今日の五月

夕方、目をつむってほとんど動かない五月を撫でながらいろいろと考えてた。
どうしてコイツばかりが、こんな目に合わなくてはならないのか?とか。
それもどれもこれも、なるべくしてなった運命なのだろうなぁって。
茂吉みたいに外に飛んで行っても俺の機転で無事家に戻ってこれて捕獲できたのもいるわけだし、運命には逆らえないよね。

だから、これで五月の命が運命で延命するのだったら、それもまたあるだろうって。
今回の山の噴火だって、まさかそんなことが!!!って感じで起きたわけでしょ?
たまたま偶然、その日に行ってて巻き込まれた人なんかは、そういう運命だろうし、前日とか翌日にした人は、それもまたそういう運命だろうね。

俺もICUに半月ほど転がされていたから、そういうのはどうにもならないって思ってます。
そうそう、哲也ってマンガの1巻に「どこにいたって死ぬ時には死ぬ」っていうセリフがあった気がするのですが、人生なんてそういうものだと思うんですよ。
どんだけエリート街道を歩んでも、転がる時はあるでしょう?
逆に自分では碌に努力しなくても幸せになれる人もいるはず。
だから、なにもかも身を投じてしまって「なるようになる」って考えるのが一番なんじゃないのでしょうか?

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