精神世界・心に響く言葉

日々の読書の中で心に響いた言葉を拾う

見つかったダイアモンドはあなた(ガンガジ)

2010年08月30日 | 覚醒(悟り)と叡智
◆ガンガジ

もしもあなたにこうした感情の重なりを最後まで徹底的に経験する意思があれば、
あなたは最終的には底なしの深淵に見えるところに辿り着きます。
この深淵は、無、空虚、無名と理性が認識するものです。
これは非常に重要な瞬間です。なぜなら、
完全に何ものでもなく、誰でもないことを進んで受け入れるということは、
自由になることを積極的に受け入れるということだからです。
何層にも重なった様々な感情はすべて、無の経験、
すなわちあなたが自分だと思っているものの死に対する防衛手段です。
いったんその防衛手段が崩れ、扉が開いてしまうと、
恐れていた無と完全に向き合うことができます。
この対峙こそ真実の自己探求によってもたらせれる啓示であり、
それによってあなたの心の真ん中にずっと隠されていた
真実という秘密の宝石が露にされます。
見つかったダイヤモンド、それはあなたです。

  
 ※『ポケットの中のダイヤモンド―あなたはすべてをもっている』より

恨みを手放す(A course in miracles)

2010年08月28日 | 愛と許し
◆A course in miracles

私たちを怒らせるようなことを何もしたことがない人を許すのは簡単です。
しかし、私たちを怒らせる人は最も大切な先生です。
そういう人たちは、私たちの許しの能力の限界を示してくれます。
恨みを抱くことは、神の救済の計画に対する攻撃である。
他の人たちに対する恨みを手放すという決定は、
自分自身の本当の姿をありのままに見るという決定です。
なぜなら、他の人の完璧さに対して私たちを盲目にする闇は、
私たち自身の完璧さに対しても私たちを盲目にするのですから


 ※『愛への帰還―光への道「奇跡の学習コース」』より

思考は雲のように(ラリー・ローゼンバーク)

2010年08月27日 | 瞑想・修行
◆ラリー・ローゼンバーク

意識に耳を傾けると、
思考はやむことなくやって来ては去って行きます。
それらは一貫したものではなく、お互いに調和もしません。
それらは統御することも予測することもできません。
ただ、空に浮かぶ雲のように、現われては消えていきます。
このプロセスを見ることが空(emptiness)を見ることなのです。


 ※『呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想』春秋社より

超高速で去来する波動

2010年08月26日 | 瞑想・修行
◆ゴエンカ

一つの考えが心のなかに浮かぶと、
それにともなう感覚がからだにも起る。
その感覚が連続して生まれては消える。
いや、心とからだのみかけの堅固さは討ち砕かれ、
物と、心と、心の形成物の、究極の真理を体験することになる。
究極の真理、それは超高速で去来する波動、微粒子の振動、
それ以外のないものでもない。


 ※『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門―豊かな人生の技法』より

全体に気づく(クリシュナムルティ)

2010年08月04日 | 気づき・成長と悟りへの道
◆クリシュナムルティ

あなたは全体で怒りに気づきます。そのとき、怒りはあるでしょうか。
不注意が怒りであり、注意深さは怒りではありません。
ですから、あなたの全存在による注意深さが 全体を見ることであり、
不注意とは特定のものを見ることなのです。
全体に気づき、特定のものに気づき、そして両者の関係に気づく
――これが問題のすべてです。


 ※『自己の変容 新装版』より

恐怖と怒り(ケン・ウィルバー)

2010年08月03日 | 人間とその心
◆ケン・ウィルバー

本来つぎめなのい意識を、主体と客体に、
自己と他者に引き裂くときはいつも、
その自己は恐怖を覚えるということだ。
理由は単純。
今やあまりに多くの「他者」がいて、
それがみな危害を加える可能性ともっているからだ。
‥‥この恐怖から怒りが生じてくる。


 ※『グレース&グリット―愛と魂の軌跡〈上〉』より

蜃気楼から蜃気楼へ(スティーヴン・レヴァイン)

2010年08月01日 | 人間とその心
◆スティーヴン・レヴァイン

われわれは一瞬一瞬、心に浮かんでくるものと同一化し、
それが浮かんでいる空間に目を向けることはめったにないため、
自分の本性に気づかない。
そして、蜃気楼から蜃気楼へと、瞬間的心から瞬間的心へとよろめきながら、
『この欲望が私だ』『この心が私だ』『この渇望が私だ』
という感覚に自分を見失っているのである。

 
 ※『めざめて生き、めざめて死ぬ』より