千代女は加賀の松任(まつとう)の人にて、幼きより風流の志ありて、俳諧を嗜む。しかれども、其の師を得ず。是れかれ行脚の人に問ふに、美濃の盧元坊を称することみな同じ。
ここにして殊更に行きて学ばむとおもへるに、折りしも行脚して来りしかば、其の旅館に就て相見を乞ひ、志をのぶ。
元「草臥れたり」とて、寝てありし所へゆきて、教を求むる。「さらば一句せよ」といふ。初夏の此(ころ)なれば時鳥を題とす。やがて句を吐きたるに、元其のただものならざる気韻を見て、其の句をうけがわず、「是はたれもすべき所也」といふ。「さらば」とて、又一句を吐く。肯ざること初のごとし。
元は既に眠りにつけども、女はなほ去らず沉(ちん)吟す。其の眼のさめたるをうかがひては、又句をとふ。かくて数句に及び、ついに暁天に至る時、元起きて「終夜さらざりしや、夜は明けたりや」とおどろく。時に千代女、
ほととぎす郭公(ほととぎす)とて明けにけり
といへるを、大いに賞し「是也、汝他日此の意地をわするることなくば、名天下にふるはむ」と、師弟の約をなせり。果たして女流に珍しき此の道の高名に至れり。これはまだ少女の時なりけらし。後婿どりせし時、
しぶかろかしらねど柿の初契り
まことに俳諧にてをかし。二十五歳にて夫にわかれし時、
起きて見つ寝て見つ蚊帳の広さ哉
生涯身を全うし、一人の男子に夫の家を嗣がしめてのちは、尼になりて別居し、素園といふ。画も越後の呉俊明に学びて、頗る風韻あり。或人「画を上に賛を下に書きてたまえ」とのぞみしに、あさがほのたれたるをながくかきて、
朝がほや地にさくことをあぶながり
句のさま、すべて女流の趣ありて、つよからず。
あさがほにつるべとられてもらひ水
など、人口に膾炙して賞す。永平寺の長老、道のついでにや、とひたまひて、「一念三千の意を句に作るべし」ともとめたまへるに、
千なりも蔓一筋の心から
これも世に語りつたふ。老い極りて死せりとぞ。句集ありて世にひろまりぬ。「続近世畸人伝」より
ここにして殊更に行きて学ばむとおもへるに、折りしも行脚して来りしかば、其の旅館に就て相見を乞ひ、志をのぶ。
元「草臥れたり」とて、寝てありし所へゆきて、教を求むる。「さらば一句せよ」といふ。初夏の此(ころ)なれば時鳥を題とす。やがて句を吐きたるに、元其のただものならざる気韻を見て、其の句をうけがわず、「是はたれもすべき所也」といふ。「さらば」とて、又一句を吐く。肯ざること初のごとし。
元は既に眠りにつけども、女はなほ去らず沉(ちん)吟す。其の眼のさめたるをうかがひては、又句をとふ。かくて数句に及び、ついに暁天に至る時、元起きて「終夜さらざりしや、夜は明けたりや」とおどろく。時に千代女、
ほととぎす郭公(ほととぎす)とて明けにけり
といへるを、大いに賞し「是也、汝他日此の意地をわするることなくば、名天下にふるはむ」と、師弟の約をなせり。果たして女流に珍しき此の道の高名に至れり。これはまだ少女の時なりけらし。後婿どりせし時、
しぶかろかしらねど柿の初契り
まことに俳諧にてをかし。二十五歳にて夫にわかれし時、
起きて見つ寝て見つ蚊帳の広さ哉
生涯身を全うし、一人の男子に夫の家を嗣がしめてのちは、尼になりて別居し、素園といふ。画も越後の呉俊明に学びて、頗る風韻あり。或人「画を上に賛を下に書きてたまえ」とのぞみしに、あさがほのたれたるをながくかきて、
朝がほや地にさくことをあぶながり
句のさま、すべて女流の趣ありて、つよからず。
あさがほにつるべとられてもらひ水
など、人口に膾炙して賞す。永平寺の長老、道のついでにや、とひたまひて、「一念三千の意を句に作るべし」ともとめたまへるに、
千なりも蔓一筋の心から
これも世に語りつたふ。老い極りて死せりとぞ。句集ありて世にひろまりぬ。「続近世畸人伝」より
才気煥発、しかし時至らざれば面に表さず。ここに書かれたエピソードは、いずれも当為即妙で愉快です。柿の初ちぎりのユーモアのセンスは、たいしたものです。永平寺の坊主に言い放った最後も句は、真底そう思っているのでしょうが、ここでも巧まざるユーモアを感じます。
百鬼さん、今夜もありがとう!ございます。
私はここは平仮名で「初ちぎり」と読んだ記憶があります。作句の経緯はここに書かれているとおりだったと思いますが、「柿を千切る」のほうを表の意としていたのでは?