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カバディスト~井藤光圭~

カバディで広州アジア大会を日本代表になり、メダルを一緒に目指してみませんか?

アジア大会記~2002年 in釜山~

2007-01-14 00:31:50 | アジア大会
この4年間は、結果を残せてきた4年間でした。なぜなら、釜山のアジア大会までにスリランカのアジア選手権3位、タイのアジア選手権2位、マレーシアオーブン2位と、バングラデシュ、パキスタンがいない中でも、しっかりと結果を残せていました!
そして、マレーシアオーブンでは、インドからかなり点数を取り、とてもいい感じでチームを作れてきました。
そして、釜山のアジア大会を迎え、初戦、スリランカに圧勝して、4年間の流れ通り、スタートをきれました!
次は、インド戦でマレーシアオーブンでも、善戦していたので、レボリューションやと、かなりチームは、乗ってました。が、マレーシアオーブンのこともあったのでしょう、今までにないぐらい本気で戦ってきました。そして、コテンパンにやられ、自信も削ぎ落とされました。
そして、パキスタン戦は、勝たないといけない相手になってました!なぜなら、パキスタンは初戦、バングラデシュに完敗しているため、ここに勝たないとメダルがない状況、惜敗してしまいました!
そして、メダルを諦めかけたら、そのあとバングラデシュ戦で完勝し、得失点差でパキスタンより優位になり、最後のマレーシア戦を残すのみとなりました。
マレーシアは、最下位のチームでマレーシアオーブンでも、Bチームを出して勝てるような、チームでしたから、日本は、かなり優位な状況になり、本当にレボリューションを起こしそうでした。しかし、パキスタン戦まで格下には、攻撃を中心にリズムを整えていたチームが、パキスタン戦で初めて崩壊し、バングラデシュ戦では、守備中心でいったら大当たりしました!
そして、マレーシア戦は、守り中心でいったのが失敗し、まさか、負けてしまい、メダルを取り損ねました!
やはり、アジア大会は、魔物が住んでいて日本にメダルを与えてくれなかったです!
とてもとても悔しい思いをし、ドーハでは、必ず日本の国境を上げてみせると誓いました。

アジア大会記~1998年 inバンコク大会~

2007-01-13 01:36:08 | アジア大会
 私が初めてアジア大会に出場したのは、1998年、バンコクで行われた時です。その時は、まだ、大学4年生で、この大会は、10人枠でそこにギリギリ入れるぐらいでした。しかし、ちょっとレギュラー争いをしてましたが、最終合宿で足の指が裂け、レギュラーから外れてしまいました。
 その時の日本のレベルでも、メダルを狙える位置にいたと思います。しかし、その時の首脳陣といろいろ争いがあり、それまでキャプテンしていた人が辞退するなど、波乱があったため、チームといえる状態ではありませんでした。そして、案の定、5位という結果に終わりました。
 しかし、実力の差を感じた瞬間でもありました。当時から、インド・パキスタン・バングラディッシュの3強でした。そこに、日本、ネパール、初参加のスリランカ・タイの7カ国でアジア大会が行われました。そして、初戦は、メダル争いをするバングラで完璧な力負けでした。その時にすごく強い!と壁を感じました。初戦でバングラに完敗したことにより、リズムが崩れ、スリランカにも負け、5位という結果に終わりました。
 私は、ほとんど試合に出れず大会が終わり、絶対に次の大会は、中心選手になり、絶対にメダルを取りたいという、とてもとても悔しい大会でした。