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みゅうの細腕繁盛記

コブクロ、馬場さん、ナオトが大好き♪これからの人生、更に楽しく生きたいと願います。初めての方のコメント大歓迎です!!

母の寿命

2008年11月29日 | 家族
今日は、娘とフィアンセ(と、言ってももう一緒に住んでいるけど)を
連れて、私の実家に行って来た。

結婚式には当然出席できない母。

一回目の乳がん発覚が9年前。その3年後にもう片方の乳癌が見つかり。
更に、また3年後に肺に癌の転移が見つかった。

長い闘病人生。そして、また、あれから3年。

その間には「死」への恐怖から鬱病だった時期もあった。
今、母は「死」をどのように受けとめているのだろう。
恐くないと言う。
どうやって達観したのだろう。


そして、そんな母、3月の結婚式の写真が見れるか医師に聞いたらしい。
医師からはYESとは言ってもらえなかったとのこと。
せめて嘘でも「大丈夫ですよ!」と言ってやって欲しかった。
怒りが込み上げる。

花嫁姿だけでも見せたいから、一日でも早く早撮りしてね!と娘達には
お願いしている。

今日は、衣装合わせの後、私と合流し3人でランチして、実家に向かった。
母に彼を紹介したかった。

いつもはベッドに寝ているのに、私達が行くと聞いて、服に着替え炬燵に
座って待っていた。

彼は自分からすぐに自己紹介をし、勧められて炬燵に入り、実家の愛犬
のサリーとも、すぐに仲良くなって顔をペロペロ舐められている。

いつもは寡黙な父も、今日は饒舌で、彼と楽しそうに会話が弾んでいる。
母も嬉しそうに、彼に娘の小さい頃の思い出話をしている。
彼はにこにこ笑って話を聞いている。


娘の彼、決してハンサムではないし、背も低いけど、素直で人の良さが
滲み出てるんだよね。
誰からも好かれそうなタイプ。
決して、背伸びすることなく、全てが自然体で好感が持てる。


1時間ほど滞在して帰ったけど、両親は上機嫌だった。
いつもは私に色々くれるのに、今日は全部娘の元に~。
え?私には???
殻付き牡蠣・・・欲しかったよ・・・・。涙


でも、その後電話で話したけど、母が
「安心したよ。もう死んでもいいよ」って。
父も
「男前とは言えんけど、性格の良い子じゃのう」と嬉しそう。

少し、親孝行できたかな。
私も嬉しかった。
自分が褒められるよりも嬉しかった。


「寿命」・・・こんなの先生にだって分かりっこない。
だって、今日も本当に元気そうだったもの。

結婚式の写真も、いつかひ孫の顔だってみれるよ、母さん。
前向きに1日でも長生きしてね。
母さんがいない実家なんて考えられないんだよ・・・私。


暑い~~~~!!近況です。

2008年07月31日 | 家族
ご無沙汰しています。
毎日暑いですが、最近とっても体調が良く、自分的には鬱は完治に向かって
いるように思います。

毎日、このくそ暑い中、鉄板の前の灼熱地獄の中、頑張っています。
自然サウナ?自然デトックス?
水をモデル並みに飲んで、老廃物を出しているのでお肌の調子はいいはず!
なのに、顔に疲れが出ていて、スーパーで買い物中、鏡に偶然映った自分の
顔にギョッとします・・・。汗

さて、長女の結納も1ヶ月余りとなりました。
そんな長女、先日独身最後の旅行で友達とタイに行ってきました。
先月の誕生日に、また彼氏から新作のヴィトンのバッグをもらっていた
ので、彼氏へのお土産は何買ってあげたの?と聞くと、「それ」
指差すところには象柄のトランクス。
「え~~~!!これだけ?」
と私が言うと「だってお金ないもん!」

はぁ・・・・どこまでサドなんでしょう?
誰の子なんでしょう?
呆れます・・・。

そして次女。
帰国して即短期のバイトを見つけました。
フルタイムでお菓子工場で立ちっぱなしのバイトが終えた後、更にコンビニ
のバイトに行っています。
取らぬ狸の・・・じゃないけど、ざっと計算して25,6万は稼げる予定。
それって中国の貨幣価値に換算すると・・・ギョエ~~!!
帰国したら北京や香港を旅したいとのこと。
変わらず逞しいです。
誰の子なんでしょう・・・・。笑

そんな次女、最近お客さんで来られた台湾人のケイちゃんを紹介してあげたら
すっかり仲良くなって中国語で二人で楽しく会話しています。
ケイちゃんも誘って次女とランチにも行きました。
ケイちゃんのダーリンはイギリス人。
おうちにも招待して頂きました。
昨夜は中国や香港で仕事していたという男の人が店にいらしたので、次女を
呼んで、二人で中国語で会話。
でも、相手は下手だったと娘は勝ち誇ってた。
おまけに、別れ際、中国語で「お嫁さんになって」と言われたとか。
おいおい!兄さん、親の私等に通じないと思って何言ってんだ~!!

そんなこんなで家族が全員揃うと、洗濯物は増えるわ、食事の準備も大変
やらで多忙ですが、賑やかにやっています。

8月になると、祭りとお盆。稼ぎ時です。
はぁ~~~~体力が持つか・・・。
これさえ乗りきれば、9月末から3泊4日で銀婚旅行に行ってきます。
当初は海外の予定だったけど、燃油サーチャージャーが高い!!
と、いうわけで北海道で食い倒れてくることにしました。

早く8月終わってくれないかな。

次女の帰国。そして長女との関係。

2008年07月01日 | 家族
先週の金曜日、次女が上海から帰国しました。
日本の大学とは時期がずれるけど、もう夏休み。
2ヶ月こちらにいます。
卒業まで3年近くありますが、すでに卒業資格のHSK8級に
この度合格しました。後は、それ以上を目指すことと卒論だけ。
よく頑張ったよ、我が娘。
ひたすらハングリー精神だけで頑張ったもんね!

で、長女、来月結納が決まりました。

この姉妹、実は小学生の頃から、仲が悪くって、ほとんど口もきかない
状態。
次女が変な子で、同じ小学校に通う長女は、そんな次女が大嫌いだった
ようです。

次女は「はじめてのおつかい」に出たことで、ちょっと有名になって
しまって、長女のお友達からも、よく声をかけられていたそうですが
そのことを当時封印していた次女は、長女のお友達にアッカンベーを
したりで、長女には次女の存在は恥ずかしいものだったのです。

二人の冷めた関係は長年に渡っていました。

ところが、次女が上海に発つ時、なんと!長女から入学祝で時計を
プレゼントされたのです。
そんな次女は驚き、帰国の度に、長女にお土産を買ってきます。

長女がお友達と上海に旅行した時は、次女が全て案内と通訳を果たし、
エステ代から食事代まで長女は姉らしく払ってやったそうです。

二人の関係が次第に変化しています。

なんと!今回、長女から次女に温泉に行こうとお誘いがあったらしく。
次女はてっきりお泊りの温泉と勘違いしたようですが、お風呂です。
長女はお風呂と岩盤浴にハマっています。
上海にはないのか???
それにしても次女を誘うなんて!!
普通に仲の良い姉妹じゃないですか!

結婚が近づいて、長女の心に何か変化がおきたのでしょうか?
それとも、互いが少し大人になったのでしょうか?

姉妹が仲が良いのは、親にとって、とても嬉しいことです。
だって、順番でいくと両親は先に逝くのだから。
姉妹で、いつまでも支えあって、仲良く暮らして欲しいな。

さて、私は次第に花嫁の母に近づいています。
「愛のレシピ帖」も、もうすぐ一冊終わりそうです。
嫁入り道具がひとつ増えました♪

近況

2008年06月02日 | 家族
ご無沙汰しています。
皆さんのブログにもお邪魔できなくてすみません。

先月の中旬に主人の父の25回忌の法要がありました。
今回は身内だけで・・・ということで、埼玉と神戸から二人の義姉が帰省し
私達家族とこじんまりと滞り無く無事済ませました。
当日は長女も会社を休ませました。
彼氏の初挨拶にも列席せず出勤した長女。今回は主人から強く事前に言われて
いたので致し方なく。笑

法要が済み、墓のある島までボートをチャーターして渡りました。
主人もボートを持っていますが、女と年寄りだけを連れて行くので、安全の
為、チャーターです。定期便は少ししかありません。
そんな孤島です。
その後、皆で会席を済ませ、夕食まで、私と長女は岩盤浴に行ってきました。
私には初めての経験。
でも、長女とこんな風に過ごすことは、もうないかも・・・と思い、二人で
良い汗をかいてきました。

夕食は長女の彼氏も交えて焼き肉屋さんに。
こちらの親族だらけの中、一人で緊張して、ちょっと可哀想。笑
でも、長女の為にせっせとお肉を焼いてはお皿に入れてあげる姿はやっぱり
M君と見ました。
男が強い主人の家系。義姉達も彼氏の世話焼く姿にクスクス笑っていました。

姉の一人が「いつもそうなの?」と笑顔で聞くと、「あ!はいっ!!」
「優しいのね~」と姉。
「こういうの好きなんです!」と彼。・・・いつまで続くのかな~?

その後は彼氏も我が家へ。
アイスを食べながら、長女のアルバムを彼氏に見せてあげました。
二人はキャッキャッと楽しそう。
私も眺めながら、過去が走馬灯のように蘇ります。

可愛い!娘♪
わ!若い!私!!しかも結構綺麗かも~(すみません。汗)
和やかな雰囲気で彼も、ぐっと家族のような気がしてきました。


さてさて、その二日後は彼のご両親との顔合わせです。
は~~~~、緊張。
我が家の近くまで着いたとの連絡で外でお出迎え。
わ~、素朴そうな人の良さそうなご両親。
まずは丁寧にご挨拶。
田舎の方って感じ~。
ん???私の巻き髪違和感ない???
まっ、いいか!

近所の喫茶店の個室を予約しておいたので、主人も交え6人で和やかに
会話・・・・のはずが、主人がほとんど口をきかない!!
気を使って私は精一杯の笑顔で応対しました。

でも、あちらのお父様、謙虚な方でした。
「ウチの息子なんかでいいんでしょうか?」って。
大事に育てられた一人息子さんなのに。
主人が黙っているので、仕方なく私が
「こちらこそ不束な娘ですが、どうか可愛がってやって下さい」と頭を
下げました。

何とか、顔合わせも、無事終了。
今後は、結納、引越し、披露宴、新婚旅行、と二人にとっては楽しくも
慌しい日々になるでしょう。
と、思いきや!長女、友達と夏にタイへ旅行に行くらしい。

これが最後の独身生活とばかり、精力的に遊んでいます↓
彼の将来を憂慮するのは私だけでしょうか?

可愛い可愛い一人息子を取られた、あちらのお母様を、どうか大事にして
あげて欲しいものだと、心から願っています。

取り敢えず、近況まで。

深夜の国際電話!!

2008年03月27日 | 家族
先日、深夜1時。上海時間で12時。
突然、次女から国際電話が!!

主人が電話を取るが、何故かこういう時「母さんに代わって!」と言う。
「麻里から」と主人。
時間が時間なだけに慌てて代わると
「さっきシャワーを浴びた後、急に意識がなくなって耳の後ろを切ったみたい。
どうしよう?」
え~~~~~!!
「どうしようって、どれくらい切ったの?!」
「ルームメイトが見てくれたんだけど、ザックリ深いし、血も止まらない」
「え~~~~!!すぐに病院行きなさい!!」
「やっぱり行かなきゃダメ?」と渋る次女。
「当たり前でしょ!!このままだと血も止まらないし、怪我も何日も治らな
いよ!!保険あるでしょ?それを持って今すぐ行きなさい!!」
「分かった・・・」

その後、電話を切っても心配でならない。
中国に渡って1年半が過ぎたが、幸い、まだ一度も病院の世話になった
ことがなかった。これは奇跡。食中毒にも罹らなかったのだから。

「中国で病院にいくのだけは嫌だ!」
と、娘は日頃から話していた。
が、状況が状況だけに致し方ない。

あ~、無事に病院に行っただろうか?
何針縫うんだろうか?
恐がりの次女・・・大丈夫だろうか?

色んな心配が過ぎっても、上海は遠い。
留学するということは、こういうこともあるんだ・・・と覚悟は
していたけど、もどかしい・・・・。

翌日、こちらから電話してみた。
部屋にしても出ない。携帯にかけても出ない。
ひょっとして入院?
そんな不安が過ぎり、あちらでサポートして下さってるスタッフに
電話してみる。
何と事情を知らないようだった。
至急、娘から連絡が欲しい旨を伝えて切った。

それから1時間後。娘からやっと電話が入る。
「どうだった?!」と聞くと
その後、ルームメイトに付き添ってもらい病院に行って3針縫った
とのこと。
もう学校に行っていたらしい。

大事に至らなくて良かった。
何より、ルームメイトがいてくれて良かった。
これが一人だったら・・・・と思うと背筋が凍る。
深夜まで付き添ってくれたルームメイトには近々、お礼の品を送ろう
と思う。

歯科に行くにも、未だに泣きそうな顔をする怖がり娘が、異国で深夜
3針縫うなんて、どんなに不安だっただろう。

でも、こうやって子供は成長していくんだ。
親がいなくても、何とかやるんだ。

そう考えると、嬉しいような寂しいような複雑な心境だ。
でも、確実に逞しくなっているんだね。

上海に行ってきます♪

2008年02月08日 | 家族
月曜日から上海に2泊3日で行ってきます!
今帰省している次女の帰国に合わせて、一緒に行く予定です。
去年は義姉二人と一緒の珍道中でしたが、今年は一人で。
行きは次女と一緒だけど、帰りは一人。
無事、飛行機に乗れるかなぁ・・・実は不安です。

主人は「なんで今回の帰省で会えたのに、行くんだ?」って不思議そう
ですが、それには理由があります。

私は上海という地で次女を見るのが楽しみなんです。
中国語を喋っている次女は、もちろん。とても逞しくなった姿を見るのが
嬉しくてたまらないのです。

長女が中学生で次女が小学生の高学年だった頃、ソウルに連れていった
ことがあります。
その時、長女はとても頼りになる存在で、地図が読めるので、彼女の道
案内で目指す場所に行きました。
次女は黙って付いてくるのみ。
辛い食べ物も、長女は平気だけど、次女は苦手で、せっかくダッカルビを
食べに行っても、次女にはフライドチキンを頼んでやらないといけません
でした。
おまけに重い荷物も長女は持つのに、次女は嫌がるというワガママぶり。


そんな、あの子が、上海では、私を誘導してくれるのです。
地図を見ながら、タクシーの運転手に指示し、道がよく分からない風だと
怒った口調で文句をつけます。
買い物はもちろん上手に値切り交渉をしてくれます。

あ~、なんという成長ぶりでしょう。
主人にも見せてあげたいと思うのだけど、男ってそういうの、あまり興味
ないみたいで。
「そんなの留学してるんだから当然だろう」・・・そんな感じ。

でも、でも、母は嬉しいのです。
親ばかかもしれないけど、成長を肌で感じます。

さぁ、今回は何を食べようかな?
一緒にエステもしよう♪

考えただけでワクワクしてきます。
娘って、こんな時、いいな~。

後、3日。
しっかり働いて、その後は、しっかり羽を伸ばしてきま~す♪

愛のレシピ帖

2007年10月11日 | 家族
長女、現在23才。
私の育て方が間違っていたのか、な~んにもできない。
もう恋人もいて、結婚前提のお付き合いもしているというのに。
本人は遊ぶのが楽しいばかりで、青春を謳歌している。

何とかせねば・・・。
で、考えたのが、まずはお料理。
「ねえ、そろそろ料理も覚えないと結婚したら困るよ。
 週に一度くらい、あんたが作りなさい」
私の言葉に抵抗すると思ったが、これがあっさりOKを出した。
やっぱり、結婚を意識してるんだろうか・・・。


それ以来、私はレシピ帖を作ってやることにした。

まずは基本的な料理から。
私がレシピを書いて、材料も用意してやっている。
仕事から帰った娘は、それを頼りに週一で料理を始めている。

最初に作らせたのが、肉じゃがときゅうりの酢の物。
それから、みそ汁。きちんと鰹で出汁を取って。
これが、意外と手際よく味もなかなかなのだ。
料理の腕は主人に似たのか。味覚も確かだ。
本人も何だか自信満々。
チョロイわ~、って顔をしている。
今、レシピ帖に書いているもの。
つまり、娘が作ったもの。
ハンバーグ、サラダ、鶏肉と豆腐の揚げだし、ポテトコロッケ、餃子、
ロールキャベツ、レタスのシャリシャリ巻き。
やっと、これだけ。

週に一度として、1年間で約50くらいのレパートリー。
2年で、100。
一回に2品作らせれば、またその倍。
これだけ作れれば当面は困らないだろう。

が、しかし、私の方が結構大変!
同じ物は作らせず、レパートリーを増やすことが目的なのでメニューを
考えるのが一苦労。
でも、母親の味。ちゃんと教えたい。
彼女が結婚するまで、母の愛のレシピ帖、一体何冊になるんだろう。

まだまだ結婚する気なさそう・・・。
こりゃ、すごい数になったりして。
私のレパートリーが尽きるのが先か、娘の結婚の方が先か。
これはこれで、また大変!!

今日は愚痴大会です♪

2007年09月01日 | 家族
やっと涼しい風が時折感じられ、あの酷暑も終わりを告げましたね。
皆さん、元気でお過ごしですか?

今日は思いきり愚痴っちゃいます。
若いお嬢さん方は読まないほうがいいかも!

主人の母、認知症が発覚して一年。
あまりに物忘れが酷いので、義姉の勧めで受診したのがきっかけ。
長谷川式という認知度を計るテストで、義母は初期の認知症だということが
分かった。
そして、アリセプトというアルツハイマーに効く薬が認知症にも効果があるという
ことで、処方して頂いた。
その後、すぐに介護保険を申請し、要支援1に認定され、現在週に一度介護施設
に通っている。

その後も定期的に長谷川式の検査を受けているが、特に進行していないとのこと。
だが、義母は確実に日々おかしくなっている。
長谷川式・・・本当に正確なのか、少し疑問。
最近の義母、今のことを今忘れる状態。
だから、さっきのことを何度も私に聞く毎日。
薬は、ビタミン剤以外は全て私が管理しているが、最近大変な事が発覚した。
義母は以前、眠れない日があると言って、いつも腰痛で通っている整形外科で
睡眠導入剤を処方してもらった。
つい最近も「昨日眠れなかったの」と言うので、「導入剤は頂いてるんでしょ?」
と私が聞くと「今はもう貰ってない」との返事。

私もうっかりしていた。
義母の言葉を信じ、整形外科で処方されているのはビタミン剤だけだと思って
いた。
この夏は酷暑だったこともあり、義母も「しんどい、しんどい」が口癖のように
毎日何度も私に訴える。呆け方も、ちょっと尋常じゃない。暑さのせいだけじゃ
なさそうな気がしていた。
そして、義母が留守の時、整形外科の薬を確認した。
なんと!!毎食後と書かれた袋の中に、睡眠導入剤が入っていたのだ。
私は慌てて医院に確認した。
睡眠導入剤は毎回処方されていた。もちろん袋は別にして。
それを義母は全部同じ袋に入れてしまっていたのだ。

この夏、「頭がぼんやりして、自分の頭じゃないみたい」と、いつも言っていた。
そりゃそうだ。昼間から眠剤を飲んでいたのだから!
そうとは知らず、脳外科にも連れて行った。
当然、異常なし。これも当たり前。
義母がお出かけから帰ってきて、私は早速、薬の袋の中身を義母に見せた。
「これは何の薬か分かってる?」と聞いたら「さぁ、何かしら?」
「いつも飲んでいたの?」と聞くと「そうね、忘れる時もあるけど」とのこと。
「お母さん、これ睡眠導入剤ですよ。これを朝や昼に飲んでいたってことですよ」
そういう私に、事の重大さが分からないのか「そう?」と言うだけ。
早速取り上げる私。
「頭がいつもぼんやりしてたのは、この薬を飲んでいたからよ」
そう言っても「そうかしらねぇ」
すでに、自分の行動も認識できなければ、事の重大さもピンとこないようだ。
転んで怪我をしなかったのは奇跡のようなもの。
この義母、今後はどうなっていくんだろう・・・。

私が義母と同居を始めたのは24年前。舅が亡くなり、一人で寂しいと訴える
義母が可哀想で、結婚半年目に同居に踏み切った。
同居一日目に言われた言葉。
「みゅうさん、あなたは私の面倒をみる義務があるのよ。この土地をあげるんだから」
私は、直後に同居を後悔した。
妊娠中は「妊婦はトイレの掃除をしたら綺麗な子が産まれるのよ」と言い、産まれ
たら子育てに干渉する。
子供達に用意したお弁当を開き「もう少し緑が欲しいわね」と言ったり。
受験の時は、こちらもピリピリしているのに、やはり口出しをする。
24年間、語ればキリがないほどの出来事の中で、私の中には義母に対して頑な
で冷ややかな確執ができていた。

なのに、どうだろう。
あんなにプライドが高く、美しく、聡明だった人が、今は私なくしては何もできない。
「みゅうさん、あなたがいないと私は死んでしまうわ」
すっかり弱弱しくなった義母は、私にそう言う。
私の中の冷たい氷は、完全に溶けたとは言えないが、確実に私だけを頼りに生き
ている義母を見ていると、手を差し伸ばさざるを得ない。
これも、私に与えられた試練なのか・・・。
神様は私を試そうとなさっているのか・・・。
最近はそんなことを考える。
そして、今日もまた、義母の食卓に今晩の薬を用意してあげた。
地獄はまだ始まったばかりだろう・・・。

我が家のギャル♪

2007年08月12日 | 家族
今日は、祭りの最終日、花火大会。

長女が友達と花火を見に行くから、友達と二人浴衣を着せてと言う。
夕方からは稼ぎ時なので、少し早めににということで待っていたが、遅い!
待ちきれず、長女の部屋にお邪魔する。
なんと、二人でヘアやメイクの真っ最中。
しかも、プロ並!
髪にはホットカーラーを巻き、サイドの部分はアイロンで上手にクルンと
巻き髪にしていく。
ホットカーラーを巻いていた部分は、逆毛を立てて上手にアップにしていく。
仕上げはペディキュア。綺麗に塗ってストーンを散りばめる。
もう本当に唖然とするくらい、二人共上手だ。感心する。
全てのエネルギーをメイクとファッションに費やしてきただけのことはある。

同じ姉妹でも、次女の方は、大学生になってもすっぴん。
ジーパンとTシャツでいると、高校生でも通用しそうだ。
どこで、二人の路線は別れてしまったのか・・・。

やっとヘア、メイクが終わってくれたので、やっと着つけ。
着つけ教室さながら、浴衣の着方、帯の閉め方を教えていく。
「将来、娘に着せてあげなきゃね」
これも、母としての教え。

さあ、終わったと思ったら、今度は二人、帯に自分のジャラジャラとした
ネックレスを飾り、髪には大きなコサージュ付きのカチューシャ。
これが今風?
徹底ぶりには感心。

この長女。本当によく遊ぶ。家にいたためしがない。
「夕飯いるの?」・・・普通、奥さんがご主人に問う言葉。
が、我が家では長女。
夜毎、夜毎、一体なにをしてるんだろう。
今日中という門限だけは守るが、本当にいつもいない。
青春真っ只中というところか。
彼氏のプロポーズは一体、いつOKを出すつもりなのか?
まだまだ遊び足りないらしい。

それに比べて次女。
今夜も友達と部屋でゲーム。
どこか行けよ~!と逆に言いたくなる始末。
親って、どちらでも心配なのね・・・と一人呟く母。

彼女達の将来は、どんな風に展開していくのだろう。
楽しみであり、心配であり、だ。

小さくなった母

2007年08月05日 | 家族
昨日は参った・・・。
久々に心底参った・・・。


母がもう、そんなに長くはないことを初めて実感した。

母の乳癌が肺に転移し、今年で3年目。
母は、淡々と死に向かって準備をしていた。
それでも、私はどこか実感できないでいた。

昨日は靴を買いたいから付き合って欲しいと言われ、娘達を連れ、久々に
母と外出した。
外出はほとんどしない。だが、靴だけは自分で合わせないといけない。
止むに止まれぬ外出だったのだろう。
家で見ていると気づかなかったが、母はかなり弱っていた。
歩くのもおぼつかず、誰かが支えてあげないといけない。

「お昼ご飯、ご馳走するから何でも食べなさい」
そう言われて、一緒にお昼を共にしたが、自分はほとんど箸が進まない。
「朝ご飯が遅かったから」とニコニコしながら皆を気遣い嘘をつく。

中国から帰国している次女が成人式には帰れず、夏休みのうちに晴れ着の
写真だけを撮ると話したら、成人のお祝いと、来年のお年玉、2月が誕生日の
次女のお祝いまで包んでくれ「これで安心した・・・」とつぶやいた。

帰り際「また来てね」と疲れきった表情を隠そうとして微笑む顔を見たら
胸が熱くなった。
娘達がいたので、込み上げそうになるものをグッと我慢した。

帰ってから、店に一人いると涙が溢れてきた。
何で、もっと頻繁に顔を出してやらなかったのか・・・後悔した。
やるせない気持ちのまま、きっと同じ痛みを分かち合えるであろう兄に電話した。
泣きながら喋る私の話を、兄は黙って聞いてくれた。
そして「仕方ないことだから・・・」と言った。

その後は店が忙しくなり、何もかも忘れてひたすら働いた。
仕事を持っていて良かった、と昨日ほど感じたことはない。
だが、夜布団に入ると、また涙が溢れて眠れない。
仕方なく、また起きてビールを少し。そして入眠剤を飲んで、やっと眠りについた。

今日は、次女を連れて写真館に。
お祝いで貰ったお金で、成人のお祝いの晴れ着の写真を撮りに行った。
出来あがったら、一番に母に見せに行こうと思う。
そして、余ったお金でちゃんと礼服を買ったことも知らせないと。

後、2年?嫌、1年?
もっと早いかもしれないが、気づいてあげられて良かったと思う。
まだ、親孝行の時間は残されている。
大事に過ごしていこうと誓った。