ウサギ、耳、伸びた、私、

このブログはたしかにイタい・・だがどうだろうか。痛みを訴えるのは大事なことだと私は思う。戦争より餓死の方が酷虐なのだから

四行哲学

2012-08-06 02:55:02 | 哲学/世界観
欲望を飲み干そうものなら最後、虚像の月を揺らしながら円周とでも説くしかあるまい

抗えし者ほど熱いものがこみ上げるのは、なにも杯杓に勝えなったわけではない

されど争うから謳歌するのか、謳歌したいから争うのか、

詰まるところ一盞の傾け方程度は知っておかなければならない   

padtrrws星人のポポエム

2012-06-28 02:05:31 | 哲学/世界観
人間は不思議な動物だ


「私は生きていてはいけない存在なのかもしれない」

といえば、馬鹿げている、と即答する人間に

「人間は生きていけない存在なのかもしれない」

といえば、黙り込んでしまう


人間が不思議な生物だ


同じことを言っているのに、範囲を変えるだけで思考は変わる

数人殺した人殺しと数十万人を一瞬で気化させた人殺しでは意味合いが違ってくるという

どうやら殺せば殺すほど兵器に怨みは分散されるらしい

そして時間の規模を加えれば、それは「淘汰」として正当化される


人間が不思議な有機物なのか



それでいて時効という未来を作り、しかし許すのは過去である

限界は行動を生み出し、しかしその先へと超えたがる



人間は不思議な概念だとも


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曖昧な要素ははたして稚拙か

2012-06-05 01:19:44 | 哲学/世界観
冒頭で「私は私であり、私である」と述べたとしよう。


・・・実に曖昧である。


どんな私も私である、自己同一性を言っているのか。

存在を二度言及していることから、二面性を説いているのか。

ただ混乱を誘っているのか。

はたまた主人公ではなく他の誰かが発しているのか。


・・・実に曖昧である。


だがどうだろう、、、、それははたして稚拙か?



創作物の批判論において「分かりづらさ」を挙げる輩は多い。


つまりどういうこと?、だとか っでなにがいいたいんだよw、だとか自分で探さなきゃわからないからこそ、面白いんだろうが。


たしかに俺もクソイミフなアニメとか観てると「( ´゜д゜`)・・・・・(´゜д゜`)ハァ?」ってなってしまうけど、それはたぶんオバケ屋敷。


不確定な要素は想像力を掻き立ててくれる大事な存在であることを忘れるなかれ。





「私はきっと私であり、されどキミでは決してない。キミの脊髄ガツガツいい音」


「私はキミの文章を確定させ、そしてまた、不確定を付随させる」

夢という単語が必要ない世界など、ただの空間にすぎない by yam hi low

2012-06-01 15:14:33 | 哲学/世界観
この頃毎日のように夢を見る

けれども夢の内容は曖昧なもので、たいてい朝食を食べ終わり、パンカスまみれの食器を綺麗するのと一緒に、記憶も洗い流されていく

実際、夢の内容を鮮明に覚えていても困るのでいいことなのだと思うが、しかし夢を見たという記憶はなかなか消えない

だからこうして冒頭に「この頃毎日のように夢を見る」と書ける

さて、夢を見るというのは記憶の整理らしい つまりきちんと意味はあるということになる

そしては私は科学的な話とは別として、夢の内容に意味はなくとも 夢を見ていたという記憶は意味のあるものだと思うのだ。


暇とはなにか

2012-05-23 03:54:00 | 哲学/世界観

地面を歩いている蟻をジーと眺める男がいたのなら、私は「暇なんだな~」と思うかもしれない


蟻を眺めている男が、昆虫好きな少年だったらどうだろうか


私は「楽しそうだな~」と思うかもしれない



じゃあその男が、生物学者だったら?



私は尊敬するかもしれない


___



暇の定義とはなんだろうか


暇だと思う場合とそうでない場合を形式化してみれば



A:時間が空く→なにもすることがない(したくない)→とりあえず流されるままに行動  

B:時間が空く→行動



両者の違いは『暇があるか、ないか』ではなく、『なにかすることがあるか、ないか』である



一番最初の例に戻ろう



それなのに私は、『することがないんだろうな~』と独断し、しかし「暇なんだな~」と思う


百歩譲って「暇なんだな~」と感じる″決め付け゛が仕方のないことだとしよう それでもそのおかしさは払拭できない


暇とは自由な時間のことを指す 

AもBも暇があるからこそなりたつ行動である

それなのに私はAだけを暇だ、と感じる




ここでいかに「暇」という価値観が曖昧であり、独断評価は滑稽であることがわかる


いや、哀れむべきだろう


暇は、行動の第一歩  それを軽視しするようなれば、いつまでたっても自分の本当にしたい行動へとはたどり着けない

欺瞞でしかない暇の穴埋めで、どうやって暇を作る活力が沸く? 大きな暇がなくしてどうやって大きな行動ができる??


___


私はこうとも思う

行動もまた暇への一歩だと  暇つぶしの天才がいるのならそれは、暇を作り出す天才でもあるのだと



・・・・


・・・


・・






さて、ここまで書きなぐってきたこの文章


最後に二つほど謂わなければならないことを書いて〆としよう




ひとつめは、読んでくれた皆さんへの感謝




ふたつめは、もちろん、







暇への感謝だ      


-終― 



行事は当日よりも,当日までの道のりが楽しいというけれど

2012-05-07 02:50:23 | 哲学/世界観
行事は当日よりも当日までの道のりが楽しいというけれど


僕はこの「当日の可能性を勝手に決め付ける」言い分があまり好きじゃない



当日を楽しまないでどうすんだ 意地でも楽しまないと、と思ってしまう


当日は忙しいだけ とか 当日は思ったほど面白くない だとか

楽しく準備できているのは、当日が楽しめると心の奥底で少なからず信じてるからなのにそれでは

過去の自分に少し嘘をついてるんじゃないのか

もちろん

忙しい だの 理想と現実とのギャップ

は何回もやっていればあるだろう 

でもその中にある「楽しいという気持ち」もきちんと見つけないとダメだ


「○○だけ」なんて悲しいこと言わないで

「それでも楽しかったよ」と言えたり

結果として「当日はつまらなかった」としても

「次は当日の方こそ楽しんで終りたい」と反省できれば

前より充実した過程が待っているはずなのだ