精神世界・心に響く言葉

日々の読書の中で心に響いた言葉を拾う

自分を愛するということ(タデウス・ゴラス)

2010年04月30日 | 人間とその心
◆タデウス・ゴラス

自分を愛するということは、
エゴを甘やかせ、巨大化させることとは違います。
エゴイズムとは自分のことが大嫌いなのに、
自分は偉いのだ、大したものなのだと証明しようとすることです。

自分を愛すればあなたのエゴは消え、
自分は人よりすぐれているのだなどと
証明する必要を、もう感じないですむようになるのです。

  
 ※『なまけ者のさとり方 PHP文庫』(PHP文庫)

自己認識を通しての静寂(クリシュナムルティ)

2010年04月29日 | 気づき・成長と悟りへの道
◆クリシュナムルティ 

あなたは自分自身を知れば知るほど、
はっきり物事が見えるようになってきます。
自己認識には終わりというもがなく、
目的を達することも、結論に達することもないのです。

‥‥それを学び、その中に深く突き進むにつれて、
あなたは心の平安を見出してゆきます。
自らに課した自己修練によってではなく、
自己認識を通して精神が静寂になったとき、
そのときにのみ、その静寂と沈黙の中から、
真の実在というべきものが誕生しうるのです。

 
 ※『自我の終焉―絶対自由への道 』より

光り輝く意識の輪となる(ゴーピ・クリシュナ)

2010年04月28日 | 覚醒(悟り)と叡智
◆ゴーピ・クリシュナ

私は、子供の時から慣れ親しんできた
自我に統御された一つの意識単位から一挙に拡大し、
光り輝く意識の輪となり、最大限のところまでずんずん大きくなっていった。
『私という感じ』は以前と変わらないものの、
それはもはや一つの小さく固まった存在ではなくなった。
私は四方八方の広大な次元に通達する
光り輝く意識の球体の中に包みこまれていた。


 ※『クンダリニー 』(平河出版社)より

 ※この言葉の前後を含む詳細については、覚醒・至高体験の事例集>ヨーガ行者の場合>ゴーピ・クリシュナをご参照ください。

強制なしで思考が止まる(ケン・ウィルバー)

2010年04月27日 | 瞑想・修行
◆ケン・ウィルバー

もし、わたしが、内的な独白(絶えまないひとりごと)を前にして、
能動的な聞き取りの態度を取り、
この独白に何でも好きなようにいうことを認めてやれば、
つまり、「聞いてやるから話なさい」 とうきまり文句で定義されるような態度を取るなら、
独白が(わたしの強制や抑圧なしで)止まるのが観察できる。
それは、用心深く待ち受けるわたしの姿勢が崩れるまでは再開されない。


 ※『意識のスペクトル 2 』(春秋社)より

人生に起ることは必然(鈴木秀子)

2010年04月24日 | 人生・いのち
◆鈴木秀子

自分の人生に起ることは必然であり、
無駄なことは何一つありません。
そして、人生には余計な回り道というものもありません。
嫌なことや苦しいことは、私たちが自分自身を大きくするために
自ら引き寄せたものであり、それを乗り越えたときに
ひとまわりもふたまわりも大きく成長することができるのです。


 ※『「こころの目」で見る 』(清流出版))より

思考を客観的にながめる(エックハルト・トール)

2010年04月23日 | 気づき・成長と悟りへの道
◆エックハルト・トール

自由への第一歩は、
自分の思考は、『本当の自分』ではない、と気づくことからはじまります。
そう気づくと、 『思考を客観的にながめる』ことができるようになります。  
思考を客観的にながめると、高次の意識が活動しはじめます。
思考をはるかに超えた、果てしない『知性の世界』が存在することや、
思考はごく小さな一面にすぎないことも、気づきはじめます。
 

 ※『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』より

創造的行為(フィリップ・カプロー)

2010年04月20日 | 覚醒(悟り)と叡智
◆フィリップ・カプロー 

真の創造は、心からあれこれの思いがなくなり、
手元の仕事に完全に専心しているときにのみ可能となる。
自意識の重圧から解放されて仕事と一如になったときに、
はじめて超越と成就の喜びが味わえる。
こうした創造的行為のうちでこそ、直感的叡智と喜びが
おのずと働きだすのだ。


 ※ティク・ナット ハン 『禅への鍵』序より

苦難は成長の機会(キューブラー・ロス)

2010年04月18日 | 気づき・成長と悟りへの道
◆エリザベス・ キューブラー・ロス

すべての苦難は、あなたにあたえられた成長のための機会です。
成長こそ、地球というこの惑星に生きることの唯一の目的です。
‥‥もし病気だったり、どこかが痛かったり、喪失を体験したりしたときに、
それに立ち向かえば、あなたはかならず成長するでしょう。
痛みを、呪いとか罰としてではなく、とても特別な目的をもった贈り物として
受け入れることが大切です。


 ※『「死ぬ瞬間」と臨死体験』より

食わされなければ食わぬ

2010年04月17日 | 覚醒(悟り)と叡智
◆沢木興道

食わされれば食う、食わされなければ食わぬ。
衣類も着せられれば着るが、自分では着ぬ。
一切生活を追い求めることはしないというのが、
わしという人間の日常である。
「ただ真っ直ぐむこうを向いて行くばかり」というのが、
これまでのわしの一生であったが、今後もそうであろう。

       (注:むこう=仏道)

 ※『沢木興道聞き書き (講談社学術文庫)』より

 ※この言葉についての私なりの解説は、『沢木興道聞き書き』のレビューでも触れたので参照してください。

仏のいへになげいれて

2010年04月14日 | 覚醒(悟り)と叡智
◆道元

ただわが身をも心をも、はなちわすれて、仏のいへになげいれて、
仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、
力をも入れず、心をもつひやさずじて、生死をはなれ仏となる、
たれの人かこころにとどこほるべき。
 

 ※『正法眼蔵』より

100%自分自身である時

2010年04月13日 | 覚醒(悟り)と叡智
◆バシャール

悟りというのは本当の自分自身に100%なっているだけです。
 ‥‥
100%自分が自分自身である時、
この創造物すべてが自分につながっていることがわかりります。
それが悟りです。非常にシンプルで明確なものではないですか。


 ※『バシャールペーパーバック〈1〉ワクワクが人生の道標となる。 VOICE新書』より

おやちから

2010年04月12日 | 気づき・成長と悟りへの道
◆妙好人・森ひな

われのちからで、でるとはおもうた、
そうじやなかった、おやちから。
たりき、たりきと、おもうていたが、
おもうたこころが、みなじりき。
じごくきらひの、ごくらくのぞみ。
のぞむこころも、みなじりき。


 ※『真宗入門』(鈴木大拙)より