kasaiさんの江戸甲府物語

江戸時代の甲府の様子を庶民の生活を中心につづる。

第84回 苗字帯刀

2015-07-07 08:30:14 | 説明

苗字帯刀


 江戸時代には士農工商の身分制度があり、士、農、工、商の順に身分が低くなるということを習ったことがあります。士は武士、農は農民、工は職人、商は商人です。甲府に居住している農工商が町民であることを前回書きました。
 武士は苗字を名乗り、帯刀していることが身分の象徴で町民は苗字帯刀は許されていませんでした。

 町人でも苗字を名乗ることが許されている者もありました。町年寄りや医者、特別に許された者などです。苗字を名乗るということは、公式の文書に苗字を付けて名前を署名することです。例えば、町年寄は町触れなどに坂田与一左衛門のように署名しています。 
町民は苗字を持っていないのでなく、公式に名乗ることができなかっただけです。公式の文書には、助左衛門、太郎兵衛などのように名前のみを記載しました。商人の場合は大津屋、若松屋のように屋号を使用していました。

 帯刀は刀を帯びることですが、この帯刀も武士身分の象徴であり町民は許されていませんでした。享和元年(1801)に町民の帯刀が問題になりました(享和元年坂田家日記)。町医者の牧野宗平が年始や五節句の時に帯刀しているのが問題になりました。町医者なので苗字に関しては問題になっていません。甲府勤番役所から帯刀の理由を調べるように町年寄りに命ぜられています。町年寄りは、医者仲間の一人である石氏三栄を読んで調べるように命じ、帯刀の由緒などの書き物があれば提出するように命じています。特別な理由があれば町民でも帯刀は可能であるが、それを証明する書類が必要であるということです。

 町医者の仲間の一人である荒木一学が町年寄りに、「先祖より伝来にて帯来たり、3代以前町方医行に付略刀一刀にて療治相勤め候えども、御役所へ御出入りなど仕り候説、年始そのほか礼服にて罷り出候説は帯刀罷出候」という当人(牧野宗平)の主張を報告しています。この主張を文書にして提出するように命じています。

 この当人の主張の正当性を医者仲間に聞いています。医者仲間は、「宗平祖父代より帯刀仕り候儀と見覚え申さず、その上宗平儀も近年帯刀仕り候」と述べています。

 町年寄りはこの結果を甲府勤番支配役所に澎湖増しています。役所から町年寄りに、牧野宗平の帯刀の由緒は口上ばかりで証拠がないこと、町方人別に入っている者(町民の事)は帯刀してはならないことから帯刀を差し止めるように申し渡しています。但し、役所から直接牧野宗平に差し止めを申し渡すと処罰の対象になる可能性があるので、町年寄から宗平の心得違いとして帯刀をやめるように説得するように命ぜられています。このため、町年寄りから牧野宗平に自分から帯刀をやめるように申し渡しています。
 
 

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