の海に浮べれば 
忘れた歌を想ひだす。 

#皇居 近く~発~松尾芭蕉~俳句は米国の小学生の授業にもなってるとか~

2011-12-23 07:50:26 | Weblog


松尾芭蕉は忍者って説がいっぱいあります~。忍術から俳句までできちゃ才能ありすぎですよね。芭蕉は忍者で有名な伊賀上野出身で、仕官していた殿様が夭折したので、皇居ちかく~日本橋にあった俳壇に入門し、頭角をあらわしたのです。江戸も戦乱の世も遠くなった頃、滑稽さや、機をてらった、俳句が流行ってきたので、37才で江戸郊外の深川に隠匿・・「わび」「さび」を重んじる蕉風俳句を創始していったんだとか~さらに晩年には、鎌倉時代の西行にあこがれて漂白の毎日の中から「野ざらし紀行」「奥の細道」など、ロングセラーを生み出していったのです。今では日本だけでなく~海外でも俳句は詠まれていて~、アメリカの小学生の授業にまでなってるんだとか~。俳句を極めた、松尾芭蕉の功績は大きいでしょう。しかし~深川で、芭蕉神社を見て、日本の作家に対する扱いって、どうよ?って思いました。今は近くに、芭蕉記念館もあるのですが、住居跡が、本当に小さな小さな所で、地域住民が守ってきたと書いてあり、民家が津波で流された後、芭蕉庵の痕跡が出て来たとか~。なんだか、勿体ない~。場所的に、隅田川の河口ふきん~。津波もアリかもの地です~。いつか行って見てくださいね。芭蕉さんの銅像もおられます。本は、深川までは書いてませんが~先人達へ感謝の~皇居一周おさんぽガイド読んでくださいね~ 

#皇居 半蔵門は忍者ハットリ君~のいた御門~忍者は~世界的人気者じゃぞよ~ニンニン!

2011-12-22 09:51:42 | Weblog


服部半蔵正成は、伊賀服部卿 生まれ~代々徳川家に勤めた武将です~。ここ皇居半蔵門は、江戸城で唯一、御門から一直線に~新宿通り~甲府(甲賀)に~道が通っている地。将軍様に何かあった時に、一直線に逃げられたのです~。しかし逆に敵が入りやすい地でもあった為、服部半蔵や家来衆の家屋敷を配置してあったとか~。忍者は特殊な技を使いますが、もともと伊賀や甲賀は、土地の質が良くなく(湖水の痕でドロなんだとか)作物が取れにくい地だったそうで、忍術は生き抜いていくための技術や知恵だったのです。縄の編み方やら、爆薬の使い方、時にはスパイなど、その家特有の技を持っていたみたいですよ~。それが、なぜか、小説や漫画、映画などで、世界中に大ウケ~。この前、新聞社の人に聞いたのですが、アメリカにいた時・・子ども達からの投書に「ボクは生粋の忍者~イン、オハイオだぞ」ってのまで来るそうで、忍者の里まで、世界に広がってるみたいです~。鬼の半蔵さんも世界中から、青い目や黒い肌の忍者少年が出てきてるのには、苦笑してることでしょう。いろいろな事のあった皇居一周~お散歩して下さいね~皇居一周おさんぽガイド動画