新型コロナウィルるが脅威をふるい、世界中を震撼とさせています。最高のコメディアンだった志村けんさんの死は、その意味でものすごい影響力をもったのでしょう。マンションの管理人さんが、その明くる日、電車に乗ったら、自分ひとりがマスクをしていなくてどうしようかと思ったといっていました。その前日までは電車のなかでマスクをしていない人を多く見たのに、一夜にしてこの状況に変わるのかと、改めて志村けんさんの影響力の高さに驚いていました。
日本政府の対応のまずさ、マスクの配布などを知ると、政府がいかにしっかりしていないのか、感じてしまいます。正しい情報の提供、このときに政府がしなければならないことがきちんとわたしたちに伝わってこないのです。
こうした状況を戦争中に似ていると何人かから聞いたことがあります。もちろん体験をした人を含めてです。
その発言を受けて、今回の状況を考えてみました。
当時、「日本は戦争に勝つ」を当然のように流しているし、終盤に至ったとき、「ほんとうにこの戦争は勝てるのか」と不安に思った人もいたでしょうに、信じなければ非国民になるわけですから、表向きの装いを周囲の人に合わせていたのでしょう。周囲に合わせることは、大きな流れに任すことになります。戦争のために日本国民が一体感をもったわけでもないのに、非国民といわれないために、同調勢力になっていったのだと思います。
同調勢力になりやすいのは、戦争のときだけではなく、日本人にとっては、そうなりやすい支配勢力下に置かれていたということができるのでしょう。
少し前になりますが、幕藩体制下の支配は、まさに世間を作り、同じ身分同士が相手を見張るというシステムのなかにいました。それは同調勢力をつくり、「個」の確立を阻む「みんなといっしょ」をつくるものでした。支配しやすい体制をつくることになったのです。身分制が確固たるものになったのも同調勢力に与しやすくなったのは、いうまでもないでしょう。
さらに、近代以降の天皇制によって、身分制はいちおう解消したというものの、支配権力の強力さをつくっていきました。国家という体制に準じる日本人です。村単位は、近世から引き継いでいますが、その上に「日本人」の自覚がつくられていき、アジアで日本がトップというおかしな自負さえ植えつけられていったのです。天皇を「現人神」に仕立て上げて信じさせることができたのは、ある意味で、簡単に統治できる、支配できる体制を整えたということでしょう。「カミ」を信じやすい日本人がうまく利用されたといってもよいのでしょう。
戦争は天皇のために、国家のために戦うことと同義になるのも簡単でした。「個」の確立を阻む最大の装置こそ、天皇制だったのです。「個」の確立は、自分で情報を知り、その情報をもとに自分で考え行動することです。デマを信じないことです。
では現在、新型コロナウィルスの情報を正しく受け止めることができているのかといえば、そうはいえないでしょう。政府にも問題がありますが、買い占めの実態を見ていると、例えば、トイレットペーパーは足りるほどあるという情報があるのに、なぜ店頭から消えたのでしょうか。まだ少しだけ残っていたわたしもどうしようかと悩みましたが、なんとか入手することができました。しかし、いまだに東京のスーパーにはトイレットペーパーが店頭にないそうです。デマを信じるのか自分だけ困るのは怖いと思うのか、同調勢力になっていることは事実です。
こういう危機感の募るとき、同調勢力にならず、正しい情報のもとで行動できるのは、どうしたらよいのでしょう。
わたしは、信頼できる情報を入手できる人間関係だと思います。昨日や今日でできるものではありませんが、常日頃からつくる人間関係がいかに大切かを、今回の新型コロナウィルスの恐怖にさらされながらも思います。正しい情報に基づき、自分で考え、信頼できる友人と共有しながら、行動したいものだと思います。
日本政府の対応のまずさ、マスクの配布などを知ると、政府がいかにしっかりしていないのか、感じてしまいます。正しい情報の提供、このときに政府がしなければならないことがきちんとわたしたちに伝わってこないのです。
こうした状況を戦争中に似ていると何人かから聞いたことがあります。もちろん体験をした人を含めてです。
その発言を受けて、今回の状況を考えてみました。
当時、「日本は戦争に勝つ」を当然のように流しているし、終盤に至ったとき、「ほんとうにこの戦争は勝てるのか」と不安に思った人もいたでしょうに、信じなければ非国民になるわけですから、表向きの装いを周囲の人に合わせていたのでしょう。周囲に合わせることは、大きな流れに任すことになります。戦争のために日本国民が一体感をもったわけでもないのに、非国民といわれないために、同調勢力になっていったのだと思います。
同調勢力になりやすいのは、戦争のときだけではなく、日本人にとっては、そうなりやすい支配勢力下に置かれていたということができるのでしょう。
少し前になりますが、幕藩体制下の支配は、まさに世間を作り、同じ身分同士が相手を見張るというシステムのなかにいました。それは同調勢力をつくり、「個」の確立を阻む「みんなといっしょ」をつくるものでした。支配しやすい体制をつくることになったのです。身分制が確固たるものになったのも同調勢力に与しやすくなったのは、いうまでもないでしょう。
さらに、近代以降の天皇制によって、身分制はいちおう解消したというものの、支配権力の強力さをつくっていきました。国家という体制に準じる日本人です。村単位は、近世から引き継いでいますが、その上に「日本人」の自覚がつくられていき、アジアで日本がトップというおかしな自負さえ植えつけられていったのです。天皇を「現人神」に仕立て上げて信じさせることができたのは、ある意味で、簡単に統治できる、支配できる体制を整えたということでしょう。「カミ」を信じやすい日本人がうまく利用されたといってもよいのでしょう。
戦争は天皇のために、国家のために戦うことと同義になるのも簡単でした。「個」の確立を阻む最大の装置こそ、天皇制だったのです。「個」の確立は、自分で情報を知り、その情報をもとに自分で考え行動することです。デマを信じないことです。
では現在、新型コロナウィルスの情報を正しく受け止めることができているのかといえば、そうはいえないでしょう。政府にも問題がありますが、買い占めの実態を見ていると、例えば、トイレットペーパーは足りるほどあるという情報があるのに、なぜ店頭から消えたのでしょうか。まだ少しだけ残っていたわたしもどうしようかと悩みましたが、なんとか入手することができました。しかし、いまだに東京のスーパーにはトイレットペーパーが店頭にないそうです。デマを信じるのか自分だけ困るのは怖いと思うのか、同調勢力になっていることは事実です。
こういう危機感の募るとき、同調勢力にならず、正しい情報のもとで行動できるのは、どうしたらよいのでしょう。
わたしは、信頼できる情報を入手できる人間関係だと思います。昨日や今日でできるものではありませんが、常日頃からつくる人間関係がいかに大切かを、今回の新型コロナウィルスの恐怖にさらされながらも思います。正しい情報に基づき、自分で考え、信頼できる友人と共有しながら、行動したいものだと思います。