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みゅうの細腕繁盛記

コブクロ、馬場さん、ナオトが大好き♪これからの人生、更に楽しく生きたいと願います。初めての方のコメント大歓迎です!!

Happyな日

2010年01月24日 | 家族
土曜日、私、ここに行っていました。


オフ会の為に





















と、言いたいところですが(爆)、甥っ子の結婚式だったのです。

日帰りだったので、関西チームの誰にも連絡取ることなく、駅に着いて神戸のTちゃんに
同じ、写メを送りました

「会いに行こうか?」
ジョークだけど、こんなメールをくれたTちゃんが可愛い

本当に会いたかったな~。



挙式は、古式ゆかしき神社で行われました。

初めてかもしれません。大抵は、結婚式場に併設された神殿かチャペルか。

でも粛々とした気持ちになります。

こんな風に、両家が並んで本殿へと向かいます。



列からはずれて前に走って行き、新郎新婦をパシャッ!



風情があるでしょ?
でも、でも、メチャ寒かったんです。


披露宴が始まる前に金屏風の前で記念写真。



甥っ子君と初めて会ったのは、私の結婚直前。
小学校入学を控えていました。
女の子のように可愛い少年でした。

最後に会ったのが、震災の年。
母方の実家である、我が家に、気分転換の為、数日滞在していました。

震災の日、彼は高校の修学旅行で北海道に行っていました。
家族を亡くしたり、家を失くしたりで、泣き崩れた生徒が何人かいたそうです。
弟は中学生でした。
一番の幼馴染を亡くしました。
幸いにも、姉家族は全員無事でしたが、皆、傷ついていました。そして、疲れていました。

その後、大学生になって会っていなかったので、15年ぶりの再会です。


32才になった大人の彼は長身のイケメン君です。
従妹である、うちの娘達に言わせると、ミスチルの桜井さんに似てるとか。

新婦のお嬢さんも、弁護士事務所にお勤めで、趣味は日本舞踊にフルート。
フルートの腕前は、余興で披露してくれました。
素敵

お似合いのカップルといったところでしょうか?




私、主人、主人の上の姉です。
主人の顔、塗りつぶしました(爆)

私も一応叔母なんで、今日は地味目のドレスで。

親族だけの会食は和気藹々としてて、良かったです。

成長した、甥っ子達との、久々の語らいも楽しいものでした。


終わると、挨拶もそこそこに帰りました。
土曜日の夜なんで、店を休むわけにもいかず・・・。

せっかくの神戸なのに、関西チームと会うこともなく、ショッピングも観光もなし。

帰って、普通にお仕事しました~。

今日は、正直、疲れが・・・残っています。
今日もお仕事!でも、頑張ります


二人とも、いつまでもお幸せに

小春日和のある日。

2009年12月02日 | 家族
昨日は、12月だというのに、快晴でポカポカと気持ちの良い1日でした。

そんな日の午後、私は海岸通り沿いに車を走らせていました。
瀬戸内の島々が広がっていて、大好きな景色です。

水面が太陽の光りに反射されてキラキラしていました。
思わず、目を奪われそうで、気をつけないと前方不注意になりそうです。

BGMはコブクロの「ASB」ちょっと久しぶり。

そこから右折して小高い丘へと上がって行きます。
少し登ると、目的の場所に到着しました。
予定より少し早く着いたので、周りの景色や、背伸びをして海が見えるか
など確認していました。
海は、家々の隙間から、少し覗けました。


私が行った場所は「特別養護老人ホーム」です。

主人の母、認知症とはいえ、まだ自宅で介護できる状態なのですが、「特養」は
数年待ちが常識。無理だと思った時の為の順番取りといったところでしょうか。

アポを取っていたので、すぐに40代くらいのにこやかな男性職員が応対して
下さり、館内を案内して下さいました。
丁寧な説明と、職員の方の笑顔とは裏腹に、私は、次第に切なくて胸が苦しくなって
きました。

そこは、生きる屍と独特の異臭が漂う空間でした。
皆、うつろな表情をしていて、ただベッドに横たわっているだけ。
老人同士で、楽しいお喋りでもしているのかと甘く考えていた私は、ショックの
あまり、職員さんに「すみません。ちょっと待って下さい。切なくて苦しいんです」

そう言うと、彼は、優しそうに「大丈夫ですよ。今、そういうお気持ちになるのは
お母様がお元気だからですよ。本当に、ここに入所される時には、そういう感傷
さえ生まれませんから」。

確かにそうだろう・・・。その時は、すがるように、ここを訪れるのだろう。

皆、それぞれに、きっと語り尽くせないドラマがあったに違いない人達。
戦争も経験しているだろう。
恋もし、結婚、必死で仕事や子育てもしたであろう。

その最期がこの場所なんて・・・。

きっと、すでにそんな感情さえ持ち合わせていないのかもしれないけど。
いや、できればそうあって欲しい。

寂しいとか、恋しいとか・・・そんな感情を持っていて欲しくない。
でなければ・・・耐えられない。


一通り、館内を見学して、応接室に通され、後は事務手続き。
入所のお願いをしてきました。

主人は仕事だったので、私一人で行ったけれど、それで良かったと思いました。
実の息子や娘では耐えられないと思います。
必ず、自分を責めてしまうでしょう。

帰りの車の中では、もう海を眺める余裕はありませんでした。

コブクロの「風」「YOU」「miss you」が流れてきて、涙で霞んで、前方が
見えなくなりそうで、何度も涙を拭いました。


ストレスフリーな夜

2009年06月22日 | 家族
実は土曜日からダンナが沖縄に「仕入れ」と言う名のダイビングに行って
いました。
今晩、帰って来ます。はぁ~・・・。

自営なので365日、24時間一緒なわけですよ。普段。
これはこれで、結構なストレスで喧嘩にもよくなります。

私にとって、この年に一度(かつては二度)のダンナのいない時って
仕事は大変なんだけど、心はめちゃストレスフリーなんです。
おまけに義母は、その間ショートステイに行っていただいて。
更に、土日は次女は中国語の検定試験の為、東京に行ってて。
私一人という結婚して以来、初めての事態となりました。

あ~、何なんでしょう、この開放感は♪
夜はワインとブルーチーズを用意して。
仕事を終え、お風呂からあがって飲むワイン♪もう最高です。
何より喧嘩をする相手がいない!

ずーっといないのは困るけど、時々出かけておくれ、ダンナよ。

で、翌日は日曜日。普段は2店舗とも開けるのですが、常連は皆沖縄に
一緒に行っているので、お好み焼き屋だけを開けたら、閉めてよいと
いうことなんで、9時閉店後、東京から帰ってきた次女と近所の居酒屋へ。

今回の試験は娘にとっても、かなり厳しい試験なので、かなり疲れた
様子。
「お疲れ~」の乾杯をして、ダイエットは今夜は忘れて食べる!飲む!

その後、せっかくの自由な夜なんで、知り合いのバーへ。
私はマティーニを。娘には軽めのカクテルをお願いしました。
「私が来るには10年早い店だね」と娘。
ちょっと大人の世界を見せてやりました。

帰ってからお風呂に入り、昨日残してあったワインとチーズと娘が貸して
くれた「マリと小犬の物語」を観て過ごし、結局、いつのも時間に就寝。

私のストレスフリーな2日は終わりました。

今日、義母が3時には帰って来て、夜にはダンナが常連達と帰って来ます。

今週末から来月一杯は恒例の沖縄フェアです。
エネルギーも充満したし♪
さあ!また頑張るぞー!!

上海からようこそ♪

2009年05月23日 | 家族
今、次女が通っている中国の大学の広島校舎に上海から教授がお二人、
出張でお見えになっている。

市内以外も観光したいということで、娘がお隣の町尾道を案内することに
なった。

前日から長女も含め、観光コースのプランを練る。

やっぱり千光寺と浄土寺は外せないよね~とかお昼は尾道ラーメンに
デザートは「0らさわ」のクリームぜんざい。
温泉も珍しいだろうから平原にあるスーパー銭湯に行って、夕食は夜景の
見える居酒屋で。
と、念入りに計画を立てた。

で、昨日。
無事同じ電車で落ち合えたようで、電話をすると,今、千光寺だと言う。

お昼は私がご馳走しよう!と、ふと思いつき娘に提案するとOKが出た。

中国には割り勘という習慣がない。
娘は学生だから、きっと全てお金を先生方が払って下さる。

それは申し訳ない。
親として挨拶もしておきたいし。

と、いうことで急いで車を走らせた。
尾道ラーメンの元祖「0華園」はお昼前だというのに、すでに10mくらいの
行列ができていた。
私も慌てて並ぶ。

娘に連絡すると、山道の中腹あたりとのこと。
すぐに向かうから!と言うので、待つこと15分。3人がやって来た。
すでに行列は30mほど!


「ニーハオ!」互いに笑顔でご挨拶。
男の先生と女の先生。
穏やかで知的な紳士と淑女です。
どちらも私と同世代かな?
男の先生が、何かを切々と私に話しかけられる。
娘の通訳によると、いかに娘の中国語が流暢であるかということをお母さんは
知っているか?とのこと。
まぁ、早口で澱みなく喋るので、まずまずは上手いのだろうとは理解している。
これでもかと、娘を絶賛する先生。
ここは素直に「謝謝!」

3人の会話の度に「何?何?」と私。
どうやら私の年齢を聞いてるらしい。
「何?何?」と私。
「母さんの年を聞かれただけ」と娘。

私が並んだお陰ですぐに中に入れたが、席は二人ずつで別々に。
娘と二人になった時、娘が「先生たちが母さんのこと若いねってさ」
「何で訳さなかったの?」
「訳すまでもないでしょ」

ある!!普通のラーメンでなく叉焼麺にしたのに~。
餃子だってケチ臭く、二人で1皿じゃなく奮発したのに。
女は弱いんです。若いの言葉に。特にオバサンは。笑

さておいて・・・。
普段は餃子があまりお好きでない男の先生。ここのは美味しいとパクパク。
本場中国人を唸らせる餃子って!笑

その後、私の車で浄土寺まで送って、私はお別れ。
先生が何度もお礼を言って下さり、
「上海に来られたらどこでも案内します」と仰って下さった。(訳)
じゃあ、今度行ったら、上海蟹でもご馳走になろうかな~♪

その後、本通りを見て周り、「0らさわ」でアイスを食べて、銭湯に行こうと
したら、女の先生が「感染が恐い」って嫌がったそうだ。

感染って?
皆で裸になってお風呂に入るの抵抗があるのかな?
中国では、温泉で病気が感染すると思われているのかなぁ。
日本の温泉、至って衛生的なのに。残念・・・。

でも、無理強いしても仕方ないし、すっかり予定がポッカリ空いてしまった
ので、予約していた居酒屋も急いでキャンセル。

結局、「0らさわ」から見える尾道水道の景色がすっかりお気に召したようで
1時間ほど長居して出てみると、外はすごい行列だったようだ。

「良い店ばかり選んでくれたんだね」と先生も仰って下さったようで、何とか
ガイド役も成功。

娘が帰って来て、不思議に感じたことを話してくれた。
とにかく、やたら列車の写真を撮っていらしたこと。
在来線にも関わらず、早い!!と驚かれていたこと。
新幹線に乗ったらひっくり返るんじゃないの?爆

でも、上海にもリニアモーターカーあるよ。
あれは観光客しか乗らないのかな?
はい!私、乗りました!ミーハーですから。

また何度か中国に行って卒論を仕上げなければならない娘。

来年の今頃は、就活で忙しいことでしょう。
一番厳しい時代に入ってしまって運が悪いよね。
何とか努力が報われるようにと願う、心配性な母です。

長女の結婚式

2009年03月15日 | 家族
一昨日、無事、長女の挙式、披露宴が終わりました。
これまでもお客さんの結婚式に招かれたりしていまし
たが、娘を送り出すことが、こんなに大変で神経を使
うものだと、しみじみと実感しました。
改めて、寂しさと脱力感と疲労に襲われています。

でも、本当に素敵な挙式、披露宴でした。
娘のお友達だけで15人もいたので、会場は華やかで、
キャッキャッと華やぐ声に溢れ、娘も普段家族には
見せない満面の笑みに溢れていました。

バージンロードをまず、新郎が一人で入場。
その時点で、あちらのお母様は涙、涙。
そして、結婚行進曲と共に、主人と娘が腕を組んで
入って来たのですが、あれ?足並みが揃ってない?
ロボットみたいな主人の歩きに、不謹慎にも私は笑いを
堪えていました。爆
その後はしめやかに式は終了し、大階段を降りてくる
二人にフラワーシャワー。

その後、披露宴会場に。
ウエルカムドリンクで喉を潤し、席に着きました。
私達のテーブルは私達両親、祖母、妹、上の義姉の5人。

皆で二人の登場を待ちます。
扉が開いて、彼女の好きな安室ちゃんの「Can You
Celeburate」の曲で二人が登場。
改めて、会場が拍手喝采。お友達の「綺麗~」の言葉が
飛び交っていました。
本当に幸せそうな娘の笑顔に私もジーンときてしまいました。

乾杯の後、二人のプロフィール画像が流れ、お友達達
には大ウケ。
赤ちゃんの頃から成長するまでの懐かしい写真。
写真が変わる度に「可愛い~!」の歓声。
そして、二人でデートした時の一杯の写真。
本当に仲が良さそう♪

ご来賓の方の挨拶の後は、夫婦で全ての席を周りました。
小学校の頃のお友達も、皆、美しく成長してて「綺麗に
なっててびっくりしちゃったわ」と私が言うと
「おばちゃんも全然変わらない~。綺麗~」と合唱する
ように言ってくれちゃったりして、とても嬉しかったです。

工夫を凝らした余興が続き、会場は笑いが絶えませんでした。
お料理もとても美味しく義姉にも満足してもらえました。
失笑

挨拶回りにバタバタしたり神経を使っていて気がつかな
かったけど「WINDING ROAD」が流れていることにハッとし
娘の気遣いが嬉しかったです。

お色直しで退場する時も、「永遠にともに」のオルゴール
バージョンでした。

宴もたけなわになり、いよいよ最後の余興。
新郎、新婦からの手紙が読まれました。
お隣で新郎のお母様は終始涙を拭いていらっしゃいました。

彼はやっとできた一人息子。思い入れも相当なものだと
思います。

新婦の手紙には父親が躾に厳しかったこと。でも、キャン
プやスキーに一杯連れて行ってもらったことで、自分が今
でもアウトドアが大好きなことへの感謝。
私には、いつも主人との間に入ってフォローしたことや、
身の周りの世話をしたことの感謝の気持ちが読まれました。
私は涙を堪えていました。
でも、変わらず、彼のお母様の涙は止まらず、一人っ子に
寄せる思いの強さを痛感しました。

私達が退場した後は、エンドロールで盛りあがっている
のが会場の外まで聞えてくる拍手で分かりました。
出席して下さったお友達や親族と映った写真を、ユーミン
の「優しさに包まれて」に乗せて、娘達が作ったものです。
私は見れないから、と事前に娘が見せてくれました。
とても良くできていて感動しました。


この式に出席できなかった私の両親。
誰よりも長女に手を焼き、一番可愛い孫である娘。
その為、私の兄はビデオを回し続け、すぐに両親の元に
行き見せてくれました。
上機嫌で両親から電話がありました。
「00は本当に綺麗だった~」と泣けてきたそうです。
そんな兄にも、とても感謝しています。

親族達も「本当に楽しいお式だったわ~」と喜んでくれま
した。

二人は、その後、3次会まで仲間内と盛りあがったそうです。

実は挙式1週間前に娘のお友達が家まで訪ねてくれて
サプライズをしたいので娘に手紙を書いて欲しいと言われ
ました。

私は、思春期の頃から主人とほとんど、まともに口をきか
なくなった長女に、彼女がいかに父親に愛され育ったかを
切々と綴りました。
いつか娘が母親になれる日が訪れた時、甘やかすこと
よりも厳しく育てることの忍耐と切なさを知るでしょう。

その様子と、それに対する二人からの返事はお友達が
ビデオに収めていたらしく、後日、きっと私達の手元に
届くことでしょう。

今日、主人の下の姉から電話がありました。
とても良い式だったこと。
とてもしっかりした青年で、娘が必ず幸せになるだろうと
夫婦で話していたのよ、と。
とっても嬉しかったです。

また、まともにお祝いの言葉が告げれなかったと、次女は
長女に手紙をしたためていました。
次女が中国に留学することで、初めて離れて暮した二人。
それまでは決して仲の良い姉妹ではありませんでした。
これからは兄ができたこと。
次女にも嬉しい結婚だったのでしょう。

これからの長い長い道のり。
今のまま、仲良く寄り添って歩んで欲しいと切に願っています。

窓際のトットちゃん

2009年01月24日 | 家族
我が家の次女が4年生の時、担任の先生から言われた言葉です。

懇談の際、「クラスに窓際のトットちゃんがいるって思いました」と。
どういう意味ですか?
と、聞くまでもなく、確かに次女は他の子と違って、変な子でした。

幼稚園の頃は、音楽教室へ連れて行っても、皆がグランドピアノを囲んで
お歌を唄っていても、一人、ピアノの下に潜り込み、一人遊びに興じて
いました。
ピアノの下で一人遊びしているかと思えば、先生の奏でる和音をきちんと
当てます。
絶対音感だけは群を抜いていました。
でも、先生は叱るのが嫌いな方で「みんなもMちゃんに負けないように
頑張ってね」と言われるだけ。
他のお母さん方の手前、私は顔から火が出そうなくらい恥ずかしくて、
たまらなくて、今にも頭をゴツンとやりたいのをグッと堪えていました。

低学年の頃は、授業参観も、9割は次女の教室で観察。
長女は真面目に授業を受けているので、顔だけ見せておいて、すぐに
次女の教室に戻っていく始末。

頼んでおいたママ友達に様子を聞くと、皆、面白がって
「三つ編みをほどいては、自分の髪の毛を眺めていたよ~」
と教えられて、それを見て、先生が結びなおすと、じーっとしてて
またすぐにほどいて、眺める。
授業なんて、全く聞いていません。

ほどけてくるくるになった髪の毛に夢中。

皆で一列になって移動する時も、お花を見つけたら、一人列から外れ
そちらへ駆け寄ります。

先生から見れば、集団行動を乱す問題児。

そんな子だったから、トットちゃんと言われても仕方ないんですが・・。

とにかく、その時、自分の興味がそそられると、それにだけ集中。

このままだとどうなるんだろう・・・って本気で心配しました。

そんなだから、ずーっと先生には好かれてなかったのです。


6年生になって、初めて男の先生が担任になりました。
娘は相変わらずでしたが、先生が、それまでとは違っていました。
私が長年の悩みを相談すると
「彼女は、今のままでいいんです。周りが、それを個性として認めれば
いいんです。6年生ならできるはずです。
あの子は、きっと素敵な女性になりますよ」
私は、やっと娘を安心して託せる先生に出会えました。
6年生という大事な時期に、彼に出会えたことは、娘にとっても重要な
ポイントになりました。

学校に行くのが楽しそうでした。
先生に愛されていることを肌で感じたのでしょう。
勉強も少しだけど頑張るようになりました。
きっと褒めてもらえたのでしょう。

先生によってこんなにも変わるなんて。


その頃の先生方は、主人がPTA会長をやっていたこともあり、時々
同窓会のように店に来て下さいます。

先日、皆さんでお見えになった時、中国から帰国している娘が顔を
出しました。
迷わす、6年生の時の担任の先生のところに行ってご挨拶しました。
先生は成長した娘を眩しそうに見て、何故か照れていらっしゃいました。

他の先生から、留学の良さについて質問されました。
娘は、その先生を真っ直ぐに見つめながら、
「言語も文化も違う国の人達と接することが楽しいです。伝統の違い
から、ぶつかったりもするけど、互いの伝統を理解し合い、最後は
同じアジア人ということで仲良くなれます」
と、はきはきと応えました。

もう、あの頃の片鱗もありません。
成長した20才の女の子です。

トットちゃんと命名した先生もいらっしゃいました。
が、娘は、その存在さえも気づいていませんでした。

結局、愛情を感じることができた先生しか、彼女の記憶には残って
いなかったのです。


子供は、関わる人によって、どんどん変わり成長します。
先生、友達、そして親。

今、こんな子だから、と決めつけてはいけないんですね。
どの子も、大きな可能性を秘めているんです。

これから、教職に進もうとしてる方。
現在、教職に携わっている方。
小さな可能性の芽を、絶対に潰さないで下さい。
どうか、その子にしかない個性を上手に引き出してやって欲しい。

そして、親も、見逃さないよう・・・。
私も、あの先生の言葉がなかったら、娘を追い詰めていたかもしれ
ません。

若いって素晴らしい。
一杯の夢と可能性に溢れていて。

まだまだ自由に羽ばたいて欲しい。


次女の留学生活終了。

2009年01月10日 | 家族
今晩、2年半の中国留学を終え、次女が帰国します。

涙、涙で発った、あの日から2年半。

18才から21才になろうとしています。

一層、強く逞しく成長しました。

当初は言葉の壁や、生活習慣の違い、文化の相違などで戸惑ったこと
でしょう。

積極的に発言するほど評価してくれる中国という国で、周りの日本人
の反応など気にしていては、成長しません。
マイペースな娘は積極的に授業で発言をし、先生から褒められる代わり
に同級生の反感も買いました。
日本人のいやらしさ・・・・。

そんな時、いつも励ましてくれたのは、韓国人の友達ヤーヤーでした。
「結果を出すことよ!周りに何も言わせないほど!」
彼女の強さは支えになり、二人は無二の親友になりました。

お互いに、皆、一杯、一杯だったんだね。
まだ18才だもの。

それでも皆、よく頑張ったね。
いつも娘の相談に乗ってくれた00君・・・ありがとう。
皆も、それぞれの夢に向かって頑張ってね!!


これからの娘の目標は英語をマスターしてマルチリンガルになること。
そして、それを武器に来年の就活に挑むこと。

そして、一年半後、再び上海に戻り、半年で卒論を仕上げます。

我が娘ながら、本当によく頑張った!!

あと一時間ほどで家に着くね。
夕飯はリクエスト通り、ハンバーグだよ。

大好きな日本も、もうそこまで・・・。
本当にお疲れ様でした。


明けましておめでとうございます。

2009年01月04日 | 家族
お正月休みも今日で終わり、明日からは通常の日々が戻ってきますね。

そんな私は元旦のみ休みで、2日から仕事をしています。
こういう長い休みの時は、自営に嫁いだことを後悔します。
はい!盆と正月は。

さて、それは置いといて・・・皆さん、ゆっくり休めましたか?

私は大晦日は4時まで仕事をし、夜は大人3人で、お刺身やオード
ブルなどを囲んで過ごしました。
もちろん、ワインとチーズも添えて♪
子供のいない宴は火の消えたような静けさ・・・。
本当は格闘技が見たい主人と、ボケた婆さん。噛み合わない会話。
あ~、つまんない!
でも、紅白のコブクロ・・・素敵でした♪

新婚の長女は二人で大晦日の夜を過ごし、元旦は私の言いつけで
あちらのお家にご挨拶。
私達夫婦は私の実家へ。
義姉の手作りのお節や、私が持参したお寿司を囲み、こちらは
賑やかに談笑。もちろん、ワインとピザも自分用に持参。

帰りに甥っ子達に声をかけると、こちらで夕食を、と言うことに
なり長女夫婦も合流して居酒屋へ。
婿殿も甥っ子達と同世代ということもあり、意気投合!
賑やかに食って飲んで♪
まだ話し足りなくて、2次会は我が家で。

頂き物の金粉入りの泡盛で酒盛りの始まり。
店から家に徒歩で3分ほど。
婿殿は長女のバッグを持ってやっています。
TVでよく見る最近の傾向ですね。

「何で自分で持たないの?」と聞くと
すかさず彼が「僕が持ちたくて持っているんです!」だと。
アホくさ~。
なんなら私のも持つ?とは言わなかったけど。笑

家でも本当に仲良くって
「ねぇ、入籍して何か変わった?」
すかさす彼
「何にも変わりません。僕達、付き合ってからずーっと変わら
ないんです!」
またしても、アホくさ~。
長女、寒がりで暖房効いてる部屋でも、炬燵に肩まで入れて寝転
がってる。
そんな長女の頭をさりげなく、彼が撫で撫で。


いい加減にしろ~~~~~!!いちゃつくな!


まぁ、仲の良いことはいいことです。


いつまでも続くと思うなよ、長女。ぷぷぷ。


主人はすでにウトウト。

同世代の4人は共通の趣味の話題で盛りあがっている。

でも、もう私が眠い。
だって明日から恐怖の忙しさよ~~~。

「お開きにしよ~」の言葉で、やっとお開き。
お酒を我慢していた長女(私が婿殿に飲ませた)の運転で
甥っ子達を実家に送り届けて娘達も帰路に。

翌日は初売りに二人で行くんだそうな。
いいな~、いいな~。
幸せ者だな~、長女は。

そんな中、上海にいる次女は死にもの狂いで試験勉強中。
何しろ追試代が日本円で3万円とのこと!!
恐ろしい~~~~~!!


10日には帰国します。
1年半こちらにいて、TOEIC対策と夏からは就活も始まります。

今年も3月の挙式、次女の就活と慌しい一年になりそう。

母は健康第一で頑張ります!

本日、長女が入籍しました。

2008年12月24日 | 家族
メリークリスマス♪
今夜はご家族やお友達、恋人と楽しい夜をお過ごしのことでしょう。

そんなイブの今日、長女が入籍致しました。

コブクログと記事が重なってしまいますが、Teamに入ってない方、
そして、足跡は残さないけど、これを見てくれてる私の友人への
報告です。


泣いたり、笑ったり、怒ったり、叩いたり、一言では語りつくせない
ほど、色んなことがあった24年間でした。


これからは、二人で喜びも困難も、助け合って乗り越えて欲しいと
願っています。


そして、いつまでも母として、本当に困った時は、いつでもSOSを
出して欲しいと思っています。
あなたの、幸せを陰ながら祈っています。


ご報告まで・・・・。

外面の良い長女。

2008年12月07日 | 家族
昨夜、ふらりと若い男の子が入ってきた。
どうも店を間違えたっぽい。汗
もう数件隣にお洒落な店がある。

「以前来たことあるんです。あれ?でも店の雰囲気違うな~」って!爆
「よくいるよ、そういう人。まぁ、いいんじゃない!ここで飲んでいけば?」
と私。

その彼と色々話してみると、年齢は24才。海上自衛隊員で防衛大を出た
エリート君だった。

年齢が長女と同じなので、「高校はどこ?」って聞くと、なんと長女と
同じ学校。

「あの~、00って知ってる?」
「え!はい!知ってます!!同級生です!!」
「ウチの子なんだけど。」と私。
「え~~~~~!!紹介して下さい!!」

え~~~~!!はこっちだよ~。いきなり!

「あの~、もう結婚するんだけど。」

「え~~~~!!」と、また彼。


聞くと、長女、かなりのモテモテさんだったらしい。
しかも大人しめの所が良かったんだそうな。

でも、サドだよ・・・・とは言えなかった。

「何でアタックしなかったの?」と聞くと
「ライバルが多すぎて、その顔ぶれ見て諦めました」だと。

へぇ、あの子がね~。
家じゃ学校のこと何にも話さない子だったから。
それにしても大人しめ・・・・ププ・・・化けてたな。笑
あのサド娘~~~!!


頭脳も体力も鍛え上げられた自衛官。
倒産の心配もないし、安泰じゃない?
長女よ、入籍まで、まだ少し時間あるよ!
考え直す???爆

昨夜、長女にメールした。
「同級生の00君が来てるよ。覚えてる?」
長女からの返信・・・






ありません。