齋藤百鬼の俳句閑日

俳句に遊び遊ばれて

俳諧逸話(三)加賀千代女

2007年03月01日 | Weblog
 千代女は加賀の松任(まつとう)の人にて、幼きより風流の志ありて、俳諧を嗜む。しかれども、其の師を得ず。是れかれ行脚の人に問ふに、美濃の盧元坊を称することみな同じ。
 ここにして殊更に行きて学ばむとおもへるに、折りしも行脚して来りしかば、其の旅館に就て相見を乞ひ、志をのぶ。
 元「草臥れたり」とて、寝てありし所へゆきて、教を求むる。「さらば一句せよ」といふ。初夏の此(ころ)なれば時鳥を題とす。やがて句を吐きたるに、元其のただものならざる気韻を見て、其の句をうけがわず、「是はたれもすべき所也」といふ。「さらば」とて、又一句を吐く。肯ざること初のごとし。
 元は既に眠りにつけども、女はなほ去らず沉(ちん)吟す。其の眼のさめたるをうかがひては、又句をとふ。かくて数句に及び、ついに暁天に至る時、元起きて「終夜さらざりしや、夜は明けたりや」とおどろく。時に千代女、
   ほととぎす郭公(ほととぎす)とて明けにけり
といへるを、大いに賞し「是也、汝他日此の意地をわするることなくば、名天下にふるはむ」と、師弟の約をなせり。果たして女流に珍しき此の道の高名に至れり。これはまだ少女の時なりけらし。後婿どりせし時、
   しぶかろかしらねど柿の初契り
 まことに俳諧にてをかし。二十五歳にて夫にわかれし時、
   起きて見つ寝て見つ蚊帳の広さ哉
 生涯身を全うし、一人の男子に夫の家を嗣がしめてのちは、尼になりて別居し、素園といふ。画も越後の呉俊明に学びて、頗る風韻あり。或人「画を上に賛を下に書きてたまえ」とのぞみしに、あさがほのたれたるをながくかきて、
   朝がほや地にさくことをあぶながり
 句のさま、すべて女流の趣ありて、つよからず。
   あさがほにつるべとられてもらひ水
 など、人口に膾炙して賞す。永平寺の長老、道のついでにや、とひたまひて、「一念三千の意を句に作るべし」ともとめたまへるに、
   千なりも蔓一筋の心から
 これも世に語りつたふ。老い極りて死せりとぞ。句集ありて世にひろまりぬ。「続近世畸人伝」より

4 コメント

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加賀千代女 (草野ゆらぎ)
2007-03-01 21:20:45
こういう女性は、生まれつきの才女なのでしょうね。
才気煥発、しかし時至らざれば面に表さず。ここに書かれたエピソードは、いずれも当為即妙で愉快です。柿の初ちぎりのユーモアのセンスは、たいしたものです。永平寺の坊主に言い放った最後も句は、真底そう思っているのでしょうが、ここでも巧まざるユーモアを感じます。
百鬼さん、今夜もありがとう!ございます。
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草野様へ (百鬼)
2007-03-02 05:51:35
千代女は有名ですが、先生のほうがあまり知られていませんね。僕も知りません。笑。初契りなどは、ちょっと出来すぎで、こんなにクールだと亭主はつらいかも知れない。蚊帳の広さ哉は、夫を亡くした後というのも、どうでしょうか。ともかく逸話=伝説みたいなものですから、面白く人柄が伝わればよかったのでしょうね。有難うございます。
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渋かろか (我善坊)
2007-03-04 19:03:00
「初契り」ですか。ちょっと生々しすぎますね。
私はここは平仮名で「初ちぎり」と読んだ記憶があります。作句の経緯はここに書かれているとおりだったと思いますが、「柿を千切る」のほうを表の意としていたのでは?
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たしかに (百鬼)
2007-03-04 21:42:57
たしかに「初契り」はなまなましいですね。奥ゆかしさに欠けます。当時の女性がこんなに露骨に言うわけありませんよね。笑。お読みいただき感謝です。
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