大自然の力で起きる大雨、洪水、台風、雷、地震などで家屋の倒壊、浸水、尊い命が奪われたりしても、人の個人の力などとても及ぶものでもありませんね。
辛い悲しい存在でもありますが、
大自然が不幸を悲しみを与える時に、天(神仏、サムシング・グレート)はいるのだろうかと、疑いを持つ方もたくさんいらっしるのではないでしょうか。
しかし、人間に計り知れない大きな大きな力を働かして、反省を求めているのかもしれない、
また、それから学び気づき、大きな目での人間がより良く生きる為の示唆を与えてくれているのかもしれない。
謙虚に素直に捉えて、その災害を良かったと感謝できる日が来るように、前向きに、プラスにポジティブに明るい心に転換できれば、凄いのじゃないだろうか。
暗く辛い思いを握りしめ離さないのではなく、、、
人はまた忘れることができるように天は設計してくれているように思いますね。
動物、植物、鉱物にもいろんなたくさんの種類があります。
みんな良さがあり、違うように設計されています。これが良い、あれが良いと比較しても始まりません。
最近咲いている花に、忘れ草(ユウスゲ、藪萱草)などがありますが、
ユウスゲの花は夕方から咲き始め、朝起きれば窄んでいます。半日しか綺麗花を見せてくれませんですね。
藪萱草は朝咲いて夜には窄んでいます。
ともに1日花で窄んでしまいはかない存在だなあと思うのは、人間だけかもしれない。
花そのものは生命を存在を喜んでいるかもしれない。
天は人間に計り知れない何かの学びを与えてくれているのでしょう。
この世には無駄な何一つないと教えてくれているものらしいですよね。
自然からの学びは幾らでもありますよ、
やはり心を明るくして、目の前に起きてくる全ての現象に感謝できるように心に変える訓練、努力が必要なのでしょうね。
やはり人は生まれてきたこと、生かされている命を、
当たり前に呼吸ができることを、食べることができる、目が見える、耳が聞こえる、話すことができる、歩くことができる、仕事ができる、人のために尽くすことができる等々、
なんでも自分のことは自分でできることを喜び感謝できる人が、幸せなんでしょうね。
また楽しむことができる人なんでしょうね。
逆に不平不満の人とは大違いじゃないでしょうか。(^。^)
『いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、全てのことに感謝しなさい』
イエスキリスト真理の言葉。
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