KKo ike 1〈One〉(西御門喜仁)

夢遙か! ロマン 温故創遊・戯言をつぶやく夜話(ヤーン)

民際外交 {6} (C)タ イ 王  國(マレーシア連邦・インドネシア共和国)

2012年10月03日 | Weblog

 

タ イ 王  國(マレーシア連邦・インドネシア共和国)  

第三種郵便物認可郵便友の会ニュース平成13年(2001年)3月15日

12月5日から26日日までの二一日間「ユネスコー2000青年国際交流信託基金事業派遣団」
に参加しました。団はユネスコ活動分野での専門家としての、青少年団体専門指導者
十一名で構成されました。

タイ王国
12月5日この日は国王の誕生日。公共の建物や街角に国王の肖像画が掲げられて慶
祝ムード一色。夕食はタイ.典舞踊が見られるレストランで取りました。

12月6日タイの青少年団体の連合体一NCYD一を表敬訪問。事務局長から同国の
青少年団体活動の現況を聞き、その後、ユネスコアジア・
太平洋地域申央事務所を訪問、ユネスコと同事務所の活動の目的、
現状などの説明を受けました。更に貧しい人々が集まる地域の子供たちへの
教育支援活動を展開する財団を訪ねました。

12月7日バンコクの美化一活動として、一般家庭でのリ一サイクルやゴミの減少、
子供たちへのゴミ選別方法の教育を展開中のクラブや組織の代表と意見交換、
タイ王国最古のアット・ヤイ・スワンナラiム一大金寺一を見学。
文化遺産でもある寺で出家修行中の背少年の僧侶の姿に、歴史や伝統文化などを
大切に受け継ぐ活動を見いだしました。

12月8日少数氏族の文化・事一ア央たジヨロアジア地域間)コ地訪イス洋を
タネ平所(ユ大務行ザ)

PFC全国懇話会会員   上
小池喜一

伝承に取り組む中学校を訪問。徒で午後7時、ラマダン月の
生徒の伝統音楽演奏と民族開始。コーランを唱えてメッ舞踊を観賞しましたが、
とカに向かっての礼拝が日没まても感激でした。で続きました。
盛大な歓迎晩さん会が行わマレーシア連邦れ、私共の受け入れ準備に


12月9日タイからマレー隼団体が総力を挙げて取り組シアヘ移動。
「ようこそ!んでいることを、伺い知るこ今はラマダン月(断食の月一とが出来ました。で…」のあいさつでイスラ川12月10日国立の児童養護仏教国へ。
到着の印象を強く施設を訪問。事業内容を視察実感しました。しましたが、最近は予算の減夕方、ハッサン・アジア脊少で運営のひっばくやスタッ少年団体協議会(AYC)会
7L不足が悩みの種とのこと。
長の私邸前庭に到着。ハッサこ万後、国際青少年センターン会長は敬けんな
イスラム信(IYC一を訪れ、各青少年団体の代表と「環境問題への背」供
子少隼団体の取り組み」についのて、意見交換をしました。.設..

12月11日ペラ州都イポ市轟一範青少年団体指導者と養)の意兇交換、
伝統文化伝承の童アビデオ観賞、伝統工芸陶器セ児シ立一ンターの視察を行いました。
国レ午後10時、タジョロスリー・ペラ州首相一AYC会長州知事 主催の歓迎晩さん会が、州首相公邸で開かれました。

12月12日クアランプールで国立劇場を視察。最新の設備や運営についての説明を受け、
その後、隣接の圃立美術館で民族に根ざした近代絵画展を観賞し、最後にユネスコ支局を訪れ、ユネスコ活動の情報提供を受けました。

インドネシア
ー2月13日マレーシアからインドネシアヘ移動。歓迎夕食会で青少年の
伝統舞踊伝承活動の一部を鰯賞しました。

12月14日西スマトラ州知事表敬訪問。講堂ではボランティアの集会が開かれ、
水害地帯への支援物資が山積みで、私共も義援金を寄付しました。
この後、海洋環境保護活動グループと無人島へ向かい、与」』~
ご珊瑚の保護保全やチ供への環境教育の活動を視察しました。

12月15日国立のセメントエ場を視察。
環境問題に閑心を持つ市民と工場関係者の会議に参加し、その後、
国立アンダラス大学を見学して「西スマトラ州の白然環境」の講義を受けました。

                            つづく

郵便友の会ニュース平成13年(2001年)4月15日(第三種郵便物認可

12月16日リマプルコタ県知事を表敬訪問。団員からの水害見舞金を贈って
パダン・ジャパン村へ移動。集会所での母子健康相談と予防接種の様子を見学。
その後、農家の庭先で民族衣装を身にまとった子供たちの伝統音楽での歓迎を受け、
昼食は近所の婦人の手作り料理、そして女子団員はクツキング実習をしました。昼食後、馬車で村内を見学、そして女子養護施設を訪問。政府援助が皆無で財団の基金と寄付などで運営中。

12月17日パダン・ジャパン村を出発し、シアヌツク滑断層渓谷の日本軍が掘った
トンネル、ソンケツト村伝統文化織物・木工芸工房などを見学。
目的地のナンサマニンジヨウのホテルでは、全員が西スマトラ伝統の正装を着付けて、
スマトラ式食事と伝統儀式を体験。

12月18日国営の社会施設・養護老人ホームを視察。男女別棟の奥まっだ所に
体育館兼集会場があり、そこで施設説明と質疑応答。
続いて、ヤシ殻などの農業廃棄物の二次利用に取り組む農業共同組合を訪問。
廃棄物利用に関する意見交換の後、ヤシ殼繊維選出作業と自動車オイルフィルタなどの試験製品の見学。

12月19日朝から豪雨。パダン空港でジャカルタ行きの飛行機を待つが、
滑走路水の浸水で離着陸便なし。結局一泊して出発順延。

12月20日飛行機の座席確保は困難で最終的に3班に分かれて移動し、
午後4時ごろ全員がホテルに到着。夕方、王家一族や国際交一流関係者による
歓迎夕食会が王族の家で行われました。

12月21日大学進学率九〇%の有名高校を訪問。教科やクラブ活動などるを語り合い、
国旗のすを扱い方や集団行進な樹どの儀礼が大事にさ植れていて驚き。
念正午、ジョジャカ記)で汀ルタ特別州知事表敬学ネ訪問。
青少年の国際大ド交流、自然環境保護、τ環境鷹止一の環ダ
(境教育なとにっいてン者話をしました。ア筆昼食後、ボロナド)
下      PFC全国懇話会会員                               小 池 喜 一


のプランパラン寺るよ院群を見学。同寺
に院は多くの遺跡が楽点在する村の中の音統一つの寺院で、ヒンドウーのシバ神をまつる監覇寺院身として築かれまし-ルヘ移動。
仏教徒からも忘れ去られたボロブドールは、世界文化遺産の一つとしてよみがえり
荘巌さを誇っています。更にユネスコによって修復工事が進行中で、
「ユネスコACCU」の記念レリーフが刻まれていました。
夕方は、野外劇場での舞踊を鑑賞し、「気の道場」を訪間。
国技武道を大学生、体育の教師に専門家が指導していました。

12月22日世界文化遺産供ネた。各回廊の壁に子ド施された浮き彫りのン装イには
古代インドの衣(叙事詩「ラーマナ族迎-ヤ」の物語が描民歓かれていました。
この後、ジャカルタヘ移動。
早稲田へ留学した人々が設立した大学を訪問。
プログラム準備へのお礼を団長が述べて交歓しました。夕方、
著名な演劇女優の家でインドネシア料理による夕食会。
日本で日本人と共演した折のポスターが、部屋に飾ってありました。

12月23日インドネシア最大規模の植物公園を見学。広大な敷地に一万五千種の
植物が集めれ、熱帯林の在り方などの研究がされていましたが、生命力を感じました。
続いて農業大学を訪問。大規模校ですが資金不足から学生宿舎などが不十分で、
農業従事者の就学支援のため推薦入学が八○%。集約的な近代農業でないため、
農氏が農業を専門に学習する傾向になく、短大コースの卒業生が従事するケースが多いとか。
スハルト元大統領夫人が設立した公園を見学。各地の建築様式や外観が異なる
民家や寺院が復元されており、多民族・文化の複合国家を表していました。

12月24日出発まで白歯時間の市内見学。デパート前の街路は人混みで足の踏み場も
ない程。夕食は日本料理店で久しぶりの刺身、天ぷらに舌鼓を打ちました。

12月25日早朝、成田空港到着。
関係者に感謝しつつ今後の作業の確認をして解散。
全団員は今回の成果を職場や地域、青少年運動の中で生かしてゆくことでしょう。


 民際外交 {6}(B) イ ン ド ネ シ ア 共 和 国  王 様 と 私

2012年10月03日 | Weblog

  イ ン ド ネ シ ア 共 和 国  王 様 と 私 

3)インドネシア共和国

 

12月13日

クアランプール空港からMH711便にてジャカルタ経由GA162便にて西スマトラ州パダン市へランキン ブダヤ財団(ソフィアニ伝統歌舞団)が対応

同財団歌舞練場にて歓迎西スマトラで最も古く伝統歌舞と夕食会が開催された

舞踊衣装は豪華できらびやか京都西陣織に似た織物を身に着けリズミカルな音楽に合わせて舞う姿は我々日本人にもすぐ馴染めるものであった インドネシア共和国では 伝統古典芸能歌舞を伝承する青少年団体(今回ユネスコ2000訪日代表団でJOS常務理事)は、高度な専門性を備えていて青少年活動の一翼を大きく支え 推進もしていたラマダーン月であるため この夕食歓迎会でも旅人である我々派遣団だけが飲食をし、歌舞団信徒 老若男女は自らの断食をしていた。

 

12月14日

雨上がりのパダン空港着 空軍機があわただしい 副大統領が視察 三日続いた豪雨で洪水被害発生 緊急物資の輸送も行われ 被害対策もたてられた。我々派遣団も 早速義援金を徴収 被害者に届けた 市庁舎の講堂にも 市民団体ボランテアが 集会を持ち傍らには届いた支援物資が山積みになっていた。被害が大きいのであろうが 渦中にいる私たちには伺いしることが出来なかった

 

12月14日 9:20ー18:00

西スマトラ州知事表敬訪問

州知事は 芸術・文化活動をするランキンブダヤ財団えの激励、日本のユネスコ代表団が西スマトラ州の訪問を 歓迎すると共に今後の文化交流及び 人的交流のより 活発化を望む、現在は農業・工業・水産・観光に力を入れている、西スマトラ州は特殊の文化をもっているので 充分学習してもらいたい、豪雨水害へのユネスコ派遣団の協力に感謝する

 

 13:00 ー18:00

海洋環境保護活動 インド洋上シロンジョン(無人島)へ

珊瑚の保護保全等に取り組んでいる 海洋研究グループにクルーザで無人島へ

オーストラリア人研究主任を 中心に数人の若いクルーが インド洋上に浮かぶ無人島に1時間かかりでクルージングする 島と島の入り江で停泊船内で昼食 対岸無人島の野生猿群を船上から観察 目的の無人島へゴムボートに分乗して上陸 シュノーケルを着けて浅瀬の海中生物の生息実態を観察 再び乗船甲板にパネルを指しつつレクチヤー モデル・リゾート開発による海洋汚染の状況等についてであった。

 

12月15日 8:00ー11:10 国立セッメント工場の視察

環境問題に関心のある市民団体とセメント工場の会議に我々も参加した

あいさつ 工場の概要説明 VTRによる解説アンダラス大学との共同で環境調査改善策をさぐる取り組み

情報公開 工場廃棄物処理問題 工場設備の改良新設

第一工場から第五工場、構内、公園記念棟、職員宿泊施設、厚生施設をバスにて巡回見学

 

14:00  国立アンダラス大学(西スマトラ州)見学とレクチアー

大学教授 講義「西スマトラ州の自然環境」

西スマトラ州の観光名所、自然森林の保護(自然森林61%)、森林伐採を間違えると今回のように大きな水害にもつながるし、保安に充分注意しないと 大規模の山林火災に見舞われる その他熱帯雨林、鳥、花、蝶、スマトラ サイ、水牛の放牧、日本でも視られる棚田水田、茶畑、油椰子畑、ゴム畑

大学構内にユネスコ代表団各位11本の記念植樹をした。

 

12月16日

パダン ジャパン村

リマプル コタ県知事表敬訪問

日本人とは戦時中から友好的である この地には近衛連帯が駐屯していたとのこと

年輩者は戦時中の日本の歌や学習の記憶を鮮明によみがえってきて それをhずみに現代の感覚にも対応しようとしていた。これも第二次大戦の善い遺産ととらえても良いのだろうか。その背景にはインドネシアが共和国として オランダの植民地政策から 独立出来たのも日本国の役割があったと感じている様子があった。

知事の説明いよると公務員が比較的多いいが 農業が主で近代化を目指しているので 何か良い知恵がないものかと

小さな鉱山と古代の遺跡もあるので観光開発にも力を入れたい。慣習は母性系社会で財産は女性が守り子孫に引き継ぐ男性は通い夫的なところが 古からのなごりがある。

 

パダン ジャパン村

母子健康相談、予防接種は村の集会所で行われていた。母子手帳はJAICAの支援によるものであった。

農家ニザム氏宅の庭で歓迎会が行われた村人、子供たちはこの地方の民族衣装を身に漬け竹の楽器の音に会わせての踊りであった。昼食は近隣の村人婦人が料理を手伝った 手作りでもてなしてくれた。

 

12月16日

モハメデア財団女子養護施設訪問

女子(小4人 中7人 高2人) 

 

12月19日 (豪雨)7:00ー18:00終日 パダン空港 待機

ジャカルタへの飛行機 離着陸便なし 滑走路水びったし待機室にて瞑想

商用TVではマハデイル大統領が要人と共にモスクで礼拝、若者ポップス音楽と画像、

コーラン詠唱が繰り返し放映されていた。待合室では何をするでなく機内食で配られる軽食・昼食・夕食にも食欲が出ない。やもう得ず売店で購入したスナック菓子に缶コーヒーや缶ビールで時を過ごす。本日の離陸便無し空港近隣のホテルにバス移動し1泊

 

 

12月20日 17:00

ジョクジャと通称呼ばれているジョクジャカルタはジャワ文化の発祥の地として知られている 私たちが知っている物はひけば影絵人形芝居のワヤン・クリット 蝋を使った染めたあげる更紗バヂック ガムラン音楽これらの伝統文化はジョクジャを中心にはぐくまれ洗練されきたもので今日なお その本場はジョクジャだといわれている また 現在ジョクジャは名を広く世に知らしめたのはポロプドールをはじめとする宗教文化遺跡である

インドから伝わってきた仏教とヒンドウ教文化は7-8世紀に花開いた中部ジャワでその中心がジョクジャであったといわれている規模の大きさはポロブドールは世界一のピラミッド型大伽藍は安山岩の石造であり、遺跡としてはの価値は世界的な至宝でユネスコ世界文化遺産になっている。ジョクジャは ”インドネシアの京都”といわれ日本の京都と姉妹都市を結んでいる。10世紀にイスラム教がインドやアラブの商人と共に伝来して急激に浸透していっつた仏教やヒンドウ教文化は姿を消した。1756年初代ハメンク フォノ

回教君主がこの地を治め以来現在10世ハンバルジャンが州知事を務める州特別区の首都である。

 

12月21日 12:10

ジョジャカルタ特別区州庁舎・王宮クラントン訪問とハンバルジャン館邸表敬訪問

 

 

ハメンク フォノ10世 回 教 君 主<スルタン>王 様

(現ジョクジャカルタ特別区州知事 ハンバルジャン氏)と私

 

19:30ー21:30

ハメンク フォノ10世回教君主<スルタン>(現ジョクジャカルタ特別区州知事 ハンバルジャン氏)邸は街中にあるバスは門前に止まりユネスコ派遣団員は前庭からロビーへと向かった扇子を手にした故ハンバルジャン9代君主婦人をはじめとして王家一族、関係者の出迎えを受ける。紅茶の接待、晩餐会とことは進んだ。民族伝統衣で正装したスルタンの従僕達が料理を運ぶ 宴はたけなわ 別室に移りアイスクリーム・茶 等のデザート この迎賓館は「迎賓館」というイメージからはほど遠く質素で小規模のものであったが 館内には 伝統衣装を身に纏った君主肖像画や宝物・写真・調度品が飾ってあった額に入った家系図を視ると1300年代からの家系であった

 

知事

青少年交流は将来のために大いに役立つであろう

自然環境の保護は重要であり研究する必要である

自然環境の事例として河川の汚染工場の排水だけでなく家庭の排水も問題で教育が受けられなかった人々に環境の保全につとめる大切さを理解してもらうことが必要であるまた困難な問題でもある河川の浄化について説くと具体的な方法をも示す必要があった

河岸に住宅を改築・新築するときには台所や風呂場の排水孔は河川に向けず河川に向かっては客間を作る工夫をする また河川にゴミを捨てる人がいなくなった。

社会環境の改善には西洋的な方法ではなくその地域の生活を反映させた、文化や伝統習慣をふまえた考え方で取り組まなければならない。

パダンでの海洋研究チームに活動でも海洋の自然環境を保護するのはその海域に適した対応リゾート地の開発にも気配りをされていたことを例に知事の考えも同感であることを派遣団長が話す

 

知事  水辺のマングローブ植樹は日本の「生け花」の様に自然との対話の大切さを体験を通して学んでいくことが「人は自然と共生していく」ジャワの昔からのことわざを生かしていきたい。

また王宮では庭木も歴代大切に育ててきたし 植え替える時も同じ種類の樹木を 同じ場所に植えて社会の人々にも感心をもってもらうようにしてきたし還元もされて来た。この

考え方は文化的にも価値観の高いものである。

 

12月23日15:00ー15:45                         

タマン・ミニ・インドネシア・インダ

ギャカルタ市の中心から南に10kmボゴールへ向かうハイウェーイの途中にある、インドネシア全土を凝縮した見せてくれる公園だ120haの敷地にインドネシア27地方の民家や寺院が整然と復元されている

建築様式も外観も一つ一つ明確に異なり建築学などに関してまったく門外漢の目にも思わず息をのむような斬新なデザインの家屋があった家の形たい一つからもインドネシアがいかに多種多様な民族と文化の複合国家なのかを知らされた

 

農家・家屋に注目すると大きくそりかえった傾斜の強い屋根と高い床敷きの造作は伝統的なバタック建築様式である銀行役所も私たちが宿泊したホテルも荘厳な感がするラマダーン明けと年末年始で休館、市民はそれぞれ田舎へ帰郷したり旅行に出たりしているので客はいない

元スハルト大統 領夫人が設立したが現在維持運営管理に経費が逼迫しているので困窮している

 

<終>

コーラン経典 抜粋            1)*  コーラン啓典 第二章「牡牛」メデイナ啓示179節   「これ信徒の者 断食も汝らの守らねばならぬ規律であるぞ 汝より前の時代の人々の場合と同じように きっとお前たちにも本当に神を畏れかしこむ気持が出来てこよう」                コーラン啓典 第二章 メデイナ啓示180節 「限られた日数の間守らねばならぬ または断食することが出来るのにしなかった場合は ただし汝らのうち 病気の者 又旅行中の者はいつか他の時に同じ数の日 貧者に食物を施すことで償いをすること しかし自分から進んで善事をなす者は善い報いを受けるもの この場合でも断食をする方が汝らのためになる もし汝らにはっきりわかっているならば」                コーラン啓典第二章メデイナ啓示181節 「コーランが人々のための(神からの)御導きとして また導きの明らかな徴として また救済として啓示されたラマダン月。去れば汝ら、誰でもラマダン月に家におる者は 断食せよ ただし(丁度そのとき病気か旅行中ならばいつか別の時それだけの日数 断食すれば善い)アッラーは汝らになるたけ楽なことを要求なさる。無理を求めなさらない。ただ汝らが所定の日数だけ断食のつとめを守り、そして汝らを導いていて下さったアッラーに賛美の声を捧げさえすればそれでよい。そのうちに汝らにも本当に有り難いと思う心が起きて来るであろうぞ」                コーラン啓典第二章「牡牛」メデイナ啓示216節 「酒と賭矢についてみながお前に質問してくるであろう 答えよ、これら二つは大変な罪悪であるが、また人間に利益なる点もある、だが罪の方が得になるところより大きい、と」                コーラン啓典四章「女」メデイナ啓示3節 「もし汝ら(自分だけは)孤児に公正にしてやれそうないと思ったら誰か気に入った女をめとるがよい。二人なり、三人なり、四人なり、だがもし公平できないようならば一人だけしておくか、さもなくばお前たちの右手が所有しているものだけで我慢しておけ。その方が片手落ちになる心配が少なくてすむ」           2)* コーラン啓典 五章「食卓」メデイナ啓示4節   汝らが食べてはならぬものは死獣の肉、血・豚肉それからアッラーならぬ(邪神)に捧げられたもの、絞め殺された動物、打ち殺された動物、墜落死した動物、角で突き殺された動物、また他の猛獣の喰らったものー(この種のものでも)汝らが自ら手を下して最後の止めを指したものはよろしいーそして偶像神の石壇でほうられたもの それからまた賭矢を使って(肉を)分配することも許さぬ。これまことに罪深い行いであるぞ            コーラン啓典五章「食卓」92-93節 これ 汝ら 信徒の者よ 酒と賭矢と偶像神と占矢とはいずれも厭うべきこと シャイターン(サタン)の業。心して避けよ。されば汝ら運がよくなろう。シャイターンの狙いは酒や賭矢などで 汝らの間に敵意と憎悪を煽り立て、アッラーを忘れさせ 礼拝を怠るようにしむけることにある。」            コーラン啓典 第六章「家畜」メッカ啓示146節 「宣言せよ、わしに啓示されたものの中には、死肉、流れ出た血、豚の肉ーこれは全くの穢れものーそれにアッラー以外の(邪神)に捧げられた不浄物、これ等を除いては、なにを食べても禁忌ということにはなっていない。そればかりか(たといこれらの不浄物でも)、別に自分で食気を起こしたとか、ただやたらに規則に叛きたくてするのではなしに、やむ得ず(食ってしまった)場合には神様は(大目に見て下さる)。よくお赦しになる情深いお方だから」コーラン経典 抜粋            1)*  コーラン啓典 第二章「牡牛」メデイナ啓示179節   「これ信徒の者 断食も汝らの守らねばならぬ規律であるぞ 汝より前の時代の人々の場合と同じように きっとお前たちにも本当に神を畏れかしこむ気持が出来てこよう」                コーラン啓典 第二章 メデイナ啓示180節 「限られた日数の間守らねばならぬ または断食することが出来るのにしなかった場合は ただし汝らのうち 病気の者 又旅行中の者はいつか他の時に同じ数の日 貧者に食物を施すことで償いをすること しかし自分から進んで善事をなす者は善い報いを受けるもの この場合でも断食をする方が汝らのためになる もし汝らにはっきりわかっているならば」                コーラン啓典第二章メデイナ啓示181節 「コーランが人々のための(神からの)御導きとして また導きの明らかな徴として また救済として啓示されたラマダン月。去れば汝ら、誰でもラマダン月に家におる者は 断食せよ ただし(丁度そのとき病気か旅行中ならばいつか別の時それだけの日数 断食すれば善い)アッラーは汝らになるたけ楽なことを要求なさる。無理を求めなさらない。ただ汝らが所定の日数だけ断食のつとめを守り、そして汝らを導いていて下さったアッラーに賛美の声を捧げさえすればそれでよい。そのうちに汝らにも本当に有り難いと思う心が起きて来るであろうぞ」 <終>

{民 際 外 交}(2)  [私の意見] アジアの青年と日本

2012年10月03日 | Weblog
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{民 際 外 交}(2)

.      [私の意見] アジアの青年と日本
..........
〇ここ数年、アジアの青年が私の家に泊まることが多くなった。妻はそのたびに手料理に頭を痛めている。味付けはもちろん、材料に牛肉、豚肉はダメ、野菜だけ、木曜日は魚、肉料理は無い、便所に紙というより水がめがないと落ち着いて入っていられないとしょげているフィージやブルネイの青年。風呂用の手桶に思いつき、あわてて買ってきた時もあった。かつて県知事の熱意によって「県民外交」シンポジウュームが開幕され、年頭には神奈川県政が「民際外交」の組織と予算の裏付けされたことが、私達に励みになった。「家族ぐるみの外交」は、馳走うまでは出来ないが、食卓を共にする「席」を設けることで、子供、家庭、学校地域社会、国際にまで話題が広がり さらに私しのみならず、日本人一人々々が極東アジア・アジア太平洋との関係を正しく認識し、青年の立場で今後、極東アジア・アジア太平洋に人々との協力するための基本的なあり方を探る手がかりともなる。
しかし現時点でも、発展はまちまちで、従来欧米のものが良いとされ、アジア諸国も追従して来た。経済競争のの過熱を機に、アフリカ、アジアの各地では、いままで持っていた民族の自覚が緩やかに、あるいは急激な表現で国際社会に参画して来た。
思うに、このかけがえのない地球に同居する以上、多少の不都合があっても武力に訴えず、亙いに譲り合う心を持たなけば地球表面のキズはおろか、内側まで深まってしまう。譲り合う心は教育に託するところが大きい。
トイレの使用の仕方や食事が違うように習慣・宗教から文化も多様である。インド洋、南シナ海に点在する島々と、そのベルト地帯の国々には、優劣を付けられない固有の習慣・宗教が文化が、西洋文明の陰にかくれてはいたが脈々と息ついていた。近年のロシア各地での独立も日本人の目にも大きく映るようになった。これがナショナリズムの表れだろうか。近い将采、はっきりとはきりと前面に出て来るだろう。もちろん、日本のナショナリズムも薄れることなく、もっと確固たるものになるに違いないこれらを互いに持ち合わせて、好奇心をもって理解し合おうと努力する
ならば、尊敬し合えることになる。この文化の多様性を共通の場 円卓会議で、コミニケーイションの心は教育にある。教育によってこそ違った背景の文化を持った人々がひとつ場所に集まり、シンポジュウムを、さらにはセミナーも開催できグローバル化も芽生えることだろう。そして日本の開発途上国への支援・援助は、大学教授・ボランティア活動の交換から、高等学校段階での受け入れも行われているのは賢命だ 現在、.県内でもAA諸国から数百名が研修に励んでいる。日本からは日本青少年ペンフレンドクラブ、日本青少年赤十字、YMCA、ボーイ・ガールスカウトをはじめ各種団体が旅行・視察と交流が盛んに行なわれ、国際理解と協力の一翼を担っている。私たちがブルネイがインドネシアシアに、.スリラソカがインドの近くにあるのをよぐ知ら無いと同様で、アメリカ東部・内陸などではの本を中国の一部とみなすひとが多数であった。しかし、広大なアメリカには各種民族が住んでいる。にもかかわらず国内でのコミュニケーションが方言やなまりあってもある程度なされているようであった。アジアにもすでに定養しつつある共通語(アラビア語を採用-とか話顧にはなっているそうだが)を、いままで以上に普及して開発と発展のための教育.の役割も考えつつ、青年グルー運合体をアジア・太平洋に組織して具体的な協カプランに具現し、その若い力で世界に向かって大きく貢献することを、私は夢みている。
  神奈川県 神奈川新聞社「私の意見欄」投稿依頼により寄稿 2013/01/12kakunin