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黄金色の日々(書庫)

海外ミドルエイジ俳優に萌えたり愛でたりするブログ

マリ・クレール誌 イタリア版インタビュー

2019-01-15 02:37:59 | ヴィゴ
昨年の12月のインタビューです。今回はWEBで見れます。
Viggo Mortensen Oggi Sexy ANTIDIVO
イタリア語の勉強をやめて2年以上たってるので、前回よりさらに読解力は落ちております。
今はGoogle先生の翻訳も機能が上がっており、大体の意味はつかめると思いますが、拙かろうが間違いがあろうが、辞書引いてやってみるのがヴィゴ馬鹿心意気(笑) 参考程度で見てください。

ヴィゴ・モーテンセン、エレガントな注目を望まぬスター、敵意を抱かせない優雅さ
マドリッドの恋人、カナダからアルゼンチンまでの幼少期の思い出、カーボーイへの情熱、詩人で写真家でもあるニューヨークの俳優の4つの逸話。そして間もなく公開の「グリーンブック」について



デンマーク人の父とアメリカ人の母をもつニューヨーク生まれの才能豊かな俳優、詩人、ミュージシャンであるヴィゴ・モーテンセンには、いくつか完全に人と異なったところがある。
天性の美しさと洗練だけではない。彼は、そうではないのに普通の男に感じさせる。気さくで警戒心を抱かせない優しさがあり、鞄からテープレコーダーを見つけ出すのに延々と手間取った私を助けて、うんざりしきっていた私を窮地から救ってくれた。
彼は大笑いして、コミック誌、眼鏡、メイク品、ティッシュを引っ張り出し、とうとう行方不明のレコーダーをみつけて、やった!と叫んだ。

注目を好まず、スターシステムのお荷物を避けて、自由であることの特権に専念するために「ロード・オブ・ザ・リング」の豊富な戦利品を使うことを許された唯一の男である。多国籍の無名の著者の作品のみを出版する目的で、パーシヴァル・プレス社を設立し、インディペンデント映画(「ヒストリー・オブ・バイオレンス」「アバルーサの決闘」「危険なメソッド」「はじまりへの旅」など)に打ち込み、並外れた身体性とドライな解釈で足跡をつけた。デヴィッド・クローネンバーグによる「イースタン・プロミス」においては、サウナにおけるバイオレンスシーンで、完全なヌードで生き残るための戦闘をするという、映画のストーリーに身を投じた。

今日、先の10月に満60歳を迎え、彼はすべてにおいて並ではない道を選び、ためらわず先に進んでいる。20㎏増量し、髪を黒く染め、エネルギッシュで粗野で,おしゃべり好きにすらなった。ピーター・ファレリー(「メリーに首ったけ」「ジム・キャリーはMr.ダマ―」)監督作「グリーンブック」(1月31日公開)で、イタリア系アメリカ人のトニー・リップに変身している。運転手のトニー・リップを基にした、1962年に生まれた真の友情に根差した素晴らしいコメディドラマだ。
ヴァッレロンガ(トニーの本名)とアフリカ系アメリカ人のクラッシックピアニスト、ドン・シャーリー(「ムーンライト」のマハーシャラ・アリ)は、アメリカ南部への巡業に出る。

無作法なユーモアとシャツを引っ張った巨大な腹を見せた後、ヴィゴ・モーテンセンは運転手のトニー・リップに品格と忘れがたい美しさを与えることに成功している。
『熱狂的にシナリオに惚れ込んでいたにもかかわらず、役を受け入れるのにいくらか手間取ったんだ』
ローマのホテル・ベルニーニの屋上テラスからの眺望を眺めながら、我々は話をしている。『自分の限界には気づいていたよ。優れたイタリア系アメリカ人の俳優が沢山いるのだから、僕は劇画めいた人物を作りたくなかった』
現在は完璧なダークブルーのスーツを着て、理想的な体系にもどっている。『僕の歳でこの体重まで落とすのは難しかったよ。でもやるだけの価値はあった』 南米の飲み物マテ茶をちびちび飲みながら言った。『ファレリーが僕に、ステレオタイプまみれの映画は作りたくないと言ったとき、支柱が倒れたんだ(★)不安があり続けようとも受け入れたんだ。常にイタリア語で話さなければならなかったが、60年代のイタリア系アメリカ人の言葉は、造語も含めた方言の寄せ集めだった。僕はずいぶん勉強しなければならなかった』

★役を受け入れ切れなかった心の壁の柱が倒れたという意味でしょうか? よくわかりませんでした。



あなたはそれでもトニー・リップの役に慣れたようですね。どうやって成功したのですか。
トニーの息子で映画の脚本家でもあるニックと彼の家族と沢山の時間を過ごしたんだ。一度ニュージャージーにある彼らのレストランに立ち寄った。タコ、オーブン料理、ミートローフ、三皿目でもう満腹だったが、彼らは美味しい料理を運び続けて、もう結構を受け入れてくれなかった。狂乱の5時間だった。この時に僕はトニーと同調し始め、太り始めた。でもいまだ、この役を心底感じ切っているサイコパスの俳優ではない。

いつ役を引き受けることに決めたんですか。
僕は巨額予算の作品に興味がないし、そんなに多くの金額は必要ないだろ? 僕はストーリーにだけ興味がある。僕にとって映画の内容は未来に何かを残すことであり、我々の信念を問いただすことさえできるものだ。物語の重要性、良い脚本、そして監督との調和があれば、僕は役を引き受ける。

あなたの映画への情熱はどうやって生まれたのですか。
物語と演技への愛を私に教えたのは母だよ。毎週金曜日の放課後、彼女は僕を映画に連れて行ってくれた。そのあとずっと映画について語り合い、ジョークを分析し、ストーリーを徹底的に解読して何時間も過ごしたんだ。それから僕が俳優になろうと決めた時、どんな役でも僕に1000もの質問をして僕をヘトヘトにした。彼女はすべてを知りたがったんだ!

彼女に心動かされた想い出は?
僕の母グレースは晩年にアルツハイマーを発症していて、すべての主導権を握っていた。一度、映画俳優組合賞(俳優の労働組合の賞)のレセプションに私と共に行ったことがある。ハリウッドの著名人たちがいて、彼女はまるで彼らと知り合いでもあるかのように、全員と話そうと絶えずテーブルから立ち上がっていた。僕はうろたえた。結局母を夕食に連れて行かなければならなかった。彼女は皆とのおしゃべりで、食事に手を触れなかったんだ。

お父さんについて、何を覚えていますか?
父は、僕と同じ呼び名でー僕はリトル・ヴィゴだったー彼は南アメリカで家禽の牧場を営んでいた元労働者で、厳しい労働に慣れ、いくらかの偏見と僕に伝えた馬への愛情を持っていた。僕が11歳の時に別れたにもかかわらず、近年シラキュース(モーテンセンが政治化学とスペイン文学で卒業した場所)近辺の母がいるすぐ近くに引っ越した。そして彼女の死の一年後に亡くなったよ。

息子のヘンリー・ブレイク(30歳、パンクシンガーのエクシーン・セルベンカが母親)との関係をどう定義しますか?
不完全だが、誠実で率直だ。彼をとても誇りに思ってる。彼はアシスタント・ディレクター(「in Falling」記念すべき監督デビュー作で、カナダで撮影されている)で、母親がプロデュースしたオクラホマ州のパンクロック・バンド、Skating Pollyの素晴らしいドキュメンタリーを制作したんだ。

あなたは7つの言語を理解しています。たまたまそうなったのですか、それとも意欲的にですか?
意欲的にではないよ。それは僕の人生に属しているんだ。両親についていき、アメリカ、アルゼンチン、ベネズエラに住み、ベネズエラではスペイン語をよく学んだ。フランス語は、両親が離婚して、カナダ人の娘だった母と共にケベックの国境沿いに引っ越した。その時に覚えたんだ。残りの言語は、至る所に行く仕事をしたことと、好奇心からだよ。僕は文化や伝統、すべてを知るのが好きで、そのおかげでイタリア語もわかるよ。

愛もまた、あなたを世界中に連れて行きましたね。
そう、本当だ。結局のところ、血は争えないものだ。両親は休暇中にオスロで出会った。僕は18歳の時に、僕をひどく苦しめた素敵な女の子の後を追ってデンマークに引っ越した。そして9年前、愛が僕をマドリッドに連れて来た。パートナーの女優アリアドナ・ヒルが住む街だ。ここでの生活が大好きだ。君がバールに座っていると、周り中が大声で叫んでいるように感じるだろうが、実際は討論に熱中してるだけなんだ。それが素晴らしいと思うね。

くつろげる場所はどこですか?
どこででもくつろいでいるよ。歩いているとき、走っているとき、僕は平和を得ているし、馬(アイダホに農場を持っている)の世話や庭の手入れもする。友人の家で木を植えたり剪定するのも大好きだ。至る所で種を集め、植木鉢から別の植木鉢に植え替える。たぶん違法なんだろうけどね。いつもポケットの中で種を見つけるよ。

一度、あなたは決して退屈したことがないといいましたが、本当ですか?
悲しみ、怒り、それはいい。狂気もね。でも退屈の言い訳はないんだ。人生には期限がある。なぜさらに多くを知るためにこの時間に集中しないんだ? 僕は自分を取り巻くすべてのものに左右される。環境、人々、文化。そして言葉だけでなく音楽、詩からも感じるあらゆる感情を伝える必要がある。僕はそこ(マドリッド)にできる限り住んでいたい。人々がいつもとても魅力的だとわかったからね。

こんなご時勢でも?
不寛容、女性蔑視、無知はいたるところで、特に世界のトップにいる人々を支配している。「グリーンブック」のように、シンプルな友情がお互いの違いや偏見を克服させて、第一印象からの限界を考え直させるよう促す。僕はこの瞬間、ちょっとした寛容を示すジェスチャーだけが我々を救うと思ってる。買い物袋を落としたひとを、気にかけずに反対側を向く代わりに、とどまって、果物を拾い集めるのを助け、一言二言言葉を交わし、互いに知り合い、他者に心を開く。我々は情熱と人間性を取り戻す。憎しみはこうして消えるんだ。



最後の方、かなり意訳も入ってます(^^; 時間をかけたわりに(サクサク訳せるわけがない)なんか違ってる気もするので、見直して修正するかも。とりあえず挙げておきます。間違っていてもご容赦を。
色々感じたこともあるので、それも後で書きます。Skating Pollyって前のイタリア語インタの際着ていたTシャツのバンドだけど、エクシーンのプロジュースなのか! ヴィゴ馬鹿といいつつ、そんなに詳しくないんで知らなかったわ(^^ゞ あとヴィゴも庭いじりするんだね。誰の影響かね(笑)




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