はぐれぼけぼうし

鹿児島拠点の日記をメモ的に残す。

つゆ

2007年06月27日 10時37分25秒 | 同世代とともに
 おしめりといえば聞こえもよく情緒を感じさせるが、湿気といえばベトベトした嫌な状況をイメージする。
 http://gogen-allguide.com/tu/tsuyu.html
    に、その名の由来の解説が載っているが、判然としたものではない。
 言葉の持つ雰囲気というか、発音したときの音感とその文字を見たときの印象に独特のものを感じるときがある。
 同じ梅雨でも「つゆ」と読むのと「ばいう」と読むのでは印象が異なる。
 つゆでは、しとしとと降る雨を連想させる。 6/26 18:10
 バイウというのは、響きが外来語的だと思う。漢字の読み方で音読み訓読みというのがあるが、訓読みとはクニヨミのことだという人もいた。古来の日本(倭国?)からの言い方なのかもしれない。総体的に訓読みでの言葉はやわらかい印象がある。和風の庭園のような静的感覚(一体化的感覚)なのかもしれない。際立ちすることは驚きに通じて心の平安を乱すというようなことまで連想させる。
 つゆの時期の雨にけむる風景は、まさに際が判然とせず水墨画を観るようで、あたかも夢で見ている景色のように感じるときがある。このようなときは思考もぼんやりとしてしまいそうである。雨が上がり大気中のほこりを洗い落としてくれた後の晴れ上がった風景は、くっきりと際立って目が覚めるように感じられる。遠景がよく見えるには大気中に水蒸気がレンズのようなはたらきをしてくれた方がよい、と聞いたこともあるように思う。日ごろ見慣れた景色でもハッと目を見張らせてくれるときというのはいろんな条件が重なった偶然の産物なのであろう。
 際をハッキリとさせるということは、デジタルとアナログにも通じているようにも思える。そういえば英語の発音には破裂音といわれる「p」や「b」に代表されるものが多いように感じる。音中心で認識するからハッキリ発音しなければ通じないのであろう。それでも日本人が話すときに比べて多くの外国人の会話には身ぶり手振りに顔つきまで用いて表現しているなあと思うときもある。日本でも落語などの話し手は結構、擬態音や表情なども上手である。伝えたいと強く思っているときは自然とさまざまな表現方法を駆使することになるのだろう。そういう意味では、つゆは季節のひとりごと(眠り)のときなのかもしれない。

 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿