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ごきげん練習帳 〜自分トリセツの作り方〜

自分と人生を楽しむための”セルフ・コーチング”ノート

Yes or No ? ハッピー探知機に聞いてみる

2013年11月14日 | ●セルフコーチング

 

 

今日は、思いがけない出会いがありました。

友人の紹介でお引き合わせいただいた方と

新しくお仕事をさせていただくことになりましたが、

その方とは、願ってもない、とはこのことというくらい、

互いが求めていた条件が、ぴったりでした。

 

物事が動くときというのは、

目の前の信号が、すべて一気に青になったかのような、

そんなことが起きるものですね。

 

それ自体が「進め」の合図だと思うのですが、

私の場合、Yes なのか No なのかのバロメーターは

自分の中の感覚です。

 

その物事に対して「ワクワク」するかどうか。

 

運命的な出会いの時は、探知機の針がビンビン振れるように、

自分の中の直感が「ワクワク、ドキドキ」するのです。

 

かつて、大きなYesの出来事の時は、

やはり、ワクワクドキドキしていました。

 

一方、その逆の時は、それがありません。

かつて、ある大チェンジがあったとき、

もっとワクワクドキドキしてもいいはずなのに、

不思議なくらい、何もときめかなかったのです。

探知機の針がぴくりとも動かず、

むしろ、壊れているんじゃないか? っていう感覚になりました。

 

その時の選択は、私にとって、喜びではなく、

大きな苦しみとなりました。

まあ、人生、何事も必然と思っているので、

それはそれでよかったと思うのですが、

できるならハッピーを感じられる選択をしたいもの。

 

その件以来、何かの選択をする時には、

自分自身の直感の中にある「ハッピー探知機」に

聞いてみることにしています。

条件からすると、良さげに見えても、

「ハッピー探知機」の針が振れないものには「No」。

 

 

「ハッピー探知機」は、きっと誰の中にもあるものだと思います。

それに上手に動いてもらうには、

まず、自分の中にハッピー探知機があることを信じること。

つぎに、それが動くということを信じること。

そして、それをしょっちゅう使って、みがいていくこと。

それが大事だと思います。

 

ぜひ、やってみてください

 

友人に感謝、出会いに感謝です 

 

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大きな石から入れる

2013年10月30日 | ●セルフコーチング

 

 

今日は久しぶりに青空でした。

一雨降るごとに、

そのあとの青空は、

遠くに行ってしまうような感じがしますね。

 

 

昨日、走ろうと思っていたけれど走れなかったので、

今日は午前中に走ってきました。

 

このところ、もう日が暮れてから走ることが

多かったので、

日中、街を走ると、

いろんなものが、音とともに私に飛び込んで来て、

ちょっと新鮮でした。

 

ジョギングで出会うシーンに、いくつか好きなものがありますが、

保育園の子どもたちのお散歩風景は、私の大好きなものの一つです。

いつもはしーんとしている小さな森に、今日は子どもたちの歓声がこだましていました。

 

 

家で仕事をしているときは、

いつ走ってもいいわけですが、

一日の真ん中で走ると、

なんだか、ほかのことをする時間が無くなってしまうようで、

ついつい、日中走ることには気が引けていました。

 

とうとう、日が暮れて

「あ、もう時間がない!」って焦ってから

走ってくる、

そんな図式の中にいた私です。

 

また、走ると、その後なぜか頭痛がしてきて

その後の時間が使い物にならなくなってしまう、

というのも、

一日の初めや真ん中で走らない理由になっています。

 

 

さて、

今日は、走りながら

走ることを毎日後回しにしている自分のことを

考えていました。

 

気が引ける、仕事が先、

そんな思いが大きいのだけれど、

走る、身体を動かすって、悪いことか?

っていうのが問いでした。

 

 

もちろん、仕事が大事か道楽が大事か、と

聞かれれば、

道楽の方が大事、とは言いにくいものがあります。

けれど、走ることは私にとって、

道楽ではありません。

道楽とか趣味とかとは別の意味を持っているのです。

 

それは、自分を自分でセルフコントロールするにあたっては、

運動をするということが大切、という認識によるものです。

 

自分の人生を自分で主体的に生きる、ということは、

自分の思考や自分の身体も

自分でケアしていく責任を自分で引き受ける

ということなのだと思います。

 

 

どんなに仕事が順調でも、

身体が言うことを聞かなくては、結局、話になりません。

歳をとっても、日常生活は

自立して行えるようでいたい、と思います。

 

となると、運動は大切な要素です。

後回しにしていいものではありません。

歳をとってから、突然運動をする、

ということは、現実的じゃないし、危険も伴います。

身体は一日にしてならず、なのです。

 

大体、後回しにして「いつか」なんて言っていても、

「いつか」なんていう時はやってきません。

 

 

こんな有名な話を思い出しました。

大きな石と小さな石があったとき、

それをバケツだったかに入れるとしたら・・・

という話です。

 

小さな石を先に入れてしまうと、

結局、大きな石は入らなくなります。

だから、まず大きな石を入れ、

それから小さな石を入れ、

砂などは最後に入れる、という寓話です。

 

大きな石は言うまでもなく、

人生にとって大事なことを象徴しています。

そして、小さな石は、

毎日起きる、差し迫ったことや、

たいして重大でもないことを象徴しています。

 

 

私たちは、ついつい目の前に差し迫ったことに、

時間とエネルギーをとられ、

本当は取り組んだ方がいいとわかっている

自分の人生にとって大切なことを

後回しにしがちです。

 

でも、そうしていると、

大切なことは後回しにされ、

結局、手をつけることさえされないままに、

私たちの短い一生は終わってしまうのです。

 

そして、「やらなかったこと」を

後悔しながら死んでいくのです。

 

 

そんなことを思いながら、

今日は堂々と、日中に走って来ました。

 

パソコンに向かっても、ずっと考えているのであれば、

いっそ身体を動かした方が、いい考えが浮かびます。

 

 

とは言え・・・

大きな石も一つとは限りません。。。

 

やはり、時間とエネルギーのやりくりは

いつも意識していたい課題ですね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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「他人軸」から「自分軸」へ

2013年10月25日 | ●セルフコーチング

 

 

前の記事で、「余計なためらいを捨てる」ことについて

書きました。(→「昨日捨てたもの」

 

そこにあったのは、おそらく

「他人軸」から「自分軸」への転換だと思っています。

 

 

「人からどう思われるか」は判断基準が「他人」。

「自分がどうするか。どうしたいか」は判断基準が「自分」。



基準が他人にある時、

それを選択した結果も、他人のせいにします。

典型的な言葉は、「あなたがそうしろって言ったから」。

だからこうなってしまった。

あなたが悪い。

そういう論理です。

 

一方、基準が自分にある時は、

それを選択した結果も、自分で引き受けることになります。

「自分で決めたことだから」。

だから、こうなっても文句は言えない。

 

 

誰かのせいにできることは、逃げ道があって楽です。

けれど、その場その場で基準が変わり、

いつまでも、ふらふらし続けます。

心のエネルギーが無駄に使われていくのです。

 

でも、自分で決めて自分で引き受けるとなれば、

うまくいかなかった時には、

つらいけれど、うまくいかなかったと認めるか、

うまくいったと思うか、

その二つだけで、とてもはっきりしています。

だから、すっきりしています。

 

そして、うまくいかなかったときは、

どこが悪かったのか、検証して修正して

また実行すればいいわけです。

 

ところが、他人基準の場合は、

どうしたらうまくいく、いかないは、

いつまでたってもわかりません。

 

 

うまくいかなかったことを引き受けるのは、

確かにつらいときもあります。

でも、これも、こんな図式が頭にあるから

つらいと思うのではないでしょうか?

 

「うまくいかない=失敗」

「失敗=悪いこと」

 

でも、ほんとにそうでしょうか?

 

失敗は悪いことなのか?

 

失敗をしないで大きくなる子なんていませんよね?

 

子どもは何度も転びながら立つことを覚えます。

そして歩くことを覚え、走れるようになります。

 

自転車だって、はじめからうまく乗りこなせる人はいません。

 

 

失敗するってことは、

沢山ある選択肢のうち、とらなくていい選択肢がわかる

ということ。

だから、失敗すればするほど、成功に近づくということです。

 

それは考えていてもわからないこと。

やってみなくちゃわからないことです。

いくら本を読んでも、考えても、

自転車をこげるようにはならないはずです。

 

 

だったら、さっさと選択肢をつぶしていけばいいってこと。

転びながらも練習すればいい、ってこと。

それだけです。

 

 

失敗が怖いのは、それをすると

再起不能になるんじゃないかって思うからだと思うのですが、

本当に致命的なものはそんなにあるものじゃありません。

命を取られることでなければ、

逆に、沢山失敗しておけば、

それだけ「免疫」がつくのじゃないかと思います。

 

「免疫」がないと、

ほんの小さな「風邪」ですら、

命取りになりかねませんよね……

 

 

・・・と長々書きましたが、

これ、みんな自分に向けて言っています(笑)

 

 

そんなわけで、

断捨離月間と決めたこの1ヵ月なのですが、

見えないものも、少しずつ捨てていこうと思います。

 

 
 
 
こんなものをつけてみました。
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「なりたい」と「ありたい」

2013年10月18日 | ●セルフコーチング

 

 

子どもの頃、

「大きくなったら何になりたいですか?」

と聞かれたことはありませんか?

 

これって、子どもにする質問の中の、定番の一つだと思います。

 

そうすると、子どもはたいてい

「お花屋さん」とか「看護婦さん」とか、

自分が見て知っている職業を答えることになります。

それしか知らないからですね。

 

 

やがて、いろんな仕事があることを知ったり、

あるいは、その仕事についたりすると、

その職業につけたということはゴールではなく

スタートだということがわかります。

 

そうすると、

「何になりたい?」という質問が

「どうなりたい?」という質問に

変わっていきます。

 

 

「どうなりたいか?」と聞かれると、

そこで思い浮かべるのは、

「理想の自分」であることが多いと思います。

そして、たいてい理想はいつも、

北極星のように遠くにあって、

なかなか届かないものです。

 

 

すると、そのうち、いつまでたっても埋まらない

北極星と現在地点とのギャップが

苦しいものになってきます。

 

そして、そこに行けない自分、できない自分を

ダメな自分として責めたりします。

 

でも、北極星を

迷子にならないための目印とするのはいいとしても、

到達地点とすることって、

そもそもがどうなの? 

っていう話ではないでしょうか?

 

 

実は私もずっと、それで苦しんでいました。

 

なりたかった職業にも就きそこなったし、

やりたいと思うこともできていない自分……。

こんなはずじゃなかったのに。

自分にはもっとできることがあるはずなのに。

 

今から思えば、それもすべて

自分自身の選択の結果に過ぎないし、

それはそれで必然だったと思います。

そもそもそこは行くべきところだったのか、

という話もあるわけです。

 
けれども、当時の私は、

とにかく「理想通りに行かない」ことに

焦りや絶望にも似た気持ちを持っていたのです。

 

 

それが、あるとき、ある本に書かれていた言葉を読んで、

救われたように思いました。

 

それは、

「あなたはどうありたいのか」というものでした。

 

180度の視点の転換でした。

 

「どうなりたいか」「何になりたいか」というのは、

行ってみれば、結果から見た話です。

目指すことはできても、

本当にそうなれるのかどうかは、

特に、誰かが選ぶなど他人の意向が働くものである場合、

自分だけの力ではどうすることもできません。

結果は結果でしかないのです。

 

ところが「どうありたいか」であれば、

自分が決めさえすれば、そして実行しさえすれば、

そうなれるのです。

少なくとも、そうなるかならないかを選ぶのも決めるのも、

自分だけなのです。

 

それは、結果ではなく、スタートであり、プロセスです。

 

 

以来、「どうなりたいのか」ばかりで

苦しくなっている自分に気づくと、

「どうありたいのか」と自問するようにしています。

 

 

そういえば、ちょうど昨日の新聞に

白髪を染めずに自然体で暮らす加藤タキさんの記事があり、

彼女の言葉に「なるほど~」って思いました。

 

「どうしたら若く見られるのかではなく、

 自分らしく見えるには何が大切かを考えた」。

 

これも、結果からではなく、スタートから考えている

ということですね。

 

 

 

スタートの種は、いつも自分の中にしかない、そう思います。

 

 

 

 

 

 


一本のドレッシングから見えたこと

2013年10月17日 | ●セルフコーチング

 

 

昨日は、台風の大風で夜が明けた東京でしたが、

皆様の地域の被害は大丈夫でしたでしょうか?

 

大島でとても大きな被害が出ているとのこと。

また、北海道では積雪とか・・・。

 

人は自然を壊すことはできても、

自然の外に出るわけにはいきません。

 

被害が広がらないことを祈るばかりです。

 

 

 

そんなお天気の昨日でしたが、

予定があって、高校時代からの友人と会ってきました。

今日は、その友人のEさんのことについて書きます。

 

 

Eさんからドレッシングをもらいました。

先日、彼女が病気で手術をしたときに

仲間とともにお見舞いを送ったのですが、

それに対しての「快気祝い」のお返しとのことでした。

 

 

見ると、そのドレッシングは、

2011年3月11日の津波で壊滅的な被害にあった

陸前高田の会社が作っているものでした。

 

震災後、復興のために

一般の人からの小額の投資を募り、

それを必要とする被災地域の会社と結びつける

そんな仕組みができたことを知り、

そこに参加している会社の一つにEさんは

「投資」したそうです。

 

投資先はいくつかあったのですが、

一人暮らしの彼女は、

「牡蠣が1ダース来てもなあ・・・。ドレッシングなら」

ということで、

この商品の会社に投資をすることにしたとのこと。

 

以来、この醤油ドレッシングは、名前の通り、

とってもおいしくて、

彼女の食卓にはなくてはならないものになったと言います。

 

 

Eさんは、服も、多くをフェアトレードの店で

選んでいます。

原発のことも、脱原発を目指すにも、

きちんと原発のことをわかっておかなくちゃ、ということで、

わざわざネットで情報が更新される専門家の書いているもの

プリントアウトして読んでいます。

 

最近、面白かったことは、

ダイアログ・イン・ザ・ダーク」に行ったことだそうで、

その話も聞かせてもらいました。

 

 

そんな彼女に会うたび、いつも思うのですが、

何を選択し、何に自分のお金を使うのかが、

そのまま、彼女の生き方そのものなのですね。

 

彼女は、某大手電気会社の管理職。

話を聞いていると、

フツーのサラリーウーマンをしながら、

会社でも、プライベートでも、

彼女の価値観に沿った生き方を貫いているんだなあ、

と感じます。

 

別に、Eさんには気負いも過激さもありません。

無理をしてるとも感じません。

自分の気になること、大切に思うことについて

意識し、調べ、そして決めて、選ぶ。

そんなことを、彼女は楽しみながらやっている

私には感じられます。

 

一人で、早々にマンションも購入している彼女は、

たとえばいわゆるブランドの品を身につけることもできますが、

彼女はブランドものには興味が無さそうです。

 

それでも、彼女は

自分のお気に入りに囲まれて暮らしているんだなあ、と

思います。

 

 

自分は何が好きで、何に価値を置いていて、

何に投資をしているのか、

それをわかっていることって、ステキなことだと思います。

 

今の生活に、特別に何かをプラスしなくても、

毎日の生活で何かを選ぶ時に、

自分のその価値感や思いを大切にするだけで、

社会に貢献することもできるし、

ありたい自分になることもできるんだ。

 

彼女を見ていると、そんなことに気づかされます。

 

 

 いただいたドレッシングを使って、カルパッチョ風サラダを作りました。

 

 

 

 

 

 

 

 


シャンパンタワーの法則

2013年10月13日 | ●セルフコーチング

 

「シャンパンタワー」って、ご存じですか?

シャンパングラスをピラミッド上に積み上げたもので、

いちばん上のグラスにシャンパンを注ぐと、

そこからあふれたシャンパンが、

順次、次の段のグラスたちを満たしていく、というもの。

 

これを作ってそこにシャンパンを注ぐのは、

結婚式などのお祝い事のイベントとして行われているようです。

 

私自身は、これまで

実際に見たことはありませんでしたし、

これを利用して名付けた「法則」があることも、

実は知りませんでした。

 

それを昨日、初めて知りました。

 

「シャンパンタワーの法則」、

要は、シャンパンのタワーの

最上部を自分、

次の段を家族、

その次の段を会社や地域など、

最下段をお客様や生徒など、

にたとえて、

彼らを満たすには、結局、自分を満たすことが必要、

ということを言っています。

 

とてもわかりやすいたとえですね。

 

自分のことで手一杯だと、

とても他人のことは考えられないし、

他人のことばかり優先していて

自分をないがしろにすると、

自分は満たせない、

ということです。

 

 

 

「しあわせ」ってなんだろうと考えた時、

しあわせは、探すものじゃなく感じるものだと思います。

で、しあわせは、自分だけがよくても感じられないし、

ほかの人だけがよくても自分には感じらない。

 

シャンパンタワーの1段目も2段目以降も

満ちていることを感じられたら

しあわせを感じられる可能性は高まります。

 

 

でも、すべてを満たすなんて、

なかなかできるものではありません。

 

だから、まず、

自分というすべての源を満たすこと。

あふれるくらいに。

 

 

グラスからあふれているのは、

言ってしまえば「愛」です。

溢れ出るくらいに自分を愛で満たすということ、

それが、「しあわせ」の原則かもしれません。

 

それができれば、

「シャンパンタワーの法則」によれば、

自然と周りのこともしあわせにできる、

ということになります。

 

であれば、自信を持って、

自分をシャンパンという「愛」で満たすことを

考えればいいことになりませんか?

 

 

 

じゃあ、あふれるくらいに自分を愛で満たすって、

どういうことでしょう?

 

たぶんそれは、自分が本当に好きなことをする、

やっていて嬉しくてたまらない、魂が喜ぶことをする、

そういうことだと思います。

 

 

自分を満たすというと、「わがままなんじゃないか」と

悩む人って多いと思うのですが、

わがままかどうかは、

自分の心に聞いてみればわかると思います。

それをやっていると、わくわくして頭がどんどん回り出して、

「今」という瞬間にいられるかどうか。

「ねばならない」ではなく「そうしたい」と思って

それをしているかどうか。

自分の笑顔が増えるかどうか。

 

自分という一つの財産を、最大限に使えることが、

結局は、何より世の中のためにもなる

私は思っています。

そうやって、一人ひとりみんなが、

その人にしかない力を発揮して、

最大限に自分を活かすことができたら、

本当は自分の強みでもないことを使って、

やりたくもないことをしているより、

ずっとパフォーマンスも上がるし、

社会全体もイキイキできるのではないか、と。

 

 あとは、自分がそうであるように、

ほかの人も、自分というグラスを満たしていく

存在だということを忘れないでいること。

 

 

それを忘れないでさえいれば、

迷わずに、

いちばん上のグラスをシャンパンで満たしていきましょう!

 

※画像は、「シャンパンタワーレンタル 刻み屋」さんのサイトから、とらせていただきました。 

画像の出典はこちら→シャンパンタワー

 

 

 

 


自分では気づかないこと

2013年10月11日 | ●セルフコーチング

 

今日は久しぶり(そう、10年ぶり!)に

ある場所に行ってきました

 

そこは、どこかと言うと・・・

パスポートの更新場所です(笑)

 

 

その前に、必要な写真を撮りました。

 

あちらは、とても慣れたもので、

実にてきぱきと撮ってくださるのですが、

短時間のなかで数枚写すときに、

決まって言われたことがありました。

 

「左の肩を少し下げてください」

「アゴを少し引いてください」

「目を見開いてください」

 

そんな感じです。

 

 

つまり、私はデフォルト状態だと

左肩とアゴが少し上がっていて、

目がしょぼしょぼしている(?)ってことなんですね(笑)

 

人の身体はシンメトリーではないし、

身体にはなにがしかの歪みが発生していると言いますが、

私の場合は、前述のことなんだろうな、

と思いました。

 

毎日、鏡も見てるはずなんですが、

自分では気づいていないんですね。

 

 

同じことを繰り返し言われ、

(もちろん、とっても感じよく)

その度に同じ動作を繰り返す自分がおかしくて、

思わず吹き出してしまいつつ、

そんな発見にちょっと驚き。

 

笑ってますます目が細くなってたらどうしよう、

と思いましたが、

さすがプロ。

ちゃんと目を開いているところを撮ってくれました。

 

 

人に言ってもらわないと気づかないことって、

きっと沢山あるんでしょうね。

両方の肩のバランスがどうか、とか、

後ろ姿がどう見えるかとか、

あるいは、自分では気づかないけれど、

じつはよくやっているクセとか……

時には、誰かに率直にフィードバックしてもらうと

いいかもしれませんね。


素敵でごきげんな自分に近づくのに、

それって、きっとすごく近道だと思います


 

 


体重計に乗らなかった心境とは?

2013年10月10日 | ●セルフコーチング

 

 

天高く馬肥ゆる秋、ですね。

食べ物がおいしいです。

 

実は、9月の半ば頃から、

なんとなく、毎朝起きると体重を計ることが

日課になっていました。

別に特別ダイエットをしているとかではありませんが、

いつの間にか3週間が経ちました。

 

それが、初めて今朝、体重計に乗らなかったことに

気づきました。

 

 

なんでだろう・・・? と考えてみました。

 

それはたぶん、体重計に乗ろうかな、と思った時に、

ふとよぎった考えによるものだと思います。

それは何か?

 

 

 

「きっと数値が増えているに決まっている」

というものです。

 

ここ3週間、1~2キロの増減はあるものの、

ほぼ横ばいで来ていました。

そして、それはある数値以下でした。

 

ところが、昨日の朝、計ったとき、

久々に、その「ある数値」に達してしまっていたのでした。

理由は、たぶん、その前々日の食べ過ぎと

その前日の夜遅くの食事だったと思います。

 

3週間記録をつけていると、どんな場合に数値が下がって、

どんな場合に上がるのかが、

なんとなく見えるようになります。

 

それによると、食べたものの質と、食べた時間というのが、

体重に端的に現れる、と感じています。

それは、運動したかしないか、よりも、

はっきり数値に出てしまう、と、

私の場合は思うのです。

 

……ということからすると、

昨夜も遅くまで飲んで食べてしまった私。

運動もしていません。

今朝の数字は、明らかに下がってはいないはず。

それどころか、上がっているに決まっている。

しかも「ある数字」に達した時点より上に……

 

それはもう「恐怖」に近いものがあります。

 

だから、体重計に乗らなかった、というわけです。

 

つまり、怖いもの、いやなものを

直視したくないっていう心理ですね。

 

そして、もし、これが続くと……

何が起きるかは明白です。

 

こうやって、どこかで一線を越してしまうと、

人はやる気をなくしたり、

自分にダメ出しをしたりしてしまうんでしょうね。

そして、いやなものは見たくないので、

それを直視することを避けて、

見ないようにして、

でも、そこに後ろめたさなんか感じながら、

過ごしていくんでしょうね。

 

 

おお、危ない、危ない!

 

なので、今日は、どこかで必ずジョギングすることにします!

そして、早めに夕食を済ませます! (宣言

 

 

予定通りに行かないこと、うまくいかないこと、

失敗すること、凹むことは、

人間やってれば、誰だってあって当たり前。

問題なのは、そこからずっと戻らないこと。

 

ああ、はずれちゃった、と思えば、

また軌道を戻せばいい。

3日坊主も、続ければ、3日ずつの塊が、

点線のように、続いていくはず。

 

 

すべては、良いも悪いもなく、「今」の現実を

ありのままに直視して受け止めるところから、

ですね……。

 

 

 

 

 

 

 


物事を成し遂げる人がやっていること

2013年10月09日 | ●セルフコーチング

 

 

今日は、あるセミナーに参加してきました。

 

そこで語られたことはどれも、

私にとっては珠玉の言葉でした。

どれも、お伝えしたい内容ばかりですが、

今日は、何か物事を成し遂げる人がやっていることについて、

講師の方がおっしゃっていたことをシェアします。

 

その1:自分を満たす

・そのためには、最優先事項にフォーカスし、それ以外は捨てる。

・モティベーションにかかわらず、やるべきことを淡々とやる。

・落ち込むことがあるのは当然。落ち込んでもすぐに浮上する。

 そのためには、自分にダメ出しをして、自分を傷つけない。

 自分を守る。

 

その2:決断する

・決断を保留しない。

・ダメもとで考える。

・決めたことを後悔しない。未練を捨てる。

 捨てることに意識を向ける。選択肢を無くす。

・いやなことに正直になる。わがままになる。

・メンターを持つ。迷ったら相談する。

・決めないリスクの方が大きいことを知る。

 



その3:2つ以上手に入れようとしない

・欲張らない。

・完璧を目指さない。

 

その4:オリジナルに固執せず、パターンを組み合わせる

 

その5:大量行動

 

 

これって、ごきげんのポイントでもありますね。

 


私たちは、人に迷惑をかけている

2013年10月05日 | ●セルフコーチング

 

 

今日は、とってもステキな言葉に出会いました。

 

それは、インドで親が子どもに言う言葉だというのですが、
 
こんな言葉です。
 
 
「お前は、人に迷惑をかけて生きているのだから、
 
 人のことも許してあげなさい」
 
 
というものです。
 

 

 

日本では、

「人様に迷惑をかけないようにしなさい」という言葉を、

よく言いますね。

 

私自身も、そう言われて育ちましたし、

自分の子どもたちにも、確かに言ってきました。

 

でも、最近では、言いながら、

なんとなく違和感を感じていました。

 

というのは、

人にまったく迷惑をかけないで生きるなんて、

あり得ないよなあ、と思うからです。

 

迷惑をかけようと思ってかけるとか、

迷惑をかけたと知っても知らん顔、

というのはもちろん論外なのですが、

自分でも意図せず、そして気づかずに、

誰かに迷惑をかけてしまうことって、

きっとあるんだと思うのです。

 

たとえば、雨の日に水しぶきを誰かにかけていた、とか、

混んだ電車で誰かの足を踏んでいた、

みたいに。

 

 

だから、

「迷惑をかけてはいけない」という考え方、

半分はそうだよな、と思う一方、

半分は、なんか現実に背いている気がしていました。

 

 

そして思うのは、

「迷惑をかけないようにしている」気持ちが

強ければ強いほど、いつの間にか

「自分は迷惑をかけていない」という錯覚も強くなったり、

あるいは、誰かのいただけない行動に出会った時に、

「自分はこれだけ人に迷惑をかけないように頑張っているのに、

こんなふうに迷惑をかけても平気だなんて、許せない!!!」

みたいに、人を許せなくなる傾向も強まるのではないか、

ということです。 

それって、かえって生きにくい社会をつくっていることに
 
ならないでしょうか……?
 
 
 
「人に迷惑をかけてはいけない」というのは、
 
言い換えると「失敗してはいけない」
 
ということなんじゃないかと思います。
 
 
そう言われ続けると、
 
失敗はいけないものだと思ってしまいますよね。
 
 
でも、人は失敗する生き物。
 
失敗するのは当たり前で、悪いことじゃない。
 
それより、失敗したら、どう挽回するか、どう謝るか、
 
そういうことの方がずっと大事だと思います。
 
 
 

それに、大切な人から

「迷惑をかけたくないから」と、

とても重大なことを聞かされていなかった、

ということを知ったりしたら、

「なんてみずくさい…」

と、かえって気持ちが傷ついたり、

つらくなったりもするもの。

 

それよりは、

「実は、こうなんだ。ごめん」

と言われた方が、ずっとずっとスッキリし、

心が通った気がするのではないかと思います。

 

 

そんなことを思うと、

「お前は、人に迷惑をかけていきているのだから、
 
 人のことも許してあげなさい」

つまり、

「お前は、失敗をするのだから、

 人の失敗も許してあげなさい」

という言葉は、現実的で、人間らしくて、

人が幸せに生きるために、とても大切な教えじゃないかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


自分をもてなす

2013年10月04日 | ●セルフコーチング

 

主婦の方で、ひとりで

おうちでお昼ご飯を食べるという方、

どんなふうにされていますか?

 

私は、ほとんど家で仕事をしているので、

ランチは大体、家の食卓に向かっています。

で、食べるものは、たいてい残り物か、

とても簡単なもの。

たとえば、ホットサンドとか。

 

食いしん坊でおいしいものが好きなので、

手作りしますが、

できるだけ手はかけたくない、と思っています。

 

そこで、

洗い物を増やさないようにと考え、

タッパに入れたものは、タッパからそのまま、

一皿に盛れるものは一皿で食べるようにし、

見てくれより、皿数で考えます(苦笑)。

さすがに、鍋からそのまま、はありませんが、

ほとんど変わらないかも、ですね・・・

 

食べ方も、パソコンを片手で操作しながら、

なんてこともよくあります。

一つのことをやっていると、

それを中断したくないという気持ちも働くのです。

 

それで、結局そちらに集中して

ホットサンドが真っ黒こげ、

なんてこともしょっちゅう・・・

 

 

でも、今日は、サラダをしっかり食べたくなって、

サラダを作りました

 

 

そうしたら、とってもきれいな色合いだったので、

その他の残り物も、

ちゃんと一つずつお皿にとって

並べたくなりました。

 

そして、パソコンとも離れて、

食べることにだけ集中して食べました。

 

 

そうしたら、なんか、

自分で自分をおもてなししているような気がして

幸せ感がアップ

 

たったそれだけのことですが、

自分を丁寧に扱うということが

自分の気持ちを落ち着かせ、

安定させるということをあらためて感じました。

 

洗う皿の数が増えるだけで、

穏やかな安定感が得られるなら、

安いものですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


専門家を使うということ

2013年09月30日 | ●セルフコーチング

 

 

今日で9月も終わり。 

いよいよ、夏よさらば、という感じですね。

 

この夏を振り返ってみると、

私は、今までになく「専門家を使った」なあ、

と思います。

そして、それから1ヵ月ほどが過ぎ、

その「効果」を実感しています。

 

どんな「専門家」を使ったかと言うと、

たとえば、「水泳」。

トライアスロンの達人に個人レッスンをしてもらい、

プールではなく、オープンウォーターでの泳ぎ方を

イチから教えてもらいました。

オープンウォーター専用に練習しているクラブにも行き

インストラクターからあれこれご教授いただきました。

 

私には目からうろこが落ちることのオンパレード。

おかげで、手賀沼1.5キロを、

無事に泳ぎきることができました。

 

この方々に教えていただかなければ、

私の完泳はあり得なかったと思います。

 

 

私が使った「専門家」は、まだまだいます。

こちらは、水泳のように、

ある意味、目に見えるものだったり、

一般的に認知されていたりしないので、

「効果」のほどは、他人が見てもわかりにくいと思います。

 

具体的には、NLPのワークだったり、

エネルギーヒーリングだったり、

はたまた過去世リーディングだったり。

結構な投資をしました。

 

なぜ、そんなことをしたのかと言えば、

これはもう、自分だけではどうしようもないな、

と思ったからでした。

 

たとえば、水泳は、

自分でいくら考えたところで、

いくら本を読んだところで(読んでませんが。笑)、

泳げるようにはなりません。

 

また、たとえば、

PTSD(Posttraumatic stress disorder:心的外傷後ストレス障害)

のようなものは、

いくらその仕組みや原因がわかったところで、

だから治るというわけではありません。

 

PTSDは、ひとつのたとえですが、

左脳で理解しているからと言って、

右脳も身体も持っている自分の全体が

それを納得して、対処できる、

というわけにはいかないこともあると思うのです。

 

そんなわけで、「専門家」と言われる人に、

お金を払って、相談してみたわけです。

 

 

そして、その結果。。。

 

私は、欲しい成果を手に入れました。

 

水泳では、自分のどこがまずいのか、

どうやったら、もっと合理的で

ラクな泳ぎ方ができるのか、わかりました。

結果として、手賀沼1.5キロを完泳できました。

 

その他の気持ちの部分については、

これまで自分ではどうしても取り払えなかったブレーキを

かなり解除することができ、

固かったものはほぐれ、ラクになり、

迷っていたものについては迷いがかなり消えました。

 

 

 

で。

専門家という人たちに相談しなかったら、

私は今の状態に到達できないのか、と考えると、

そんなことはないかもしれない、と思います。

いつかはできるかもしれない、と。

 

でも。

それは、3年後かもしれないし、10年後かもしれない。

あるいは、できないかもしれない、とも思います。

 

 

専門家の代表と言えば、

たとえばお医者さまがいると思いますが、

お医者さまを考えるとわかるように、

専門家とは、自分の中の問題の箇所や原因を突き止め、

それに対して適切な処方箋を出してくれる人です。

 

お医者にかかる時には、

何が原因かわからないけれど、

具合が悪いから見てもらう、という時もあれば、

インフルエンザにかかったらしい、とわかっていて

お薬をもらいに行くこともあります。

 
 
ちょっとした風邪くらいであれば、
 
お医者に行こうと行くまいと、
 
くる時がくれば治るだろうと思いますが、
 
もし、調子の悪い原因がもっとほかの病気だったら、
 
専門家に相談しないでいるうちにどんどん悪化し、
 
手遅れになってしまうこともあり得ます。
 
 
 
でも、お医者さまが薬を処方するときも、実は、
 
「たぶん、これでいいから、これ飲んで」
 
「で、もし、これが効かなければ、ほかの薬を
 
試してみましょう」
 
という感じなんですよね。
 
100%正解なんていうことはない。
 
いろんな数字や、これまでのお医者さまの経験から、
 
仮説を立てて、検証しているわけです。
 
 
そして、結局、病気を治すのは、
 
薬ではなく、本人。
 
薬などは、本人の病気を治そうという力を
 
サポートしているに過ぎないわけです。
 
 
 
そう考えると、
 
今は「科学的」ではないとされているものも、
 
科学の筆頭みたいな医学も、
 
実は大差ないのでは? ということも言えるわけです。
 
 
 
 
 

過去世のリーディングは、

「答え合わせでしたね」と言われました。

私がそうではないか、と感じていたことについて

「そうですよ」と言われた感じだったのです。

 

その「そうですよ」については、

それが本当かどうか、正解かどうか、

そんなことは、わかりません。

 

でも、そう言われたことで、

「あ、これでいいんだ。自分の感覚を信じていいんだ」

そう思うことができました。

 

 

その他のことも、そう。

相談した結果、

自分が考えてもいないことをやらなければならない、

納得できないけど、やらなくちゃ、

といったことなど一つもなく、

自分が自信を持てずにいたことに、

「大丈夫だよ」という安心感を与えてくれて、

背中を押してもらったように思います。

 

要は、結果として、

そのことが自分にプラスに働くのか否か。

逆に言えば、自分がそれをプラスに利用するつもりかどうか。

それだけ。

だって、正解なんてわからないんですから。

 

そしてまた、思ったのは、

専門家を使う時は、実はもう、

自分の中の答えはかなり出ているときなんだ、

ということでした。

 

 

お医者に行くのも、

本当に具合が悪くて、

誰かに救急車を呼んでもらう場合でなければ、

逆に、つらい時には、お医者に行くこともできません。

行くとしたら、少し動けるようになってから。

あとは、動けなくなる前に、早めに行ける時に行く。

 

 

そんなわけで、

今回、短期間に複数の「専門家」を利用して

思ったのは、 

専門家を使う、相談する、お金を払う、ということは、

お金を代償として自分に必要なエネルギーを得る、

ということなんだ、ということでした。

だから、お金はエネルギーと言

われているんだとも思いました。

 

タクシーを利用することで時間を買うように、

専門家を利用することで買っているのは、

自分に必要なエネルギー。

そう思います。

 

 

そして、そうやって、専門家に相談するから

欲しい結果が得られるのではなく、

専門家に相談することによって、

自分は欲しい結果を手にすると決断するから、

欲しい結果を手に入れられる、のだと思います。

 

そう思うので、あえて「専門家を」「使う」

といういい方をしてみました。

 

あくまでも、主体は自分。

欲しいところだけを取る。

そのためにお金を払う。

結果をどう使うかは、自分の問題。

 

それをわかった上で専門家を使う、というのは、

自分をごきげんにして、

なりたい自分に早く到達するために、

とても有効な方法だと思います。

 

 

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片づけにも、専門家を利用してみませんか?  

    ↓↓↓

  danshari2

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 


半沢直樹最終回の後味をどうする?

2013年09月22日 | ●セルフコーチング

 

 

ドラマ「半沢直樹」が終わりましたね。

 

あの番組は、おそらく「すっきり」するために

見ている方が多いのではないかと思います。

 

で、本日の最終回。

見る側はみな、ハッピーエンドはわかっているのですから、

言ってみれば、水戸黄門を見ているようなものです。

 

ですから、見たいのは、悪役が

市中引き回しの上、貼り付け獄門になるのか、

それとも、江戸所払いになるのか、

はたまた、切腹なのか……

みたいなところだったのではないか、と思います。

 

で、手に汗握りながら、見ていると、

最後の印籠を渡す場面(常務の土下座シーンですね)があり、

あとは、お上のお沙汰が下るラストへと向かったわけですが、

これが、おそらく、多くの人が期待していた

どの、罪状でもなかった……

それどころか、主人公が、所払いですか

という、唖然の結末。

 

 

原作通りだとのことですが、

私のそばで見ていた人は、

「後味が悪すぎ。 このままでは眠れない」

と言って、起きて何やらネットサーフィンをしておりました。

 

私自身は、次の展開などをあれこれ考え、

それはそれで楽しみましたが

「確かに、どうも歯切れが悪い気が」とは思い、

それを変えられるのかという実験もかねて、

まったく別の本を読んでみました。

 

 

すると、すぐにその本の世界に引き込まれ、

しばらく読んだあとは、

すっかり違う気分になっていました。

 

「気分転換」とか「口直し」とかいいますが、

それですね。

 

 

どんな気分も「ひきずる」ことも「変える」ことも

選べるんだなあ、と

身をもって感じた夜でした。

 

皆さんは、どうやって気分転換したんでしょうか・・・?

 

 

 

 

 

 

 

 


いいアイディアが生まれる条件って?

2013年09月21日 | ●セルフコーチング

 

「三上」という言葉を聞いたこと、ありませんか?

・馬上(移動中)
・枕上(寝る前)
・厠上(トイレや風呂場)


のこと。

 

これは、

「いいアイディアが生まれる場所」

のことを言っています。

中国の宋代の政治家&詩人、欧陽修の言葉だとか。

 

これ、経験的に「そうだよなあ」と思う方は

たくさんいらっしゃると思います。

 

なぜ、三上なのかと言えば、この場所にいる時は

「リラックスしている」とか

「アルファー波が出ている」

からだとも言われます。

 

(トイレでアルファー波、なのかどうか、

考えたことはなかったですが……。)

 

「いいアイディア」というものは

「潜在意識」(無意識)から生まれ出てくるものと言われますが、

潜在意識は、脳波がアルファー波状態やシータ波状態のとき、

アクセスしやすいのだそうです。 

 

で、「三上」のことは私にも当てはまるのですが、

私の場合、これらより、もっと高い確率で

いいアイディアが生まれる時があります。

 

 

それは、

・朝、起き抜けにヨガをしている時

・ジョギングをしている時

・アイロン掛けをしている時

なんです。

 

これらに共通していることって何だろうなあ?

と考えてみました。

すると、それは・・・

 

身体を動かしている

 

ということではないか、と思うのです。

 

しかも、ジョギングとアイロン掛けについていうと、

ほぼ、一定のリズムで、どこかを動かしているのです。

しかも、単純な繰り返し。

 

このことの科学的根拠は、調べていないので、

わかりません。

 

ただ、私が思ったり、感じたりするところでは、

身体を使うことで、身体の感覚に集中する状況が生まれるため、

その分、思考を使う余地がなくなって、

顕在意識での思考がストップできるのだと思います。

 

 

「潜在意識」に働きかけるための代表的手段は「瞑想」ですね。

そして、「瞑想」のための代表的手段が

「座禅」ではないかと思います。

 でも、「座禅」で「潜在意識」にアクセスするのは

一般的に難しいとされています。

 

なぜなら、潜在意識にリーチする前に、

顕在意識のところで、沢山の「雑念」に

立ちはだかられるからです。

 

食べたいものとか、困ったこととか、

むしろ執着が浮かんできてしまうのです。

 

「手放す」ということは、

人間にはできにくいものだという証拠ですね。

 

だから、「手放す」のではなく、

これまでとは違うものに「集中」してみる、

のがいいとも言われます。

 

たとえば、困ったことを考えないようにする、のではなく、

自分の呼吸に神経を集中する。

どうやったら「無」になれるか、と考えるのではなく、

伸びている身体の一部に集中する。

そうすると、頭がそのことに占有されるので、

ほかのことを考えられなくなります。

 

そんな状況は、リズムがあって、それが繰り返されていると、

より、起きやすくなると思います。

繰り返される動作が、脳をアルファー波に導くようです。

 

そうして生まれる状況が、

「ランナーズ・ハイ」に代表される「フロー」状態ですね。

 

 

そうなると、

普段は閉じている潜在意識という地下室の扉が

開いた状態になるわけです。

 

すると、

「そうそう、○○の答えは…」と

頭の片隅にあった問いの答えを、

意識が取りに行って、持ってきてくれるのです。

 

 

地下室には、いつも、ちゃんと答えがあります。

でも、私たちは、なかなかそれを取りに行けない。

地下室の扉の開け方がわからなくなっているからです。

 

その扉を開けるカギ、

それが、アルファ波やシータ波と言われる脳波なのでしょう。

 

そして、そのカギを取り出すのには、

座禅や瞑想など、静的なもののほかに、

身体を動かすこと、という動的なものもある。

しかも、単純動作を繰り返すことがいいのではないか。

……そう思います。 

 

 

先日、ナンパをしているという方から聞きましたが、

ナンパをしているナンパ師という人たちの間では、

「ナンパーズ・ハイ」というものがあるそうです。

道行く女性たちに次から次へと声をかけていると、

それまで、「断られたらどうしよう」などと

怖れで萎縮していた気持ちが、とてもラクなものに変わり、

抵抗なく声かけをできるようになるそうです。

これを、「ナンパーズ・ハイ」と呼ぶんだそうです。

 

単純動作の繰り返しでフロー状態、というのは、

やっぱり本当だ! と思ったお話でした。

 

 

ということで、

潜在意識の扉を開けるには、身体を使って繰り返し動作。


ぜひ、「食欲の秋」に「運動の秋」も加えて、

ごきげんの扉を開けてみませんか?


何ハイを目指しますか?

 

面白い「ハイ」があったら、ぜひ、おしえてくださ~い!

はい



 

 

 

 

 

 

 


すべてに通じる、よい姿勢

2013年08月09日 | ●セルフコーチング

 

 

昨日、実は生まれて初めてプロの方に

プロフィール写真なるものを撮っていただきました。

 

写真家の方に、

「背筋を伸ばして」「笑顔」

これがすべてです、と言われました。

 

姿勢は悪い方じゃないと思っていたのですが、

何気なく座っている時の写真と、

ご指摘いただいたことを守って座った時の写真を見比べると、

違いが一目瞭然でビックリしました。

 

ポイントは骨盤を立てること、だそうです。

そして、頭を天から吊られているようにすっと身体を伸ばす。

肩甲骨を少し寄せて胸を開く。

 

これって、実は何でも共通している、と思いました。

 

歌うとき、

話すとき、

走るとき、

泳ぐとき、

……

 

「体幹」が大事、っていうのは、こういうことなんだと思います。

 

 

昨日も朝、泳ぎましたが、

インストラクターに姿勢をチェックされ、

やってみて納得したのは、体幹をしっかり保つと

身体が浮く、ということでした。

 

具体的にはお腹に力を入れ、手足等の末端には力を入れないことなんですが、

そうすることで、身体の中の声やエネルギーが

素直に外に出て行く、そう思います。

 

 

写真なら、「姿勢で10歳若返りますよ!」と

写真家の方がおっしゃっていました。

 

 

 

写真、実は大嫌い。

写真で笑う、なんてむずかしい。

そう思っていた私をナチュラルに撮ってくださったのは、

この方です。 → (こちら

 

出来上がりが楽しみです