昨日の続きです。。。
雨が降りそうな空模様で、みなさんやや急ぎながら、歩きました。
寺町通を北上し、誠心院・誓願寺・矢田寺・本能寺・・・源氏物語と関係のある場所も、無い場所も一応は紹介してもらいました。
そして、御所までやってきました。
このあたりには、紫式部や藤原道長にゆかりの場所がたくさんあります。
最初に紹介してもらったのは・・・。
グランドの横に、石碑がひっそりと建っていました。
知っています。。。
この場所は、以前に来たことがあります。
藤原道長が病気となり、出家をしたときに建てたお寺「法成寺」です。。。
鴨川のすぐ近くで、大きな寺院で、極楽へ行けるように阿弥陀様をまつったと言われています。
平安時代の半ば以降は、極楽浄土を願う思想が広まったそうです。
地図によると、京都御苑の中に、藤原道長の邸宅である土御門邸があり、そのすぐ横に建てられていたと推定されています。
自宅のすぐ横に、お寺を建てて、阿弥陀様にすがろうとしていたのかもしれません。
平安時代の建物の遺構は現在はほとんど残っていないそうですが、かすかに手掛かりとなるものがありました。
法成寺がこの地にあったことを示す「礎石」です。。。
清浄華院(しょうじょうけいん)という寺院に法成寺の礎石が残っていました。
綺麗な桜が咲く、落ち着いたお寺でした。
桜があまりに綺麗だったので、源氏物語のことは忘れて、桜を撮ってしまいました。
強大な権力を持っていた道長のことですから、きっと大きな敷地だったのでしょう。
昨日書いた源融の河原院もそうでした。。。
歴史の中では、豊臣秀吉の方広寺なども、相当広い土地にまたがっていたそうですが、時の権力者はそうやって、広大な土地に大寺院を立てて、権力を見せつけていたのでしょうね。
そして、清浄華院のすぐお隣にあるのが、紫式部の邸宅があったと言われる場所「蘆山寺」です。。。
このお寺には、一昨年に行ったことがありました。
その際に、調べたところでは、「源氏物語」執筆の地と書かれていますが、当時の建物などは、度重なる火災のため、残っておらず、現在の建物は後に建てられたものだとのことでした。
また、近年は、紫式部は石山寺で源氏物語を書いていたという話もあり、厳密にどこで書いていたかは、謎が多いようでした。
そのことは、さておき、紫式部さんが、このあたりに住んでいたことは、間違いないようです。
紫式部・・・道長・・・まさに「光る君へ」ですね。。。
このあと、いよいよ最終目的地の道長の邸宅である土御門邸跡へと向かいましたが、またしても長くなりましたので明日に持ち越したいと思います。
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