国際デュアルビジネス専門学校

ここでは本校の日常と教職員のつぶやきをお知らせいたします。

新学期

2010年08月31日 | 在校生の日々
通勤途中の電車の中で携帯がなりました。
「今日から学校始まるの忘れてた!」
カミさんからでした…。
今日からスタートの学校も多いのでは?
本校も本日からです。
厳密には二学期制なので新学期ではないのですが、
気分も新たにスタートです。

猛暑効果

2010年08月26日 | スタッフ日記
暑い暑いといいながら暮らす毎日。
以前もこの夏のヒット商品紹介しましたが。
エアコンもコンビにもそして…
7月の外食チェーン売上高(全店ベース)も2・5%増!
確かにうちにいられませんよね、暑くて!
経済効果はありますね!
我が家もちょっと貢献しているかもしれません。

河童橋

2010年08月25日 | 観光の面白さ
上高地の河童橋がつり橋になって100年を迎えたという記事を見つけました。
関東の小学生の定番コース上高地。
私も小5の夏休みに連れて行ってもらいました。
あそこまで行くと川の水が冷たくて…
「なつかしいなぁ~」

記事には命名の由来が書いてありますが、私はずっと芥川龍之介の「河童」から
きてるとずっと思ってました。関係ないみたいですね…
そうか、ちょうどそのとき読んでたなかなぁ…
いい思い出です。

奨学金

2010年08月24日 | スタッフ日記
今朝の読売新聞のトップは「奨学金延滞 訴訟4233件」。
返さないヒト増えてるみたいです。
本校の学生も、そしてほかならぬ私めもお世話になった奨学金。
この状況が続くとどうなると思います?
とうぜん原資がないんだから、貸そうたって貸せません。
となると借りられる学生も限られてきます。
ジブンがよければそれでいいのか?
憤慨してしまいます。
ちなみに私は40歳前に完済しました!

夏の思い出③

2010年08月23日 | スタッフ日記
先週末、うちの子供は千葉市と千葉大学が行う
「西千葉子ども企業塾」というものに三日間参加してきました。
西千葉駅前で毎月行われている「ゆりの木商店街土曜市」を
活性化させる企画を考え、「会社」を起こし事業計画を作り
「銀行」から融資してもらい、最終的にスポンサーから
「お金」をもらい利益をあげる…という実社会に即したもの。
うちの子供の会社は宣伝の「うちわ」を作成し配るという企画で
利益を上げたようです。
主催の千葉大の先生のお話では
「子供のころから消費することだけ慣らされた人間が社会人になってしまうことが
離職率の高さにつながっている」との問題点からこの企画を考えられたそうです。
たしかにうちの子供もちょっと目線がかわって帰ってきました。

ひと段落

2010年08月20日 | スタッフ日記
7月の電力重要が6年ぶりに更新したとか。
口にするのもいやになりますが、暑かったですからねぇ。
しかし関東地方、昨晩から今朝にかけてちょっと涼しいです。
すこしずつ季節がうつっているのかなぁ…という気がしました。
皆さんのところはいかがですか?

街角景気ウォッチャー

2010年08月18日 | スタッフ日記
お盆前から気づいてたんですけど、通勤で使ってる
JR総武線快速の車額ポスター(両サイドの天井のコーナーに
貼ってるポスターのこと)のやたら空きの目立つこと!
しかも中吊りの広告も見ればJR(つまり自社内のもの)!
前、ギョーカイにいたんでなかなか「空きが出ない」という
認識が強いだけに、ひたひたと迫る景気の悪化にゾッとします!
深刻です!!

夏の思い出②

2010年08月17日 | スタッフ日記
さきおとといは千葉マリンスタジアム
ロッテvs楽天を見に行きました。
以前もお伝えしましたが、なかなかマリンスタジアム
ファン対応に力入れてます。
まず球場前はビアガーデン状態。
7回裏には花火が上がります。
そして…
試合後には子供がグランドに降りてダイアモンドランニングできます!
一家で過ごすには企画目白押しです!
ぜひ行ってみてください!
ちなみにロッテ、辛勝しました!

夏の思い出

2010年08月16日 | スタッフ日記
みなさん、お盆休みはいかがでしたか?
画像は昨晩の我が家のベランダの光景です。
大爆発ではありません。そうなんです花火大会なんです。
毎年8月15日、町内会の花火大会が我が家の目の前で行われるのです。
毎年この花火を見るたびに、「またひとつ歳を…」なんて
感慨にふけりますが、子供にはいい思い出のようです。

お盆

2010年08月12日 | スタッフ日記
浅草橋界隈もお盆休みモード。
本校も短めに明日から三日間お休みいただきます。
もう何年も夏の帰省してませんが、そうですよね…
画像のようにお盆といえば、提灯・墓参りetc.
子供のときの記憶がよみがえります。
おもえば父は毎年帰省で田舎へつれっていいってくれたもの。
あのころは余裕があったのでしょうか…