そろそろ、シギやチドリが海岸や水田に来てるらしいと、鳥仲間から連絡があり、昨日は少し遠出をしました。
遠出なんだけど、いつもと違うのは探鳥会の「前会長さん」をお誘いしたこと。いつも一緒に行ってくれる彼女も探鳥歴古いんだけど、前会長さんは更に古くてもう地元ではレジェンドと呼ぶべき方です。
私の車の助手席に乗って頂いて三人で「出発!」
前会長さんだけどここでは会長さんとお呼びして話を勧めます。
会長さんは生涯を通して車の免許を取得していません。何か主義主張があっての事ではないかと推察しております。
なので今日も助手席です。しかし、若いころから双眼鏡、スコープ、鉄の三脚、カメラ等を持って公共の交通手段と歩きでくまなく探鳥をしています。
なので今日の様に県外であっても道には詳しくて彼の言うままに進んでいれば大丈夫。「この先進んで本当に道在りますか?」と素人の私が訝しんでも、彼の言う通り行くと必ず道は在る。
先ずは、海。
珍しい鳥はいませんが、シロチドリ、メダイチドリ、キアシシギ、アオアシシギ。
シロチドリ
あそこに「メダイチドリ」が居ます。と会長さんに言われてスコープで見せて貰ってから自分のカメラで写真を撮るも、
やっぱり「シロチドリ」という不思議。(カメラに入れるのが下手なだけです)
私がミヤコドリをまだ見てなかったので、このウミネコの中からミヤコドリを探そうとしてくれましたが、見つからず。行きと帰りで探しましたが会えませんでした。
ウミネコの体が白くてきれいになるまでには3年ほどかかるそうです。薄茶色の鳥は幼鳥と思ってましたが、完全なウミネコの様子になるには3年もかかっていたとは知らなかった。そして、彼らは大人のなるまではこの辺に居ますが、繁殖する時には繁殖地の海へ行くそうです。この辺りだと山陰地方が多いそうです。では寿命はだいたい何年位なの?思わず聞くと12年位と直ぐに回答が来る楽しさよ。
私の好きな青葉木莬の寿命は40年位なんだって!!さすが神社に来る鳥だわ!って感心したり。
影の無い所は本当に暑くて、こちらの方が根を上げて帰り支度をしたい位。でも凄く熱心に観察されます。
珍しい「ダイゼン」にも出会ったのですが、どうやら私が動いた事が原因で逃げられました。
その時に、不思議な呪文のような事を言われるのでよーく聞いて見ると「縦に動くのはかろうじてオッケー。横に動くのはダメ」という事らしい。鳥を見るときの注意点だそうです。勉強になるわ。
ただ、会長さんにも未知のことが有ったようで・・。それは私の車の安全装置。
狭くて、両サイドに草が茂っている道に入ると、私の車はピーピーと危険を知らせるブザーが鳴りっぱなし。私の車からしたら前後左右全部危険とみなしてる。ボタン操作で切れるはずなのにボタンを押してからも鳴りっぱなし!。
挙句ゆっくりゆっくり進んでいるのに、ブレーキがかかって何度も車は軽く止まってしまう。ちょっとコントみたいで笑ってしまった。
こんだけピーピー言いながら進んだり、つんのめったりしながら行けば、鳥も逃げるでしょうね。きっと。
私の車が探鳥には向かない事が良くわかりました。
香川県まで来たのでやっぱり昼食はうどんですね。私は冷めたいうどんと鶏天とサツマイモの天ぷら。サクサクの揚げたてがうまい!!私以外はアジフライを選んでました。
ここではアオバトを待ってゐました。海には降りませんでしたが沢山近くの木に停まってくれました。
帰り道、やっと何となく気心が知れた感じでおしゃべりが出来ました。昼のアジフライのお味がもう一つだったとか(笑)話してくれました。その後、お話がなぜか、7歳の時に空襲の焼夷弾が落ちて来たのを見ていたと言う話になりました。
会長の町は空襲で大きく焼けて無いんです。隣町の私の町は大きく焼けています。会長さんはそれを高台の梨山で座って見てましたと言われてました。もう一つ隣町の松山大空襲も焼夷弾が落ちて来て山の向こうが真っ赤になってたと言われたので更に驚き!
昭和の南海地震も経験されてて、自宅の周りも何もの家がぺたんと倒れてて・・・。などと話されて。
なんか、昭和のレジェンドって感じでした。
今日の終戦記念日のセレモニーを見ながら会長さんの事思い出した次第です。