精神世界・心に響く言葉

日々の読書の中で心に響いた言葉を拾う

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あなたが誰かを許したとき(エリエール&シーヤ・カーン)

2010年09月14日 | 愛と許し
◆エリエール&シーヤ・カーン

あなたが誰かを許したとき、
そこで本当に自由を得るのはあなた自身です。
ほとんどの人が理解していないのですが、
誰かの行動に対して恨みを抱いたとき、
それによってあなたが罰しているのはあなた自身なのです。

たとえあなたが「正しく」ても、
自分が正しく、相手が間違っているということにこだわれば、
あなたの内側で何かが死んでいくのです。


 ※『今ここに生きる力―「瞬間的に人生を変容できる」生き方の極意 』VOICE)より
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自分の身体感覚に従う(ミンデル)

2010年09月03日 | 人生・いのち
◆アーノルド・ミンデル

あなたが自分のエネルギーを支配しようとしたり、操作しようとすると、
結局のところ、病いや死に直面することになる。
一方、あなたが自分の身体感覚に従うならば、今ここにいることを十分に感じ、
真に人生を生きて創造している感覚が得られる。
たとえば、痛みやめまいといった感覚を大切にするということが、
ドリーミングボディを生きるということなのである。

 
 ※『シャーマンズボディ―心身の健康・人間関係・コミュニティを変容させる新しいシャーマニズム』より
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見つかったダイアモンドはあなた(ガンガジ)

2010年08月30日 | 覚醒(悟り)と叡智
◆ガンガジ

もしもあなたにこうした感情の重なりを最後まで徹底的に経験する意思があれば、
あなたは最終的には底なしの深淵に見えるところに辿り着きます。
この深淵は、無、空虚、無名と理性が認識するものです。
これは非常に重要な瞬間です。なぜなら、
完全に何ものでもなく、誰でもないことを進んで受け入れるということは、
自由になることを積極的に受け入れるということだからです。
何層にも重なった様々な感情はすべて、無の経験、
すなわちあなたが自分だと思っているものの死に対する防衛手段です。
いったんその防衛手段が崩れ、扉が開いてしまうと、
恐れていた無と完全に向き合うことができます。
この対峙こそ真実の自己探求によってもたらせれる啓示であり、
それによってあなたの心の真ん中にずっと隠されていた
真実という秘密の宝石が露にされます。
見つかったダイヤモンド、それはあなたです。

  
 ※『ポケットの中のダイヤモンド―あなたはすべてをもっている』より
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恨みを手放す(A course in miracles)

2010年08月28日 | 愛と許し
◆A course in miracles

私たちを怒らせるようなことを何もしたことがない人を許すのは簡単です。
しかし、私たちを怒らせる人は最も大切な先生です。
そういう人たちは、私たちの許しの能力の限界を示してくれます。
恨みを抱くことは、神の救済の計画に対する攻撃である。
他の人たちに対する恨みを手放すという決定は、
自分自身の本当の姿をありのままに見るという決定です。
なぜなら、他の人の完璧さに対して私たちを盲目にする闇は、
私たち自身の完璧さに対しても私たちを盲目にするのですから


 ※『愛への帰還―光への道「奇跡の学習コース」』より
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思考は雲のように(ラリー・ローゼンバーク)

2010年08月27日 | 瞑想・修行
◆ラリー・ローゼンバーク

意識に耳を傾けると、
思考はやむことなくやって来ては去って行きます。
それらは一貫したものではなく、お互いに調和もしません。
それらは統御することも予測することもできません。
ただ、空に浮かぶ雲のように、現われては消えていきます。
このプロセスを見ることが空(emptiness)を見ることなのです。


 ※『呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想』春秋社より
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超高速で去来する波動

2010年08月26日 | 瞑想・修行
◆ゴエンカ

一つの考えが心のなかに浮かぶと、
それにともなう感覚がからだにも起る。
その感覚が連続して生まれては消える。
いや、心とからだのみかけの堅固さは討ち砕かれ、
物と、心と、心の形成物の、究極の真理を体験することになる。
究極の真理、それは超高速で去来する波動、微粒子の振動、
それ以外のないものでもない。


 ※『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門―豊かな人生の技法』より
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「私」というエゴ性なしに

2010年08月05日 | 覚醒(悟り)と叡智
◆ラマナ・マハリシ(マハルシ)

人が何をするにしても、
「私」というエゴ性なしにそれをしなければならない。
すべてのことをそのように行えば、
すべてはシヴァ(神)の本性として現れる。


 ※『ラマナ・マハリシの教え』より
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全体に気づく(クリシュナムルティ)

2010年08月04日 | 気づき・成長と悟りへの道
◆クリシュナムルティ

あなたは全体で怒りに気づきます。そのとき、怒りはあるでしょうか。
不注意が怒りであり、注意深さは怒りではありません。
ですから、あなたの全存在による注意深さが 全体を見ることであり、
不注意とは特定のものを見ることなのです。
全体に気づき、特定のものに気づき、そして両者の関係に気づく
――これが問題のすべてです。


 ※『自己の変容 新装版』より
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恐怖と怒り(ケン・ウィルバー)

2010年08月03日 | 人間とその心
◆ケン・ウィルバー

本来つぎめなのい意識を、主体と客体に、
自己と他者に引き裂くときはいつも、
その自己は恐怖を覚えるということだ。
理由は単純。
今やあまりに多くの「他者」がいて、
それがみな危害を加える可能性ともっているからだ。
‥‥この恐怖から怒りが生じてくる。


 ※『グレース&グリット―愛と魂の軌跡〈上〉』より
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蜃気楼から蜃気楼へ(スティーヴン・レヴァイン)

2010年08月01日 | 人間とその心
◆スティーヴン・レヴァイン

われわれは一瞬一瞬、心に浮かんでくるものと同一化し、
それが浮かんでいる空間に目を向けることはめったにないため、
自分の本性に気づかない。
そして、蜃気楼から蜃気楼へと、瞬間的心から瞬間的心へとよろめきながら、
『この欲望が私だ』『この心が私だ』『この渇望が私だ』
という感覚に自分を見失っているのである。

 
 ※『めざめて生き、めざめて死ぬ』より
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感覚をひとつ残らず意識する(エックハルト・トール)

2010年06月20日 | 瞑想・修行
◆エックハルト・トール

たんなる手段としておこなっている動作に、全意識を集中させるのです。
すると『手段』が『目的』そのものに変わります。
たとえば、家や会社で、階段をのぼりおりする時に、
呼吸はもちろん、その一歩一歩に、全意識を集中させるのです。
これが『完全に[今]に在ること』です。  
手を洗う時も、同じ要領でします。
行動がどんなことでも、それをする時に、
自分が受ける感覚を、ひとつ残らず意識しましょう。
水の音を聞き、水が手に触れた時の感触を感じ、
せっけんをあわ立てている時に、その香りをかぐ、という具合です。
 

 ※『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』(徳間書店)
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この瞬間こそすべてなのだ(キング夫人)

2010年06月19日 | 人生・いのち
◆キング夫人(テニス・プレイヤー)

激しいボールの打ち合いが、しんと静まりかった観衆の中で続く
‥‥そんなとき、私は試合を止めてマイクを握り、叫びたいのだ。
「この瞬間こそすべてなのだ」
本当にそうなのです。
試合が終わって手にいれたいと思うものは、
大きなトロフィーとかそんなものじゃありません。
ただ、純粋にプレイをし、無垢な感情を経験した、という感覚です。
だからなにかの理由で、その感覚とうまくコミュニケイトできなかったときは
いつも悲しくなります。


 ※『スポーツ・スーパーラーニング―スポーツマンのバイブル』より
 ※『スポーツと超能力―極限で出る不思議な力 (コズモブックス (8))』参照

 ※より詳しくは覚醒・至高体験の事例集:スポーツ選手の場合・テニス・プレイヤー:キング夫人 を参照のこと
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心から耳を傾ける

2010年06月11日 | 気づき・成長と悟りへの道
◆エリエール&シーヤ・カーン 

「今」に生きるための方法の一つは、
人のいうことに心から耳を傾けることです。
一つ一つの会話を大切にして、
新たな気持ちで相手がどんなことを伝えたいのかを、
「本当に」聞こうとすれば、あっという間に人生を変えることができます。
 

 ※『今ここに生きる力―「瞬間的に人生を変容できる」生き方の極意』(voice)より
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大地から黄金の気が(植芝盛平)

2010年05月30日 | 覚醒(悟り)と叡智
◆植芝盛平

たしか大正14年の春だったと思う。
私が一人で庭を散歩していると、突然天地が動揺して、
大地から黄金の気がふきあがり、私の身体をつつむと共に、
私自身も黄金体と化したような感じがした。
それと同時に、心身共に軽くなり、小鳥のささやきの意味もわかり、
この宇宙を創造された神の心が、はっきり理解できるようになった。


 ※『合気神髄―合気道開祖・植芝盛平語録』より
 

 ※この言葉の前後を含む詳細は、覚醒・至高体験の事例集>気功家の場合>植芝盛平氏 を参照してください。
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責任を持つということ(ミンデル)

2010年05月29日 | 気づき・成長と悟りへの道
◆アーノルド・ミンデル 

責任を持つということは、自分のアイデンティティに都合の良い出来事だけでなく、
自分が排除したい出来事に対しても、しっかりとした自覚を向けていくことを意味する。

責任を持つためには、自分に起こっていることを、
潜在的には意味がある出来事として尊重することが必要である。
‥‥起こることすべてを大切にし、それを生かし、その意味を見出すのだ。


※『シャーマンズボディ―心身の健康・人間関係・コミュニティを変容させる新しいシャーマニズム』より
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